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オラフ・ドランは高級革鞄から数枚の書類を取り出した。
「西方巻角大飛竜の狩猟討伐証明書、および、その素材所有権の“譲渡契約書”です。どちらも、貴国の法律に則った形で作成されていますし、貴国発行の公文書用紙です。ご確認ください」
「は?」
カロルレン側交渉担当者達は一様に唖然とした。
彼らは交渉人が『竜の分け前を寄こせ』あるいは『絶対に渡さない』と言い出すと想定していた。そのためにあれやこれやと準備していた。
カロルレンにも、今回の竜の接収(あるいは没収)が法的にも道義的にも国際関係的にも不味いと判断する“まともな”人々がいた。彼らは大急ぎで交渉団を揃え、ある程度の譲歩や交渉をする準備をしていたのだ。
そんな彼らの一周遅れの努力に対し、
「竜の素材は既にマキシュトク市とラランツェリン子爵特別税制領、オルコフ女男爵特別税制領、ペンデルスキー男爵特別税制領、そして、貴国の聖王教会へ譲渡済みです。引き渡し交渉はそれらの代表者にお願いします。『空飛ぶ魔狼号』は一切関知しません」
ドランは交渉の梯子自体を外した。
「あ、それと日付をご覧ください。契約日時は貴国の接収通達の“前”ですので、空飛ぶ魔狼号には如何なる非もございません」
担当者達は唖然呆然としつつも、一人の男性担当官が喚きだす。
「こ、こんなものがあるわけないっ! 偽造だっ!!」
「貴国の法務印が入った公文書を偽造だと? 何の根拠があるんです?」
ぬけぬけと言い放つドラン。
事実として公文書用紙は本物だ。そこに記されている各契約者のサイン――
空飛ぶ魔狼号船長アイリス・ヴァン・ロー女士爵のサインも、
マキシュトク市代表タチアナ・ネルコフ代官代理のサインも、
3特別税制領代表契約者ノエミ・オルコフ女男爵のサインも、
聖王教会伝統派マキシュトク聖堂臨時代表のサインも、
カロルレン冒険者組合の素材管理のサインも、
立会人ラファエル・ナバルのサインも、全て本物だった。
ただ……文書の作成日付が“後付け”というだけだ。
そして、この日付が後付けだとする証明は、サインした者達の証言でしかできず、このサインをしている時点で彼らが証言を翻すことはあり得ない。この文書にサインしたということは事実上、王国中央と軍へ『クソ食らえ』と中指を立てているのだから。
さらに言っておけば――
「この文書をあくまで偽造とおっしゃる場合、いろいろと面倒なことになるのでは?」
3特別税制領のバックには、それぞれの宗家や閨閥が控えており、聖王教会自体が一大勢力であり、さらに言えば、マキシュトク市は王家直轄領である。
この文書を否定すれば、そうした各勢力が得る利益を否定することになる。
封建的権威主義社会でその権威を否定し、利益を奪い取ったら……
ドランは竜の利益を全て手放す代わりに、カロルレン王国へ爆弾を投げつけたのだ。
明確な“悪意”に、カロルレン王国交渉担当者達が顔を赤くしたり、蒼くしたり、プルプルと肩を震わせたりする。しかし、竜の所有権はカロルレンに渡ったことに変わりはなく、怒るに怒れない。いや、既に怒ってはいるのだけれども。
ドランは毒気のない顔で続けた。
「空飛ぶ魔狼号の交換接収に関しては、“御厚意”に感謝しますが、お断りします。本船は応急修復すれば航行できますので、交換していただかなくても問題ありません」
「我が国の“善意”を拒絶なさると?」
女性担当者が美貌を台無しにする顔つきで睨みつけてきた。
が、ドランはにこにこと微笑み返す。
「だとしたら? まさか強制接収する気ですか? 船員を武力制圧して? 手弁当でこの国を救援に来て、孤立無援で絶体絶命だったマキシュトクの住民を救出し、あまつさえ、貴国の軍が取り逃した大飛竜を死闘の末に倒した、貴国にとって大恩ある魔狼号の船員を害すると? 本気ですか?」
正気ですか、とも聞こえる口振り。
マルクが必死に肚へ力を入れる。でなければ、失笑を堪えきれない。
「平民風情が図に乗るなっ!」
年かさの男性担当者が喚き、
「我らを愚弄するかっ!!」
軍人の担当者が激高して腰を浮かせた。
「!? どうしたんです、急に」ドランは大袈裟に驚いて「私が何か失礼を言いましたか?」
ドランはわざわざ建前上の責任者であるマルクへ顔を向け、不思議そうに目を瞬かせるという小芝居まで披露する。
マルクは大仰に咳をした。そうしなければ、笑いだしてしまうところだった。
出張派遣して良かった、と心から思う。おかげで実に貴重な体験を堪能している。
交渉とは基本的に妥協点の探り合いであり、マウントポジションを取って一方的にボコスカ殴ることは多くない。
国相手なら特にだ。禍根を残すと厄介だし、武力行使へのハードルが低いこの時代では、相手の顔を必要以上に潰すことは慎むべき行為だった。
それを敢えて実行している。つまりは、この交渉自体が一種のメッセージだ。
『田舎者が舐めた真似してんじゃねェぞ』
ドランは何事もなかったように微笑みながら、告げた。
「ともかく、竜に関しては既に貴国自身の問題であり、船に関しては我々の問題です。貴国は災害の復興と再建で大変でしょう。抱える問題は一つでも減らした方がよろしいのでは?」
カロルレン交渉担当者達は悔しげな歯ぎしりで答える。
後は交渉ではなく、ただの事務作業だった。
その事務作業においても、ドランは貨物同然にカロルレンへ送り込まれた鬱憤を晴らすように、言葉のゲンコツでカロルレン側に譲歩をさせまくる。
交渉が終わった時には、カロルレン交渉担当者達はお通夜を迎えたような面持ちになっていた。極めて居丈高だった軍人さえ肩を落としてしょんぼりしている。
そんな彼らに対し、書類をまとめたドランは満面の笑みを湛えて告げる。
「いやあ、”問題なく”交渉がまとまってよかった。これも皆さんの御協力のおかげです。ありがとうございました」
〇
そろそろ、1769年に起きた大災禍の物語を締めよう。
想定通りというべきか、引き渡された西方巻角大飛竜の素材を巡り、カロルレン王国中央で政争が生じた。
所有権を分割移譲された3特別税制領はそれぞれの宗家や閨閥を巻き込み、王国中央の権利移譲要求へ強烈に抵抗する。聖王教会も所有権移譲の代わりにあれやこれやと条件を重ねて王国中央を悩ませた。
オラフ・ドランが放り込んだ”爆弾”は、見事に炸裂して効力を発揮したのだ。
『空飛ぶ魔狼号』は接収を免れ、応急修理後にベルネシア海軍が停泊中の沿岸地域まで移動していた。そこで本国までの航行に堪えられるレベルまで修理を進めた後、沿岸航行試験を兼ねた動力機関搭載試験船ユーフェリア号と合流し、曳航されて帰国する予定。
ベルネシア義援団も帰国していった。彼らは十分な救援活動が出来なかったことや、モンスター狩りで稼げなかったことに思うところはあったが、生きて帰れることを素直に喜んだ。
ベルネシア本国では、外洋政策が各地への進出から現地経営に切り替わって以降、薄れかけていた国外活動の難しさを再認識させた(外洋領土関係や派遣軍は『何を今更』と呆れた)。
このカロルレン救援が戦後不況にもたらした恩恵は微々たるものだった。救援事業は経済政策として大失敗だったと言って良い。
『やっぱ他人の不幸で稼ごうとするもんじゃないなあ(戒め)。ここからは切り替えていく』
この大失敗に反省し、ベルネシアは無難な国内と外洋領土の整備に資金と資源を注入することになる。大市場を生み出す『協働商業経済圏』の実現には、クリアすべき問題が山積みだったから、この判断は仕方ないことだろう。
内需拡大方針によって国内と外洋領土は発展の度合いを強めていくが、戦時体制で製造能力の拡大した兵器産業は“商品”を持て余して難儀する。なんせ、銃砲や弾薬を作っている連中は民生品なんか作れない。
彼らは戦争を必要としていた。
それも、自分達が儲けられる戦争を。
視点を被災地の人々へ移そう。
マキシュトクとマキラ周辺の3特別税制領で生じた大勢の孤児達は、聖王教会と王国が持つ各孤児院へ振り分けられた。
ヨナスと“妹達”、ソフィアと小さなヨラ、子犬のナルーはノエミのオルコフ女男爵領にある孤児院へ送られている。子犬のナルーが一緒なのは、領主たるノエミが許したからだ。
ノエミと生き残りの騎士達は強く覚えていた。マキシュトク市街戦でヨナスが示した献身的勇気を。勇者の身内ならば、特別の配慮があってしかるべきと考えた。
子供達の負った肉体的、精神的傷はとても大きい。小さなヨラは未だにソフィアとナルーが傍にいないとパニックを起こすし、夜泣きを繰り返している。
同じような子供達はたくさんいる。心に大きな傷を負った子供達はたくさんいる。特に、マキシュトク聖堂の惨劇を生き残った子供達は、全員がヨラと同じく深刻なトラウマを負っていた。
体の傷は回復剤などで治せる。しかし、心の傷は時間と誰かの助けが無くては……
領地に帰還したノエミに対する領民の反応は、賛否両論だった。
領の危機に不在だったことを非難する声は決して小さくない。しかし、マキシュトクにおける英雄的な活動と竜素材の一部恩恵を持ち帰ったことを評価する向きも、決して小さくなかった。
ノエミが不在の間に領の指揮を取っていた母――先代男爵夫人はたくさんの小言と「まあ、70点というところね」と“甘い”評価を下した後、地獄を生き抜いてきた娘を優しく、強く抱きしめた。ノエミは大声で泣いた。無理もない。なんのかんの言っても、彼女もまだ23歳の小娘に過ぎないのだから。
承服し難い結末を迎えた例もある。
タチアナ・ネルコフは代官代理として、王家直轄領マキラ大沼沢地の管理都市マキシュトクがモンスター“如き”に失陥した責任を被せられ、禁固刑に処された。
典型的なスケープゴート。
責任を負うべき者が処分を受けず、現場で奮闘した者が詰め腹を切らされる。古今東西で見られる理不尽だ。
こうした不条理な扱いを見過ごせず、タチアナ・ネルコフを擁護する者達は多かった。彼らは王国中央に強く抗議し続け、処分撤回と名誉回復を求めた。
しかし、処分が覆されることはなかった。
タチアナ・ネルコフの名誉が回復するのは、ずっと、ずっと先のことだった。
また、王国中央に盾突いたラファエル・ナバルは片田舎の官吏に左遷された。彼はこの粛清人事に抵抗せず中央から去った。その後ろ姿は堂々としたもので、彼の方が中央を見限ったようだったという。
最後に、マキシュトクについて語ろう。
マキシュトクがモンスターから奪還されたのは、1769年の秋頃だった。
それも、軍ではなく冒険者達が主体となった奪還遠征によってである。
さほど間を置かずマキシュトク奪還が実施された理由は、冒険者達が食っていくため、家族を養うためであり、モンスター素材や天然素材を必要とする各種産業の強い強い要請があったからだ。必要性は常に優先される。それが生きていくためなら特に。
この奪還遠征には、ノエミも参加した。彼女は真っ直ぐに代官所の屋上へ向かい、ハラルド達の亡骸を探した。
だが、見つかったのは、錆と泥に塗れた彼らの剣だけだった。
これらの剣はノエミによって遺族の許へ返却された。受取先がいなかった剣は、再建後のマキシュトク聖堂へ奉納された。
後年、他の遺族もマキシュトク聖堂へ剣を奉納した。ハラルド達の剣は聖剣十字の像と共に掲示されている。
勇気の象徴として。
後に……再建されたマキシュトクに三つの像が建てられた。
一つはベルネシア様式の獅子像。
代官所の庭に建立され、台座には『ベルネシアの戦友達へ捧ぐ』と記され、ベルネシア義援団の貢献と彼らへの感謝が書かれている。
もう一つは、新たに作られた大災禍追悼所の庭に作られた聖母子像。
幼子を抱きしめる慈愛の聖母。母子を守るように立つ男女の幼い天使達。
荘厳で美しい像だが……あの日、若い母親達や幼い兄姉達が見せた崇高さと慈愛の深さには、とても及ばない。
最後の一つは、中央広場の真ん中に置かれた『マキシュトク英雄像』。
騎士と冒険者と市民が共に並んで武器と盾を構える勇壮な銅像だ。
あの時、ケダモノの大群と戦った全ての者達を讃え、その犠牲を悼む記念だった。
この英雄像の台座には、次の碑文が刻まれた。
『我らは忘れない。誰が我らを守り、誰が我らを救い、誰が我らを見捨てたのか』
建立後、王国中央の命令でこの碑文は削除されたが……
種は既に播かれた。




