エピローグ∶欠けた妥当
週末、約束通り日菜子の家に貼り紙を剥がしに行った。
何度も躊躇って押せなかったインターホンを前にして大きく深呼吸をしようとしたら、突然ドアが開いて背の高いおじさんが眉間に皺を寄せて出てきた。
「君は?」
きっと日菜子のお父さんだろう。
僕があたふたしてると
「あー、歩上君!来てくれたんだね、ありがと!!ほら、お父さん。この前話してた手伝ってくれるって友達!」
と日菜子が顔を出した。
「そうか、君が。すまなかったね、見ての通り最近悪さしていく連中が多くて。しかし、ちゃんと見れば君はとてもそんなことする人には見えないな。本当に失礼した。」
苦笑いしか出来なかった。
僕は夕暮れまで無心で貼り紙剥がしに没頭した。
そもそもこういうのは向いてるのかも知れない。
「最近は嫌な気持ちに疲れてたけど、君は純粋な善意でやってくれたのが伝わってきたよ。家が片付いたって話より、心が楽になれた。今日は来てくれて本当にありがとう。」
おじさんの眉間に皺は残っていなかった。
僕も嬉しくなった。
こうやって出来ることをこれからも探していけば良いのかも知れない。
帰り際、日菜子が声をかけてくれた。
「もし良ければ、咲子の家に行って手を合わせる?」
突然で戸惑ったけど、願ってもない。
咲子の家は日菜子の家からすぐ近くで、咲子のお母さんは快く僕らを迎え入れてくれた。
仏間に通してもらうと、あの笑顔の咲子が写真になって待っていた。
こんな形になってしまったけど、僕は初めて咲子に話しかけた。
君も僕?
僕は運が良かっただけ。
精一杯生き続けて自慢してやる。
本当は君と自慢し合いたかった。
君の選択はやっぱりバカだったよ。
「⋯⋯⋯歩上君?」
手を合わせて黙ってたら、日菜子に心配して声をかけられてしまった。
ついうっかりだけど、咲子とは話すことが多すぎる。
「また手を合わせに来させてもらっていいですか?」
「勿論。あの子も喜ぶわ。あなたの話を聞かせてあげてちょうだい。」
咲子のお母さんが微笑んだ笑顔は咲子にそっくりだった。
その帰り途中、鉄太と鉢合わせた。
「おーい!」
思わず手を振ると、アイツは気付いて僕の前に立った。
「今日はなんだよ。」
「たまたま見かけたから声かけた。」
「暇かよ。」
そう言って鉄太はどこかに行っちゃったけど、そもそも手を振ったらこっちまで来てくれるのが鉄太なんだ。
自首の件で結論はまだ出てないけど、正当防衛の線もあって少年院って話まではいかない見込みらしい。
早速康介に、更生アピールに有利だからって陸上部入りさせられて、100メートル走をやるって話になったそうだ。
「地味な800メートルやってるあいつと俺は違うんだよ。」
って嘯いてるかと思ったら、いきなり学校で一番のタイムを叩き出したって話だ。
あと、なんだかんだ言いながら康介のリハビリにもマウント取りながら付き合ってるんだって。
みんな、手探りだけど進んでいる。
自分を楽しんで生きたい。
たったそれだけのことが、当たり前じゃない。
個々の世界はシンプルでも、人の数だけ世界はある。
だから僕らは見落としてしまう。
信じることも、疑うことも、尊い。
大切なのは考え続けることだと思う。
もしかしたら、いつか僕の考えも変わる日が来るかも知れない。
でもそれはそれで前に進んだってことだ。
僕の妥当は欠けているから。
さて、これで僕からの話はお終いなんだけど、ここまで僕の事例に付き合ってくれた君へ、感謝の念を込めて最後に問いかけたい。
『もし君だったら、どうだっただろう?』
そしてもし、本作を読んで君の「正しいと思う基準」や「許す基準」が更新されているのだとしたら、それは「誰の妥当」だろうか。
その耳鳴りは気のせいさ。
歩上花太郎より




