40.名前
大広間には重傷者を除くすべての兵士が集まっていた。
そこへマケランが入ってくると、兵士たちは大きくざわついた。
しっかりと自分の足で歩いている。きっちりと軍装を身に着け、腰には剣も差している。とても重傷を負っているようには見えない。
頬には赤みが差し、おだやかに微笑んでさえいる。隣に寄り添うピットの不安そうな表情とは対照的だ。
(なんとかここまでは来れたか。ウイスキーの力は偉大だな)
アルコールのおかげで元気になったつもりでいたが、さすがに階段を降りるのはつらかった。今すぐ横になりたくてたまらない。
だが死んだ兵士たちの顔を思い浮かべることで、なんとか耐える。
「少尉、動いても大丈夫なのですか?」
最前列にいるシャノンが心配そうに聞いてきた。
「ああ、思ったより軽傷だったようだ。君こそ大丈夫なのか?」
「はい、私も軽傷でした」
シャノンはさっきの戦闘で左目を失い、今は黒い眼帯をつけている。どう考えても重傷だが、いつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。
マケランは頼もしい副兵士長に笑みを返してから、兵士たちに向かって声を張り上げた。
「聞け! レイシールズ城の誇り高き兵士たちよ!」
大声を出すと胸に激痛が走るが、必死でこらえる。
「俺たちはグラディス兵士長を始め、多くの仲間を失った! だが、まだ負けてはいない! ここに俺と君たちがいる! 仲間たちが命懸けで敵を食い止めてくれたおかげで、生きてここに立っている!」
マケランの声には力があった。ついさっきまで不安と絶望に満たされていたはずの兵士たちは、少し表情が明るくなった。
「俺たちに残されているのは、この主塔だけだ! だが案ずるな! ここは特別に堅固に造られた、レイシールズ城の最後の砦だ!
共和国軍は明朝にも攻めてくるだろうが、怖れる必要はない! 奴らは唯一の指揮官が重傷を負ったと思って油断しているだろうが、俺はこのとおり元気だ!」
(今にも倒れそうだがな)
後ろに控えていたピットが、そっとグラスを差し出してきた。マケランはそれを受け取り、グイっと飲み干す。少し水で薄めてあるが、例のウイスキーだ。
おかげで力を取り戻したマケランは、ピットの頭をぽんとたたいてやった。それだけでピットは嬉しそうに尻尾を振る。
「その通りです! 天才指揮官である少尉がおられる限り、アタシたちは負けません!」
広間に響き渡る大声を出したのは、ググだ。今まで見たことのない真剣な顔つきだ。
「ググの言うとおりだ! この俺が指揮をとる限り、絶対に負けることはない!」
マケランは断言した。この状況では謙譲は美徳ではない。
「その通りです!」
「少尉のすごさは、今までたくさん見てきました!」
「花の第8期の首席、『黒蛇』の異名は伊達じゃありません!」
兵士たちは競うようにマケランを称えた。その声には指揮官に対する信頼があふれていた。今まで共に戦ってきた絆の力だ。
マケランも褒め称えられたことで気分が高揚し、痛みが気にならなくなってきた。
「俺は君たちの指揮官であることを誇りに思っている! 君たちの1人ひとりが俺の宝だ!」
そう言うと、部屋の隅にいる上品な顔立ちの兵士に視線を向けた。「マイラ、君は重傷を負っているにもかかわらず、今日の戦いに参加していたな。見上げた根性だ」
「気付いてくださったのですね」
マイラは心から嬉しそうに答えた。「はい、まだ右腕は治っていませんが、少尉と共に戦えるなら痛みなんて気になりません!」
彼女は右腕に敵の矢を受け、矢じりを取り出すためにグラディスに肉を削り取られている。本来なら重傷者として休んでいるところだ。
「いいなあ、マイラは名前を覚えてもらえて」
「仕方ないじゃない。彼女は初めての重傷者で、少尉にずっと手を握ってもらってたらしいもの」
後ろの方で、2人の兵士がボソボソと言葉を交わしている。マケランの耳は、その小さな声を拾った。
「シエンナ、それからリリアン、俺は君たちの名前も知っているぞ。シエンナは踊りが上手で、その明るさで仲間たちをいつも元気づけている。リリアンは常に冷静で、誰よりも視力がいい」
名前を呼ばれた2人の兵士はポカンと口を開けた。
「えっ、嘘……?」
「なぜ私たちの名前を……?」
「君たちの1人ひとりが俺の宝だと言っただろう」
マケランはそう言うと、最後列に並んでいる兵士から順に声をかけていった。
「サマンサ、君は高いところが苦手にもかかわらず、いつも胸壁から身を乗り出してクロスボウを撃っている。素晴らしい勇気だ。
レティーシャは毎日欠かさずに武器の点検をしているな。その几帳面さはすべての兵士の模範となるだろう。
パティは誰よりも声が大きい。そのよく通る声でこれからも皆の士気を高めてくれ。
ケイト、君は乗馬が得意だそうだな。籠城戦ではその能力を発揮できないのが惜しい」
兵士たちがざわついている。
「そんな、私の名前を……」
「影の薄さに定評のあるケイト先輩のことまで知ってるなんて……」
「ひょっとして、全員の名前を覚えてるの?」
「まさか、300人もいるのに」
誰もが信じられないという顔だ。将校が一般兵士の名前をすべて覚えるとは、通常では考えられない。
「少尉、本当に……すべての兵士の名前を覚えたのですか?」
シャノンが問いかけた。
「そうだ。ずっと一緒に戦っているうちに、もっと君たちのことを知りたくなったんだ。ならば、まずは名前を覚えることだ」
マケランはフッと笑みを浮かべてから、メガネをクイッと押し上げた。「俺の頭脳をもってすれば、300人の名前と特徴を覚えるなど造作もない」
言ってからすぐに後悔した。あまりにもキザったらしいセリフだ。
「キャーーッ!」
「マケラン様ーっ!」
「黒蛇! 黒蛇! 黒蛇!」
だが意外にも好評だった。
(ならば、もっと言ってやる!)
「もちろんそれが可能だったのは、俺が君たちのことを好きだからだ! 人間の脳は、興味のないことを覚えられるようにはできていない!」
さらに大きな歓声が上がった。
マケランは歓声が収まるのを待ってから、改めて他の兵士たちの名前を挙げていく。
「トレイシー、立ったまま眠れるのが君の特技だ。その特技が今後役に立つこともあるだろう。
サラ、故郷にいる妹に再会できるといいな。そのために絶対に勝とう。
ルーシー、脱走兵を捕らえようとした君の真面目さと責任感を、俺は愛している。
アイリーン、君は32歳で最年長だが――」
そしてマケランはここにいる兵士たち、さらには医務室にいる重傷者の名前をすべて言い終えた。
「この先何があろうと、俺が君たちを見捨てることはない!」
自分の名前を呼ばれた兵士たちは、この言葉を疑わない。
指揮官が自分を見捨てないと確信できる兵士は、どんなつらい状況になっても戦意を失わないだろう。
「しかし残念ながら、虹蛇の背を渡ってしまった仲間もいる」
続けてマケランは、死んだ兵士たちの名前を挙げていく。
「まずはグラディスだ。彼女は俺たちを助けるため、最後まで壁上に残って戦った。彼女を失ったことは、俺にとっては右腕を失ったに等しい」
兵士たちがすすり泣いている。グラディスは誰からも信頼され、愛されていたのだ。
「そして多くの兵士がグラディスと共に戦った。仲間のために犠牲になることを選択した、勇気ある者たちだ。
グレンダはまだ17歳だった。毎晩欠かさずムーズに祈りをささげていたと聞いている。パーディタはオルガ村の出身で――」
マケランは立て板に水を流すように、死者たちの名前を挙げていった。
指揮官は死んだ兵士の名前も覚えている。その事実は、生きている兵士たちを勇気づけた。
自分が死んだとしても、覚えていてもらえるのだ。
「それから戦死者ではないが、俺はヘレンのことを一生忘れないだろう」
ヘレンはマケランを侮辱したために、グラディスに処断された兵士だ。あの一件で、マケランは将校としての責任感に目覚めたと言っていい。
「そして最後にロザリーの名を挙げさせてもらう。彼女は身を挺して、俺をウェアウルフの攻撃から守ってくれた。彼女がいなければ、俺は間違いなく死んでいた。どれだけ感謝の言葉を並べても、言い尽くせない」
「少尉の死は私たち全員の死と同義です。つまりロザリーは私たちにとっても命の恩人です」
シャノンの言葉に全員がうなずいた。
――ロザリーが脱走を試みた兵士であることは、マケランも含めて誰も知らない。今後も知られることはないだろう。
「彼女たちの死は決して無駄ではない。なぜなら俺たちが生きているからだ。俺たちは死んだ者たちの志を受け継いで戦うことになるからだ」
兵士がもっとも避けたいと願うのは、無意味な死である。無能な指揮官をもってしまった兵士は、そうなることを運命づけられている。
だがマケランの指揮下で戦う限り、そんなことには絶対にならない。誰もがそれを確信していた。
「だからこそ、俺たちは勝たねばならない! 勝ってこそ、彼女たちは報われる!」
マケランはもう痛みを感じなかった。「明朝、敵は全兵力で攻めてくるだろう! だが、俺はまったく恐れていない! ここに君たちがいるからだ! 君たちが必ず勝利をもたらしてくれると信じているからだ!」
「はい! 絶対に勝ちます!」
「私たちは守り抜きます! 死んだ仲間たちのために!」
「マケラン少尉に勝利を捧げるために!」
兵士たちの体から噴きあがる闘志で、大広間は熱気に包まれた。
怖気づいている者は誰もいない。負けると思っている者は1人もいない。
「この戦い、絶対に勝つぞ‼」
マケランは左腕を天に向かって突き上げた。
「「オオオオオオオオオオッ!!」」
兵士たちは雄叫びを上げ、左腕を突き上げた。
そこには、かつて脱走兵をかばうためにつけた傷が残っている。勝利を信じて戦う者たちの、固い団結を象徴する傷が。
(勝ったな)
マケランは確信した。
今、すべての兵士が、死んでも守り抜くという覚悟を決めたのだ。
そうなった城は、絶対に落ちない。
どれほどの戦力差があろうとも。




