後悔
携帯の画面を見つめたまま、佳音は思考が停止した。
『桧山さん。
宮沼しほです。
突然、連絡をしてしまい申し訳ありません。
黒沢君について、お話したい事があります。
来週の木曜日、会っていただけませんか?』
(何故……宮沼さんからメッセージが……?)
しほに連絡先を教えた覚えなどない。
しかし、しほは初対面にも関わらず佳音のフルネームを知っていた。
欲しい情報を手に入れる為なら、最早何でもするのだろう。
佳音はこのようなタイプから逃れる事に、半ば諦めのようなものを感じていた。
佳音は迷った。
出来る事なら、しほには会いたくない。
しかし、『黒沢君について』という内容が何なのか、すごく気になる。
(『黒沢君と一緒に亡くなった』っていう女性の事か……?もしかしたら浮気相手とか──)
『浮気』という単語が頭に浮かんで、佳音はため息をつく。
(飽きられても仕方ないな……こんな見た目だ……)
『いつ捨てられても仕方がない』と、割り切ったつもりだった。
だが、直弥の真剣な目を思い出し『浮気なんてするはずがない』とも思いたかった。
『分かりました。
どこに行けば良いですか?』
佳音は、そう返信する。
返信して、もう1ヶ月近く外に出ていない事に気付いた。
生活用品は全て宅配で頼んでいる為、外に出る必要はない。
それに何より、もう誰とも極力関わりたくない。
(結局……金を出してもらってる……)
佳音は今、オートロックのマンションに住んでいる。
金を出したのは秀一郎だ。
カーテンを締め切った部屋で、佳音はベッドの上で体育座りをして、情けなさと恥ずかしさから顔をうずめた。
午前4時。
空が白み始めた時間帯に、佳音は久しぶりに外に出た。
キャップを目深にかぶってマスクをし、上下黒いジャージだ。
さすがに雄太もこの時間に見張ってはいないだろう。
コンビニでスポーツドリンク・冷却シート・フルーツ・体温計を買い自動ドアを出ようとした時、先にドアが開いた。
佳音は視線だけドアへ向けると、びくりと体を強張らせる。
滝が、向こうから歩いて来たのだ。
佳音は、気付かれないように下を向いて歩く。
滝の横を通り過ぎて、マスクの中でホッと一息ついた。
「…………佳音?」
立ち止まった滝の視線が、背中に刺さる。
佳音の心臓は跳ね上がり、一気に呼吸が荒くなった。
(どうする……?立ち止まるか……振り返るか……)
佳音は歩く速度を落としたが、結局歩き続けて滝を無視した。
後ろで、自動ドアの閉まる音がする。
(……追いかけてくるような足音は、ないな……)
耳をそばだて、ちらりと後ろを確認して、初めて佳音は大きく息を吐き出した。
(滝、すまない……。でも『ここにいる』と知られたくないんだ……)
佳音は片手で口元を押さえる。
「…………気持ち悪い……」
一方。
コンビニからタクシーに乗り、マンションに帰ってきた滝は、ベッドに横たわりコンビニですれ違った人物を思い出していた。
(何で『佳音』だなんて思ったんだ……?)
つい名前を呼んでしまったが、向こうは立ち止まりもしなかった。
きっと人違いだったのだろう。
翌日。
夕食の席で、滝は直之に問いかけた。
「なぁ、父さん……。佳音って今、どこに住んでんの?」
「え?」
直之は何も知らないのか、目をぱちくりさせている。
「いや……。昨日、和樹の家の近くのコンビニで『佳音のような気がする』奴と、すれ違ったから……」
直之は首をかしげる。
「そうか……。俺は、どこに住んでいるかは知らないな」
「そっか……そうだよな……」
佳音だって子供じゃない。
働いて、どこで生活していようと本人の自由なのだと、滝も分かっているつもりだった。
夕食後、滝はベッドに寝転がりぼんやりと天井を眺めた。
(そういえば、佳音って何をして稼いでるんだ……?)
佳音がどういう仕事をしているのか、全く想像がつかない。
まさか親の脛を囓っているわけではないだろう。
(……体なんて……売ってないよな……?)
そう考えた瞬間、滝は呼吸が出来なかった。
佳音は、助けを求めない。
それ故に、一人で何とかしようとしてとんでもない事になるのだ。
高校生の頃は、極力関わりたくなかったから考えないようにしていたが、佳音は『クール』でも『一匹狼』でもない。
『虚無的』で『脆い』のだ。
壊れてほしくない。
けれど、悲しみに耐えている瞬間が美しい。
(歪んでるな……)
滝は自嘲し、片手で目元を覆う。
高校2年生の時。
夏祭りのポスターの前で『ほのかと2人で行く事になりそうだ』と言ったら、佳音は「行ってこい」と穏やかな笑顔で言い背中を向けた。
その背中が、ひどく弱々しく見えた。
あの時、衝動に任せて抱きしめていたら、何か違っていたのだろうか。
佳音は今も、近くにいたのだろうか。
何故か鼻の奥がツンとしてきて、滝は声を押し殺して泣いた。
時が経つと『物の見方』って変わってきますよねぇ……。




