39.黒蛇復活
共和国軍は多くの犠牲者を出しながらも、レイシールズ城のほとんどを制圧した。
残っているのは中央に立つ主塔だけだ。もはや勝負はついたと言っていいだろう。
勝利の功労者であるガルズは、負傷者用の天幕に運び込まれていた。
城壁の上から地面に落下したにもかかわらず、一命をとりとめたのだ。今は全身を包帯で覆われ、ベッドに横たわっている。
「信じられないぐらい頑丈な体だな。よくもまあ、あの高さから落ちて生きていたものだ」
見舞いに訪れたアドリアンは、呆れたように言った。
「うむ、しっかりと受け身をとったからな」
言葉もしっかりしている。
「ハハッ、まるで冗談のようにしか聞こえんな」
「味方はすでに城内に入っているのか?」
「そうだ。残っているのは主塔だけだ。これはおまえとウェアウルフたちの功績だ」
「マケランはどうなった?」
「主塔に運び込まれたようだ。おそらく死んではいない」
「むう……そうか……」
ガルズは無念そうだ。「奴にとどめを刺すことができなかったのは俺の失態だ。命知らずな女兵士に邪魔をされてしまったのだ。あの女、まさか俺の肉をかみちぎるとは」
「心配はいらん、もう城は落ちたも同然だ。明朝、残った主塔に総攻撃をかける。それでこの攻城戦も終わりだ」
「そうか、俺も近くで最後の戦いを見届けさせてもらおう」
「好きにしろ」
マケランを仕留めそこなったとはいえ、彼らは勝利を疑っていなかった。
―――
マケランはベッドの上で目を覚ました。周囲は真っ暗で何も見えないが、ここが自分の部屋であることはわかった。
(俺は、生きているのか?)
手足はなんとか動かせるが、起き上がるのは難しそうだ。
(熱い)
爪でえぐりとられた胸の傷は、痛いというよりも熱かった。まるで焼きごてを押し付けられているようだ。
「苦しいのか?」
横から心配そうな少年の声が聞こえた。
「ピットか?」
「うん」
「戦いはどうなった?」
「城壁は放棄して、みんな主塔に避難した。夜になってウェアウルフは引き揚げていったけど、代わりに人間の兵士が城内に入ってきてる。主塔の周りは敵だらけだ」
「味方の被害は?」
「戦死者が84人で、重傷者が29人」
(なんてことだ……)
「グラディスはどうなった?」
「最後まで壁上に残って戦ってたそうだ」
「……そうか」
(俺を助けるために、死んだのか……)
泣きたい気分だが、もちろんグラディスはそんなことを望んではいない。
彼女はマケランが勝利をもたらしてくれると信じて、その身を犠牲にしたのだ。
「ピット、明かりをつけろ」
「わかった」
ピットはサイドテーブルの上のランプに火を灯したが、自分は明かりの死角になる位置に移動した。
「どうした? 顔を見せてくれ」
「イヤだ」
「なぜだ?」
「泣いてる顔を……見られたくないからだよっ!」
ピットは震え声で叫んだ。
「オレがどれだけ怖かったと思ってるんだよっ! 会いに行きたいけど戦闘中は主塔から出るなって命令されてるし! 何もわからず待ってるのがどれだけつらいかわかってんのかっ! やっと戻ってきたと思ったら血だらけで意識がないし! このまま御主人が死んじゃったらって思ったら、オレは、オレは……!」
「すまん」
マケランはそれ以上何も言えなかった。
自分の体に目を向けると、上半身が包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「鎖帷子がズタズタに引き裂かれてたんだ。ウェアウルフの爪って、やっぱりすごいんだな」
ピットは感情を押し殺すようにして説明した。「司祭が言うには、安静にしていれば1か月後には歩けるようになるらしいぞ」
(冗談じゃない)
マケランは上体を起こそうとしたが、激痛で気を失いそうになり、再びベッドに倒れこんだ。
「おい動くなよ!」
ピットが怒声を上げた。
「問題ない」
「問題ないわけないだろ! 頼むから寝ててくれ! 無理して傷口が開いたらどうするんだ! まだ動くのは危険なんだよ!」
「動かないほうがよっぽど危険なんだ。敵は明朝にも総攻撃をかけてくる。そんな時に指揮官がずっと寝ていたら、戦いにならない」
マケランは諭すように言った。「そして主塔が落とされれば、間違いなく俺たちは皆殺しになる」
「ウー、じゃ、じゃあせめて今夜はゆっくり休めよ。明日の朝になって、少しは体調がよくなってれば――」
「それじゃ遅い、今動かないとダメだ」
マケランは痛みをこらえ、強引に上体を起こした。「今ごろ兵士たちは絶望して戦意を失っているはずだ。勇気を取り戻させるには、今すぐ指揮官が元気な姿を見せ、実はそれほど重傷ではなかったことを示す必要がある」
「いや、重傷なんだよ。そんな弱った姿を見たら、みんな余計不安になるぞ」
「弱った姿は見せない。俺は兵士たちの前ではずっと虚勢を張ってきた。これからもそうするつもりだ。さあ、俺のメガネはどこだ? ――いや、それよりもワインだ。ワインを飲ませろ」
「そんな体で酒を飲んで大丈夫なのか?」
「今こそ酒が必要な時だ」
ピットはもう反論しなかった。戸棚からボトルを持ってくると、サイドテーブルに置いたグラスに薄い琥珀色の液体を注いだ。
(ん? 琥珀色?)
「ウー、なんかすごいニオイがするな」
「なんだ、その酒は? ワインじゃないな」
「よくわからないけど、シングルモルトウイスキーって書いてある」
「ウイスキーがここにあったのか」
「サー・レックスは一番強い酒だって言ってた。よくわからないけど、強いのはいいことだよな。飲めばきっと元気になる。オレが飲ませてやるよ」
ピットはグラスをマケランの口元に近づけた。
薬品のような磯の香りが鼻をくすぐってくる。
(この独特のスモーキーさは、イーラック島産のウイスキーだな)
ピットはマケランの口に琥珀色の液体を流し込んだ。
アルコールの強さにむせ返りそうになるが、なんとかこらえる。今むせ返るのは非常によくない。
「うまいな。そして力強い」
強烈な煙り臭さの中に、ほのかな柑橘系の甘さが感じられる。
ピットは水のようにグイグイと飲ませてくるが、マケランはそれをすべて受け入れた。
「どうだ、元気になったか?」
「なった」
嘘ではない。アルコールが血中をめぐるにつれ、傷の痛みが薄れていく。
頭もクリアになってきた。ウイスキーが覚醒の酒と言われるのもうなずける。
そして体の奥からわきあがってくるのは、闘志だ。
大勢の仲間の死は悲しいことだが、今は嘆いている場合ではない。
「確かに顔色がよくなったな」
「ああ、もう大丈夫だ。――ピット、おまえに命令だ」
命令と言われて、ピットの目が輝いた。
「おう、何をすればいいんだ?」
「残っているすべての兵士を大広間に集めろ。今すぐにだ」
「わかった!」
ピットは走って部屋を飛び出していった。
(さあ、ここからが勝負だ。見ていろよ、グラディス)
マケランはサイドテーブルに置いてあったメガネをかけた。
そして顔を横に向ける。あの窓の向こうには彼の大事な84人の兵士を殺し、レイシールズ城の大部分を占領した者たちがいるのだ。
「共和国軍よ、黒蛇の本当の恐ろしさを教えてやる」




