短髪
滝はいつも通り教室から、登校する生徒たちを眺めていた。
最後と思われる生徒が廊下を走り去っていき、人の流れはぱったりと途絶えた。それを見て、滝は頬杖から顔を上げる。
(いない?)
佳音がいないのだ。
また風邪でも引いたか、と滝は眉間に皺を寄せ、机に視線を落とそうとした。
その瞬間、短髪の女子生徒が全速力で廊下を駆けていく。
滝は目を疑った。
(佳音……!?)
滝は思わず席を立ち上がりそうになったが、梢が入ってきた事ですんでの所で踏みとどまる。
(……一瞬しか見えなかったから、勘違いかもしれねぇな。大体、あいつが髪短くしたら、制服以外の女らしさ皆無じゃねぇか。もしかして、『長門』って奴と別れでもしたか?ざまぁみ──。)
朝のHRを聞きながら、滝は心の中で、短髪にした佳音への貶しと自分への言い訳を必死に並べている。
(……何考えてんだ俺はっ!)
守れなかった。
何故か直感的にそう感じた。
滝はそんな自分の思考に苛立ち、ぎり、と奥歯を噛み締める。それと同時に、押し寄せる後悔で胸が締めつけられるようだった。
放課後、音楽室に入ってきた楓は、顎のあたりまで髪を切った佳音を見て目を丸くした。
「どうしたの?バッサリ切ったねぇー。」
楓は、ピアノの椅子に座る佳音に近づき、しげしげと頭を見る。佳音はへらりと笑った。
「いや……なんか邪魔になって……。深い意味はないです。」
本当は、毎朝下駄箱に入っている手紙や、感じる視線、相談できる相手がいない事が佳音のストレスになっていた。最近では、映画のチケットやアクセサリーまで入っている始末だ。
(彼の脳内はどうなっているんだろう……。)
もしや雄太の中では、佳音は恋人設定になっているのだろうか。それとも、『押せばなんとかなる』と思って手紙やプレゼントを贈り続けているのだろうか。
本当は、吹雪や楓達に相談したい。だが、もしそれで彼らに危害が加わりでもしたら──。佳音はそう思うと、安易に口には出せなかった。それに、雄太の立場を悪くしたいわけではないのだ。
そんな佳音の葛藤をよそに、楓は疑う様子もなく「そっか」と納得した。
他の合唱部員と顧問も集まり、時刻は16時になった。
「んじゃ、始めるよー。」
いつも通り、部員たちは筋トレを始める。その間に佳音は、ピアノを弾く。
ピアノを弾いている時だけが、余計な事を考えなくて済む時間になっていた。
下駄箱の手紙を見て、佳音は朝から疲れたようなため息をつく。
手紙も贈り物も、最早そのまま返している。ただ、手紙に返事は書いていないが、開封すらせず返すのは申し訳ないので、一応目は通している。
(そこが『甘い』んだろうな。)
甘いのか優しさなのか、正直よく分からない。
佳音は自嘲気味に笑い、手紙を開く。
『髪切ったんですね。とても可愛いです。ですが、何か悩み事でもあるんですか?良かったら相談してください。』
(原因はお前だ。)
佳音は、この無邪気な元凶からの手紙を冷たい目で見下ろす。
手紙を鞄にしまい、佳音は歩き出す。
(髪を切ってもダメだったか。)
佳音は再びストレスが溜まる。
髪を切って、精神的に軽やかになった。だがそれ以上に、佳音にとって1番女性らしい部分を捨てたつもりだったのだ。
(どうすればいい……?)
これ以上捨てられる部分など──。
「おい。」
自動販売機の前で懐かしい声が聞こえてきて、佳音はゆっくりと前を見た。
ペットボトルを手にした滝がこちらを見ている。佳音は思わず足を止める。
「滝……。」
佳音は、縋り付きたくなる衝動を必死に堪え、無表情に滝を見る。
「何だ?」
「……放課後、時間あるか?」
佳音と一緒にいた時よりも表情が柔らかくなったようで、眉間に皺は寄せられていない。だが、口調は冷淡だ。
佳音はたっぷり間を置いて「あぁ」と小さく返事をする。滝はその返事の仕方に、不愉快そうに顔を顰めた。
「……話がある。」
滝はそれだけ言うと佳音に背を向け、さっさと歩いて行ってしまった。
「っ……。」
佳音は、右手をほんの僅かに滝に伸ばす。
(行かないで……!頼むっ!助け──。)
佳音はふと、右手から力を抜いた。
(大丈夫だ……。『助け』なくて良い……。)
佳音はもう1度、「大丈夫」と心の中で念じた。
放課後。
体育館裏に着いた佳音は、既に来ていた滝に、いつも通りの無表情で向かい合った。
「……で、何だ?」
佳音の無感情な声音に、滝はあからさまにため息をつく。
「最近、吹雪の事避けてんだってな。」
「……で?」
佳音は眉一つ動かさず、続きを促す。
「話しかけても避けられるし、電話もSNSも返事が来ない。何が理由か分かんねぇってよ。」
滝は冷たい目で佳音を見下ろす。
「お前、いっつもそうだよな。」
すると、佳音はふっと口角を上げた。
「それをわざわざ聞きに来たのか。ご苦労な事だ。」
「あ?」
鼻で笑う佳音に、滝は青筋を立てる。そこへ──。
「何、してるんですか?」
現れたのは雄太だった。佳音は体を強張らせる。
「上原……さん。」
佳音は消え入りそうな声で、突然現れた人物の名を呟く。滝は佳音を一瞥してから雄太に目を向け、「別に」と平然と言った。
「話してただけだけど。」
だが、雄太は尚も訝しげな目を2人に向ける。
「桧山さん、大丈夫ですか?」
「っ……何がですか?」
「いえ、怯えてるように見えたんで。」
その台詞に滝は反応する。
「俺が、脅してるように見えたか?」
こいつ脅して何の得がある、と滝は鼻で笑う。
「違う!本当に……話してただけで……!こいつは、彼氏でもなんでもないから!」
何も聞かれてないのに、佳音は必死に弁明する。滝はその反応に違和感を覚えた。
「つーか、お前こそ何してんだ?何か用か?」
滝は、突然現れた雄太に話を振る。
「……桧山さんに……ちょっと……。」
「ぇ……。」
佳音は強張った笑顔で少し後退る。
「映画の日にちを、いつにするか……。桧山さん、恥ずかしがり屋だから、全然連絡くれなくて……。」
雄太は少し頬を染め、躊躇いがちに言った。
「いや…………すみません。予定が、まだ……。」
佳音はぎこちない笑顔でやんわりと断る。
そんな佳音に、滝は衝撃的な言葉を言い放った。
「彼氏がいる事、言ってねぇの?」
「ぇ……?」
「は?」
佳音と雄太は目を丸くする。
佳音に至っては一気に血の気が引いていき、すっかり青ざめていた。
「どういう……事ですか?」
雄太が戸惑い気味に滝を見る。
「『どういう』って。こいつから聞けば良いだろ。」
滝は横目で佳音を見る。見ると佳音は俯き、しまった、とでも言いたげに口元を片手で隠していた。2人の視線が、佳音に集中する。
暫くして、佳音は「あー、まぁ……」と言葉を漏らす。
「………………別れた……。」
佳音はぎりぎり聞き取れるぐらいの声で、参ったように呟いた。
雄太はぽかんと口を開け、滝は目を閉じて「やっぱり」と鼻で笑う。だが、視線を佳音に戻した時、滝は眉をひそめた。滝の嫌いな、あの穏やかな笑顔だった。
佳音は顔を上げ、晴れやかに言う。
「あまり、言いたくなかったんだがな。」
「お前に女としてのプライドでもあったってか?」
再び鼻で笑い、歪んだ笑顔で貶してくる滝に、佳音は腰に手を当てる。
「まぁ、多少はな。……傷口に塩を塗るのは、もう良いだろう。」
「あぁ、そうだな。ドンマイ。」
滝は怪訝な目で佳音を見る。佳音は、参ったように笑っているが、どこか一安心したように静かに息を吐いていた。
「…………で、何の話だったか?」
「あー……。お前が『返事寄越さねぇ』って話だよ。こんな事でも説教されなきゃ分かんねぇのかお前は。」
「悪いな、無頓着で。」
「俺じゃなくて吹雪に謝れ。」
「あー分かった分かった。」
佳音の適当な相槌に、滝は苛ついたように舌打ちすると佳音に背を向けた。
「2度とこんな事言わせんな。」
滝は視線だけを後ろへ遣る。佳音は目を瞑って余裕そうな笑みを浮かべ、黙って聞いていた。
滝はもう1度舌打ちすると、雄太に目もくれず歩き出した。雄太は呆けたまま、不機嫌そうに帰っていく滝を見送っていた。
佳音は、滝の誤解をとくのを忘れていました。でも、「別れた」事で結果オーライにしたつもりです。




