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砂の棺  作者: 天海六花
小さな純真
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 当初の目的であったウェールに着いたのは、予定より丸一日遅れての事だった。

 あの不可思議なエルスラディアの夢から覚めた俺はカルザスから時間の経過を聞き、愕然とした。俺は夢を見ながら、丸一日眠っていた事になる。

 今までなら、カルザスの覚醒している時は俺も覚醒していた。そして眠っている時は俺も眠る。だがカルザスが覚醒しており、俺が眠ったままだったという事態は初めての経験なのだ。

 そんな体験を引き起こすあの夢、絶対に何らかの意味があるはずだ。もう少し手掛かりが欲しいのだが、見ようと思って見られるような夢でもないようだ。特殊な、もしや俺の過去に関する何かが隠されているのかもしれん。どうしたものかな……。


「すっかり日が暮れちゃってますね。なんだか寒くなってきましたし、早く宿を探さないと」

 カルザスが声を掛けると、シーアは僅かに顔を上げて、澱んだ目でこちらを見てくる。

 暗殺者を辞めると決意したというのに、その舌の根も乾かぬ内にまた人を殺めてしまったのだ。シーアの自己嫌悪や落胆も理解できぬ訳ではない。

 自らの怪我の件、シーアの世話で手一杯なカルザスに、あの夢の話などできようはずもない。せめてすっかり意気消沈しておるシーアの問題だけでも解消せねば、以前のようにカルザスとゆっくり話し合う事もできんな。

 あの夢の件はひとまず保留だ。

「シーアさん、どうかしましたか?」

「……あの、どうしても……今夜の宿を探さなきゃ、ダメ? このまま素通りしちゃダメかな……私、今は人の多い所にいたくない」

 相当、重症なようだ。

「うーん……あのですね。これ、僕のワガママなんですけど、ひとまずちゃんと休ませていただいていいですか? 体力には結構自信があったんですけど、さすがにちょっと疲れちゃって」

「あ……そうね……その方がいいわよね……ごめんなさい。私、自分の都合ばっかり……」

 シーアは小さく頷いて、黙ってカルザスについて来る。ずっとこの調子だと鬱陶しくてかなわんな。

 意気消沈したシーアを宥めながら、適当に目星を付けた宿で二部屋を借り、カルザスは荷物を置いてすぐ、シーアの部屋を尋ねる。

 本来ならば男同士なのだから同室でも良かったのだが、奴の容姿は今、妙齢の女の詩人だ。若い男と女という、周囲からの好奇の目に晒される事を避けたかったため、別室を借りたのだ。

「シーアさん、今、大丈夫ですか?」

 ノックをしたが返事がない。返事もできんとは、全く世話のやける奴だ。

「入りますね」

 鍵は……掛かっておらんな。無用心な奴だ。

 ベッドの縁に腰を下ろしたまま、シーアは項垂れて微動だにしない。カルザスは奴に歩み寄り、その両肩に手を乗せた。

 ほう、どうやら右腕は多少動くようにはなったらしいな。相変わらず病や怪我の治りが早い奴だ。見た目以上に、頑丈な奴なのだ、こやつは。

「いいですか、シーアさん。ちゃんと顔を上げて僕を見てください」

 とりあえずはカルザスに従おうという気はあるらしい。シーアは緩慢な動作で顔を上げ、膝の上で両手を強く握る。体の前面で手を組むという動作は、無意識の防御なのだと聞いたことがある。どうやら心を閉ざしているようだ。

 そんな事など知らぬであろうカルザスはこくりと頷き、真っ直ぐシーアの目を見つめて口を開く。

「僕は特別な力も何の取り柄もない一介の傭兵です。でも、僕はあなたを救いたいんです。いえ、救うなんておこがましいですね。ええと……僕は少しでもあなたの支えになりたいんです。僕だけでなく、セルトさんも同じ気持ちのはずです」

「……それは……分かるわ。だって、カルザスさんは……こんな私にも……優しくしてくれるんですもの。なのに私は……ダメな事ばかり……」

 今にも泣き出してしまいそうに瞳を潤ませて、シーアは再び項垂れる。

「ご自分を責めないでください。あなたが負の感情を抑えられなかったのは、僕が不甲斐ないせいなんです」

「違う! 私は自分で……っ!」

 勢いよく顔を上げ、シーアが強く首を振る。

「私が血を求めて……違う。私でない私が殺せって頭の中で……私が……狂った私が私を壊そうとして、それで私は……私はっ!」

 シーアは自身を責め、保身の言葉を吐き、だがそれを否定し、酷く混乱しているようだった。会話が支離滅裂だ。

「自分の殻に閉じ篭らないでください。僕は傍にいる事しかできませんけれど、僕は決してシーアさんを裏切りません。少しずつでいいです。僕に心を開いてください」

「……わ、私は……一人で……生きていく……一人でしか……一人、だから……」

 そう言って黙り込むシーア。

 まただ……俺にはまた、シーアの怯えた姿が見える。この言葉をシーアが口にするたびに、シーアは更に深く暗い場所へ、自ら身を投げ出し、どこまでも落ちてゆくように感じるのだ。自ら底なし沼に飛び込むかのようにな。

 誰かの愛情を欲しながら、温もりを求めながら、だが、差し出された全てを拒絶する。傷付いた心をより一層、傷付ける。傷付けることで、自らの正気を繋ぎ留める。自傷行為の悪循環だ。

 何が奴をそうさせているのか、俺にもカルザスにもまだ分からんが、誰かに縋りたいという意思はあるようで、時折だが助けを求めているような姿、いや幻影が見え隠れする。

「僕はあなたの味方です」

「……ごめん……なさい……」

「やはり僕という人間を、全く信用できないですか?」

 シーアは顔を上げ、掠れた声を絞り出す。

「……分からない。でも……迷ってるんだと思う……信用、したいって……」

「少しずつでいいですよ。仮にでも、なんとなくでもいいので、僕を信用してくださいね」

 カルザスが微笑みかけると、シーアは再び顔を背けた。だが時折、こちらの様子を窺うかのような視線を感じる。

「先に下りて食事を始めていますね。シーアさんも早く来てください」

「……ええ……」

 生返事は返ってきたものの、シーアが動く気配はない。食わねば気力とて持たんのだがな。

 カルザスは一度自室に戻り、旅装束を解いて私服へと着替える。

「まずは僕を信用していただかないといけないんですけどね。セルトさん、何かいい方法はありますか?」

 ──いきなり無理難題を問われても、とっさに妙案など思い浮かぶはずもなかろう。奴の頑なな思考を変えてやれればよいのだが……。

「あはは。それが難しいんですってば」

 カルザスは苦笑し、部屋を出た。やはり、シーアの部屋からは物音一つ聞こえんな。

 一階の食堂へ向かう階段を降りながら、カルザスは未練がましくシーアの部屋のドアを何度も振り返っておった。


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