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初めてだらけの海水浴・裏話(ハルキ視点)

 生成りのワンピースに麦わら帽子をかぶり、真新しいプールバッグを大切そうに抱えたアセビの姿を、何度も見てしまう。

 電車の窓から外を眺めていた時の横顔。

 俺の差し出した手を迷わず掴んだ時の無邪気な笑み。

 アセビから溢れている溌剌とした生気につられ、自然と周りも明るい雰囲気になる。可愛くて仕方ないといわんばかりの優しい眼差しで、ヒビキさんは愛娘の様子を見守っていた。

 

「ほんっと楽しみだね~」


 3人の着替えを更衣室のすぐ前で待っている間、やけに上機嫌なケイシに同意を求められる。

 意味が分からず首をかしげると、彼は「もう~、分かってるくせに!」と俺の肩を小突いた。未来では一回り近く年下だったケイシやシュウと同じ年になったことを実感するのはこんな時だ。

 

「神野ちゃんの水着だよ!? 大好きな彼女が可愛くて露出度高い恰好で来て出てくるんだよ? 本気で全く興味ないの? 堅物にもほどがない?」


 畳みかけられ、眉根が寄る。


 アセビの水着姿? そんなの、海に行くことが決まった時点で想像したに決まってるだろ。未来の彼女の輪郭を、温もりを思い出さなかったとでも?

 今のアセビはまだ15だ。無垢な彼女を男の視線で見てはいけない。事あるごとに自戒してるんだから、下手に煽るのはやめてほしい。


「変な想像するな」


 同じ強さで肩を小突き返す。

 自分から仕掛けた癖に、ケイシは「いっった!!!!」と大げさな悲鳴をあげた。すぐにシュウが目顔で窘めてくる。そんなに強くやってないし、ヒビキさんがこの場にいたらもっと早い段階で黙らせていた。


「ハルキ様。ケイシは楽しみで仕方ないんですから、少しくらい話を合わせてあげて下さい」


 同胞にはとことん甘いシュウが、保護者じみた苦言を呈してくる。ケイシは「そうだ、そうだ!」と調子に乗った。


「ちょっとはしゃいだだけなのに、柊のケチ!」

「他のはしゃぎ方をしろ、他の!」


 小声で言い合っているうちに、パラソルを借りに行っていたヒビキさんが戻ってくる。続けてアセビ達も更衣室から出てきた。


「すぐ前で待つのやめてよ……」


 俺たち4人を見て、アセビがげんなりした表情を浮かべる。鈴森と多比良もうんうん、と頷く。


「皆ただでさえ派手な見た目なのにさ。集まったら余計に目立つの分かってる?」


 自分のことは棚にあげた多比良にばっさり切られたが、それどころではなかった。

 アセビが手に持っているパーカーを奪い、彼女の肩にかける。それでも隠れたのは狭い範囲で、細い腰やすらりと伸びた足は丸見えだ。

 浜辺で遊んでいる遊泳客は少ない。それでも数名の男がアセビ達に色を含む視線を向けているのが分かった。

 少女と女性の端境にいる彼女達の放つ魅力は独特で、人間離れした美しさを振りまいている。無意識のうちに目で追ってしまうのだろうが、よその男に楽しみを提供するのは不愉快でしかない。


 ケイシも同じことを思ったのか、多比良を隠すようにさりげなく立ち位置を変える。

 俺もアセビをガードしたかったが、彼女はまるで無頓着だった。弾む足取りで急に駆けだしたり、立ち止まって貝殻を拾ったりする。

 ため息をこらえたせいで、不機嫌な顔になってしまったらしい。


「どうしたの? やっぱりハルキくんも暑い?」


 アセビが気にしたようにこちらを見上げてくる。

 他の男に水着姿を見せたくない、だなんて。そんなカッコ悪いこと言えるか。


「いや、大丈夫だ。アセビこそ暑いだろ? 早く荷物を置いて海に入ろう」


 そうすれば、少なくとも今のように見られなくて済む。


「うん! 楽しみだね! 海の水がどれくらいしょっぱいのか舐めてみるんだ~」


 向日葵を思わせる開けっぴろげな笑顔に、つられて笑みが浮かぶ。

 アセビは俺を見ると、さらに嬉しそうに瞳を和ませた。

 

 海に入ってからの彼女たちは、まるで人魚だった。

 白い手足を海面に煌めかせ躊躇なく潜っていく。パワードは――特に純血は水を恐れない。肺の作りからしてリーズンズとは異なるのかもしれないが、潜水時間も驚くほど長い。

 そういうものだと理解していても、はらはらしてしまう。

 頭の中で秒数を数える俺を、シュウとケイシは呆れたように見ていた。


 アセビと一緒に泳いでいるうちに、なぜか追いかけっこが始まる。

 この年で? と戸惑ったのも一瞬、アセビの愛らしい挑発に負けて本気になる。

 本気にならないと捕まえられなかった。

 さすがに疲れたのだろう、肩で息をするアセビを思いっきり抱き締める。


「これで説教してもいいな?」


 パワーを使って浮き輪を投げたことを持ち出し、からかってみる。

 未来の彼女は外で触れ合うことを好まなかった。やめてよ、としかめっ面で振り払われるのがオチだったのに、今のアセビは嬉しそうに俺を抱き締め返してくる。


「こうやってされるの、好き。すごく安心する」


 柔らかなふくらみを押し付けられ、全身が欲に侵されそうになった。

 必死に別のことを考え、身体を離す。


「自制スキルが上がったのは分かったから、人前で気軽にパワーを使わないこと。はい、説教終わり」

「え~。もっと! 物足りない!」

「終わりったら、終わりだ!」


 逃げ出す俺を、今度は彼女が追いかけてくる。

 立場逆転がおかしくて、俺もアセビも笑っていた。

 周りの視線を気にする余裕はどこにもなかった。目の前のアセビが眩しくて、愛おしくて、歓喜してしまう分だけ胸が痛かった。


 アザミさんを失った後、ヒビキさんや隣人にしっかり守られてきたアセビはまっさらで、柔らかな心の中を無防備に見せてくる。

 自分を溺愛しているヒビキさんを目前で殺されてもいないし、アザミさんからの手紙も受け取っている。そんな今のアセビに影がないことを心底嬉しくと思うと同時に、かつて愛した彼女と比べずにいられない。


 食べ物の好みはまるっきり変わってないし、細かな癖も同じ。

 自分より他人を優先するところも、想像力が豊かなところも、優しいところも腹の据わったところも何もかも、俺が好きになったアセビそのままだ。

 

 一つ違うのは、今のアセビは他人を信じていること。

 だがそのたった一つの違いはとても大きくて、俺はたまらない気持ちになる。

 本来のアセビはこうだったのだと、強く思い知らされて苦しくなる。


 俺が出会った時にはもう、神野アセビは欠けていた。欠損があることを隠そうともしなかった。

 皆を守りたいのに、誰も信じられない――彼女自身が誰よりアンバランスな自分を持て余していた。


『もっと早く出会えたらよかったんだね』


 そう彼女は言った。

 俺もそう思う。

 

 どうにもできなかった未来にしがみつく気持ちをいつか、どうにかできるだろうか。

 今の俺だって、今のアセビが出会うはずだった俺じゃない。そんな負い目も消えるだろうか。

 

 これでよかったのだと、いつか心から思える日がきてほしい。

 俺の罪も弱さも全部彼女にさらけ出し、今のアセビと未来を分かち合える日がきてほしい。

 

 欲深な俺は願わずにいられなかった。



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