23.指揮官の孤独
ベッド脇のサイドテーブルに置かれた皿の上には、焼いたソーセージが3本とちぎったレタスが載っている。ピットが用意した酒のつまみだ。
レタスはこの城の畑で育てているものを、たった今ピットが収穫してきた。ソーセージを焼いたのも、もちろん彼だ。
そしてピットは赤ワインのボトルを両手でしっかりと持ち、サイドテーブルの上に置いたグラスに慎重に注いだ。
「さあ飲んでくれ」
マケランはグラスを持ち上げ、多少のうしろめたさを感じながらもワインを口に流し込む。
ほどよい渋味と酸味があり、後口は甘い。熟成したブドウの香りが鼻に抜けていくのが心地よい。
続いてフォークをソーセージに突き刺し、熱々の肉にガブリとかじりつく。長期保存のためか塩気が強すぎる気もするが、その後に赤ワインを口に含めば、肉汁の甘さが際立ってくる。
そしてレタスだ。パリッとした食感とみずみずしさ。籠城中に生鮮野菜を食べるのは最高の贅沢である。
「兵士たちはワインを飲むことも夜食を食べることもできないのに、俺はこんな贅沢をしていいのだろうか?」
「いいに決まってるだろ。御主人はここで一番偉い人間なんだから」
ピットは断言した。「騎士ならそんな風に悩むことは絶対になかったぞ。あいつらは身分の低い奴らのことは、同じ人間と思ってないから」
「俺は騎士とは違う。兵士の気持ちを無視することはできない」
「難しく考えすぎなんだよ」
「どういうことだ?」
「御主人は脱走しようとした兵士を殺したくないんだろ? だったら殺さなきゃいいじゃないか」
「だが、それでは規律が――」
「そんなのどうでもいい。この城で御主人のやり方に文句を言える奴なんていない。好きなようにすりゃいいんだ。最終的に勝てば、誰も文句は言わないだろ」
「ここで脱走兵を許せば、他にも逃げる兵士が出てくるかもしれない。そうなれば勝ち目はない」
「なんとかしろよ。御主人ならできるだろ? 士官学校を首席で卒業した『黒蛇』なんだから」
ピットの言葉にはまったく迷いがない。マケランならなんとかできると信じきっているようだ。
しかし、マケランはそこまで自分に自信が持てない。学校の成績がよかったからといって、実戦でも優秀とは限らないではないか。
(士官学校か……。教官たちは軍規は絶対だと言っていたが……)
―――
「兵士は厳しい軍規によってしばりつけなくてはならない」
マケランの学生時代、ある教官は講義でそんなことを言った。「兵士は指揮官の忠実な人形であるべきだ。ひたすら感情を殺し、個性のない人形として命令に従う。そのような兵士がそろってこそ、どんな強大な敵とも戦える軍団になるのだ」
「教官、よろしいでしょうか」
手を挙げたのはリンクードだ。ハイウェザー家の嫡子でありながら士官学校に入った変わり者である。
「なんだ?」
「私は兵士が人形であるべきだとは思いません」
リンクードは立ち上がって意見を述べた。
「彼らは1人ひとりが感情を持った人間であり、だからこそ強いのです。兵士が死と隣り合わせの戦場で戦うことができるのは、隣に信頼できる仲間がいるからです。仲間の前で恥ずかしい振る舞いはできない、仲間を死なせたくない、仲間と共に勝利の喜びを分かち合いたい、そんな人間らしい感情こそが強い力を生むと私は考えます」
「甘い」
教官はその一言で切り捨てた。「君は公子として苦労せずに育ってきたから、そのような甘い考えを口にできるのだ」
諸侯の息子であるリンクードは、ここでは誰よりも身分が上なのだが、だからこそ教官たちの中には彼をうとましく思う者もいた。
王立士官学校に入学していながら、卒業後は王家に仕官するつもりがないと公言しているのも、教官に嫌われる一因だろう。
リンクードはギュッと口元を引き締め、隣の席のマケランに顔を向けた。
「マケラン、君はどう思う? 意見を聞かせてくれ」
リンクードはマケランを過大に評価しているようで、このように意見を求めてくることがたびたびあった。
教官にも発言をうながされ、マケランは仕方なく立ち上がった。
「私はリンクードの意見に賛成です」
そう答えると、リンクードはホッとしたように笑みを浮かべた。
「なぜ、そう思うのだ?」
教官に問いただされると、マケランはメガネをクイッと押し上げてから答えた。
「人間に感情が存在するのはどうしようもない事実であり、それを押さえつけるのは不可能だからです。過去に操り人形の軍隊をつくろうとした者は何人もいましたが、うまくいった例はありません。
指揮官のやるべきことは、兵士の1人ひとりが個性を持った人間であることを認識し、彼らが自らの意志で指揮官の命令に従うように導くことです。
先ほどリンクードは、兵士は隣に仲間がいるから力を発揮すると言いました。もちろんそれは正しいですが、私はもう1つ付け加えます。兵士は指揮官を信頼するからこそ、実力以上の力を発揮するのです。感情のない兵士にそれを期待することはできません」
マケランの言葉の説得力は、教官も認めざるを得なかった。
―――
(あの時はずいぶん偉そうなことを言ったものだ。責任のない学生の立場だから言えたことだな)
だが、今は違う。この籠城戦は外部から隔絶され、マケランが唯一の指揮官として全責任を負っているのだ。
「はあ……指揮官とは孤独な存在だ。なるほど、ワインぐらいじゃまったく釣り合わないな」
そう言って、グラスに残っているワインを一気に飲み干した。
「ほれ」
すかさずピットが注ぎ足す。マケランは再び赤い液体をグイっとのどに流し込み、空になったグラスを静かに卓上に置いた。
「おまえの言うとおりだ。確かに俺は難しく考えすぎていたようだ。いいことを教えてくれたな」
ピットを褒めてから、頭をガシガシとなでてやった。
11歳のウェアドッグの少年は照れくさそうに顔を伏せ、なでられるにまかせている。しっぽが右方向にぴょんぴょんと跳ね上がる。
そのまましばらくなでていると、
「……首」
「ん? 首がどうした?」
「頭をなでられるのは好きだけど、首をなでられるのも嫌いじゃない」
(そういえば昔飼ってた犬も、首をなでられるのが好きだったな)
マケランは両手でピットの首をはさみこんだ。
そのまま前後にさすっていると、ピットの頬はどんどんゆるんでくる。つり気味の目はトロンとなり、しっぽはさらに大きく跳ね上がる。
どうやら首の方が好みだったようだ。
(こいつは何があっても俺の味方でいてくれるだろうな)
それだけは確信できた。
「さっきの言葉は取り消そう。俺はそれほど孤独でもなかったようだ」
嬉しさを隠しきれない様子のピットの顔を見ながら、マケランは言った。
翌日もリザードマンたちがハシゴを登ってきた。
兵士たちはもちろん脱走兵の話を耳にしているだろうが、戦闘中にそんなことを考えている余裕はない。いつもどおりに迎撃し、日が暮れると敵は引き揚げていった。
戦闘を終えた兵士たちを、マケランは大手門前の中庭に集めた。今回はピットも連れてきている。
「みんな聞いているだろうが、昨夜この城から脱走しようとした兵士がいた」
マケランが語りかけると、兵士たちは表情を引き締めた。
「しかし脱走は失敗した。その兵士は西門を警備していたルーシーに左腕を斬られ、逃げ出した。この中にその兵士がいるはずだ。脱走は重罪であり、たとえ未遂に終わったとしても、軍規に照らせば死刑だ」
兵士たちがざわついたが、グラディスに「静かにしろ!」と一喝され、だまりこんだ。
「だが、俺はその兵士を許す」
グラディスが驚いた顔を向けた。シャノンや下士官たちもとまどっている。
「少尉、どういうことですか? まさか、なんの罪にも問わないと?」
「そうだ」
「なぜですか?」
グラディスの問いに、マケランは迷いなく答える。
「俺がそうするべきと判断したからだ」




