116.追う者、追われる者
兵舎裏の空き地で、黒蛇軍団の女性兵士たちが輪をつくっている。
輪の中ではレスリングが行われていた。
2人の兵士が組み合い、互いに腕を絡めて相手の体勢を崩そうとする。
「そこだ、押せ押せー!」
「何やってんの! 足をすくって倒しなさい!」
周りの者たちはエールを飲みながら、自分が賭けた相手に声援を送る。
兵士にとって最大の娯楽は賭博――これは男も女も変わらない。
「す、すごい迫力だな」
「ああ、さすがに軍務を離れれば、品行方正とはいかんようだ」
賭けには男たちも参加している。
ラブレーの統治のために王都から派遣された官僚たちだ。
彼らは荒っぽい女性兵士たちを、怯えと呆れが入り交じった表情でながめていた。
しばらくして、一方の選手が豪快に投げを決める。
「シエンナの勝ちよ!」
「あーっ! また外したーっ!」
「まあいいわ、次、次!」
悲鳴と歓声が響き渡った直後――
「司令官からの緊急召集! 全員、装備を調えて旧市街の広場に集まれ!」
下士官がやってきて号令を発した。
兵士たちの表情から、酔いと笑顔が一瞬にして消える。
「「はっ!!」」
彼女たちは大声で返事をすると、一斉に動き出した。
杯が地面に置かれ、賭け札が回収される。
手早く軍装を身につけ、準備のできた者から走り去る。
私語を発する者はいない。
そして、わずか数分で兵士たちは1人もいなくなった。
たった今まで賭けの熱狂に包まれていた空き地は、嘘のように閑散としている。
「なんだ、今のは……?」
残された男の1人が、呆然とつぶやいた。
「あれが兵士だ。切り替えの早さが俺たちとは違う」
別の男が、うなるように答えた。
「いや、俺が知ってる兵士は、あんなんじゃないぞ」
「そうだな、訂正しよう」
男は言い直す。「あれが黒蛇軍団の兵士だ」
―――
「殿下、起きてください!」
「うひぇっ!?」
フィディックに強く肩を叩かれ、ガラガラはあわてて手綱を握り直した。
馬上で眠りそうになったのは、これで何度目だろうか。
ガラガラが王都を出てから、ベッドの上で眠ったことは1度もない。
毎日、夜遅くまで逃避行を続け、そのまま野営する日々だ。
ガラガラとマクドールは、たまには町の宿屋に泊まってはどうかと提案したが、フィディックは強硬に反対した。
「王都から追っ手が来てるはずです。少しでも距離をかせがなきゃいけません」
フィディックは正しかった。
今まさに、追われているところだ。
ガラガラが馬上で振り返ると、街道のはるか向こうに、10人ほどの騎士たちが馬に乗って追ってくるのが見えた。
当然、向こうもこちらに気付いているだろう。
「殿下、この状況で眠れるなんて、よっぽどお疲れのようですね」
マクドールが心配そうに馬を寄せてきた。
「ああ、大丈夫だ。なんかすげーいい夢を見た気がするから」
「全然大丈夫じゃなさそうです」
「じゃあ、ちょっとだけ休んでいいか?」
「だめです」
「だよな……」
怖いので、もう後ろを振り返るのはやめておく。
「すでに旧ゲニントン公領に入っています。このまま駆け続ければ、明朝にはラブレーに着くはずですよ」
フィディックが安心させるように言った。
「はあ」
(てことは、今夜も夜通し走り続けるってことか)
気が遠くなる。
もちろん体力の限界なのは、馬も同様だ。
途中で何度か替え馬をしているが、今乗っている馬も、すでに丸2日走り続けている。
(マケランが迎えに来てくれねえかなあ)
そんな淡い期待をしてしまうが、それはあり得ない。
王都で起きた大事件を、マケランが知るはずがないからだ。
(マケランに会えさえすれば、すべてうまくいくんだが)
それについては、ガラガラは確信している。
マケランはメガネをクイッと押し上げ、こう言うのだ。
「殿下、私が来たからには何の心配もいりません。すべてお任せください」
「おお、じゃあ任せたぞ。俺様は寝てるからよ」
ガラガラは安心してベッドに飛び込む。
ドサッ!
激しい衝撃。
骨を砕くような痛みが、全身を襲う。
どうやら落馬したようだ。
馬は走り去ってしまった。
「殿下!」
「くっ、無理をさせすぎた!」
マクドールとフィディックが、あわてて戻ってくる。
(ああ、もう起き上がりたくない)
2人が耳元で、必死に何かを言っている。
しかしガラガラは、夢の中へ――
……………………。
(だ、だめだ! 起きねえと!)
眠りかけていた自分に気付き、あわてて立ち上がろうとする。
「殿下……そのまま寝ていてください」
マクドールはガラガラの肩に手を置いて言った。
「まあ、後は僕たちがなんとかしますよ」
フィディックまでが、嬉しいことを言ってくれた。
「でも、逃げねえと追っ手に追いつかれるだろ?」
「その心配は、もういりません」
「なんで?」
「もう追いつかれましたから」
ガラガラはガバッと体を起こした。
「お目覚めか?」
凜とした女の声。
視線の向こう、はっきりと顔がわかる距離に馬上の女騎士がいた。その後ろにも10人の騎士が、馬にまたがっている。
「君はデュランの部下の、サー・レオナだね」
フィディックはガラガラをかばうように前に出た。すでに剣を抜いている。
「いかにも」
レオナはうなずいた。「おまえは『堅実』のフィディックだな。そっちの前髪で顔が隠れてる男は、『双剣』のマクドールだ」
マクドールは黙って前に出た。彼も2本の剣を構え、戦闘態勢になっている。
「私の受けた命令は、王殺しのガラガラを殺すことだ。おまえら2人については、降伏するなら命は助けてやろう」
(王殺しだって!?)
ガラガラは怒りにかられて立ち上がった。
「お、お、俺様が親父を殺すわけがねえだろ! 殺したのはデュランとランスヘッドじゃねえか! 無実の人間に罪をなすりつけるなんて、ずるいぞ!」
「いいや、王を殺したのはおまえだ。それが……事実だ」
レオナは苦いものを飲み込むように答えた。
彼女にも、良心の呵責があるのかもしれない。
「こいつらに騎士道精神を期待しても無駄ですよ。さらし台に立ってる泥棒の方が、よっぽど気高い精神を備えています」
フィディックがため息をついて言った。
「なんだと、騎士を侮辱するか!」
「平民が! 身の程を知れ!」
当然のごとく、騎士たちがいきり立つ。
「お、おいフィディック、こんな時にホントのことを言ってどうすんだ」
「すいません殿下。つい本音が出てしまいまして」
「おのれ!」
騎士たちが馬上で抜剣し、前に出てきた。その表情には殺意がみなぎっている。
(い、いやだ、死にたくねえ)
ガラガラは恐怖のために体が動かない。
「さあ、3人ともここで骸をさらせ!」
騎士たちが馬腹を蹴った、その時――
ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ!
横合いから大量の矢が飛んできた。
「ぐあっ!」
「ぎゃあっ」
騎士たちが悲鳴とともに落馬する。
「何者だっ!」
レオナが矢の飛んできた方向へ顔を向ける。
そこではクロスボウを構えた女の兵士たちが、横に大きく広がって隊列を組んでいた。
「無法者たちよ、剣を収めろ!」
指揮官らしき男が、馬上で大声を発した。
「お、おまえは……もしや……!」
レオナは男の顔を見て、驚愕に目を見開く。
「この地の治安を預かる者として、君たちの行動は看過できない。抵抗するなら容赦はしない」
マケランはメガネをクイッと押し上げ、レオナに向かって言い放った。




