第28話 相対と詠唱
妖魔が出現したという場所は、村はずれの川の近くだという。依頼人から教えられた川へ向かうための道の入口は、細い獣道を思わせるものだった。
その入口へ足を踏み込んでみると、そこからのびる道は思ったよりもしっかりとしたものだった。この先の川の水が村人たちの生活用水なのだろう。水をくみに行き来する内に少しずつ整備されていったようだ。
木々の隙間から太陽の光が差し込んでくる。周囲に生い茂る木々の割には随分と明るい道だった。そんな道をしばらく歩いていると、不意に視界が開けた。
その川は思っていたよりも幅は狭かった。アルバの身体能力であれば、全力で跳べば越せるかもしれない。川の両脇は砂利が広がっているため、力を込めて踏み切るのは少し難しいかもしれないが。
「この川沿いに出るらしいな」
アルバは辺りを見渡しながら言う。左右どちらを向いても、川幅はずっと同じままだ。少しだけ傾きかけた太陽の光のせいで距離感がつかめていないのかもしれないが、細い割には随分長く続いているように見える。川沿いと簡単に言っても、その対象範囲は意外に広いのかもしれない。
「で、どっちに向かうのかしら?」
「依頼人の話だと川上で目撃されたとか言ってたな。そもそも緊急での依頼だから、村からそう遠くではないと思うが……」
「いや、多分川下の方にいると思うぜアルバさんよ」
「なぜ、そう思うんだ?」
依頼人の情報が絶対という訳ではないが、それでも一応の判断基準になる。闇雲に探したとして、陽が暮れてしまっても仕方がない。
そんなアルバの問いに対して、男は川向こうの上流にある森を指さす。そこは辺りの木々から一段低くへこんでいるように見せる。
「あんたらに会う前だったが、あの辺りは火が上がっていた。あの辺一体は燃えてしまっている。俺が妖魔だったら、この川沿いに下って逃げると思うがな」
「火事か何かか? ……アシアラ、この辺りは登って確認できる足場はあるか?」
「そうね……」
アシアラはキョロキョロと辺りを見渡すと、川の中腹へ向けて思い切り跳んだ。
「おい、何を……」
アシアラの突然の行動に対して、ローブの男は驚いた。そして、そのまま空中の見えない床に着地した姿を見て、もう一度驚いていた。
「あのガキ、浮けるのか?」
「まあな。あれでいて結構すごいんだぜ?」
「は~、便利なもんだな。この分だと、さっさと終わらせられそうだ。やっと帰れるぜ」
男は素直に感心しているようで、徐々に空を上るアシアラを楽しそうに目で追っていた。やっと帰れる、という男の言葉が少し引っかかるアルバだったが、その思考はアシアラの大声でかき消された。
「いた!」
たったの二文字。アシアラは火が上がっていたという方向を指さしている。そこに妖魔がいるようだ。
「外れだな」
「ま、何か賭けてたわけでもないさ」
アシアラが下りてくるのを待ちながら、二人はそんな言葉を交わしていた。そしてアシアラが砂利に足を降ろすと同時に、森へ向かって三人は走り出す。
道なき道を走っていると、その周囲から焦げ臭いにおいが漂ってきた。それは生木が中途半端に燃えたものだ。そして匂いの元へはすぐにたどり着いた。
黒、黒、黒、そして少しの白緑と照らすオレンジ。かなり広い範囲の木々が炭と化していて、パラパラと灰がまっている。運よく燃えなかったわずかばかりの草花が、むしろ悲し気に見える。
そんな大半の色を失った場所の真ん中に、一体の大きな妖魔がいた。黒いもやに包まれた巨体を揺らす姿は、地獄の瘴気をまとった鬼にも見える。
「あれが熊型……」
アシアラの問いに、アルバは静かにうなずく。疑問に思うのも無理はない。この妖魔は森の火事に巻き込まれてしまったのか、通常の熊型に比べて形は大きくゆがんでいる。しかも並のものに比べて一回りは巨大であり、異様な禍々しさを感じさせている。
あの日、まじかで妖魔を見たアシアラであったとしても、二つの妖魔の姿をそのまま結び付けられないだろう。
「無数の目を持つ炎の神よ、盟約に従い我が元へ光となり集え……」
不意に後方から聞こえてきた言葉に、アルバは思わず振り返る。そこには、片手を地面にかざして何かを唱えているローブ男の姿があった。
詠唱している。筋肉モリモリの男が静かに呪文を紡いでいる。突き立てられた拳の周囲には、淡く赤い光が波打っている。
もっと血気盛んな感じの魔法を想像していたアルバは、あまりにも冷静に、無機質に言葉を発する男の姿に少しだけ面食らってしまった。
そんなアルバの隣で、アシアラは妖魔をじっと見つめていた。先ほどのアシアラのつぶやきは、異形の姿に歪んだ熊型妖魔への疑問のそれではなかった。両親の命を奪った化け物への呪詛がこもったものだ。
妖魔の姿を捉えてから、アシアラは自分の視野が急激に狭まっていることを感じていた。怒りが、恨みが、心の底から湧き出てくる。
謎の詠唱に驚いているアルバを置いて、アシアラは一歩踏み出した。腰の剣を握りしめた時には、自らの役目が時間稼ぎでしかない事などすっかり忘れてしまっていた。




