第1話 最下位
「二年生、十月度ランキングを発表する」
教室前方。
担任の佐伯が操作すると、壁面の大型モニターへ二百五十人分の名前が表示された。
教室の空気が、一瞬で変わる。
順位を上げた者は小さく笑い、下げた者は息を呑む。
誰もが自分の名前を探していた。
だが。
岩崎蓮だけは、画面を見る必要がなかった。
自分の名前がどこにあるのか。
確認しなくても分かっている。
モニターの一番下。
そこに、蓮の名前はあった。
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第二学年 十月度総合ランキング
二百五十位 岩崎蓮
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最下位。
先月と同じ。
いや。
これで三か月連続だった。
教室の後方から、押し殺した笑い声が聞こえた。
「また最下位かよ」
「昔は一位だったのにな」
「一位って、入学時の評価だろ?」
「才能EXだったんだっけ?」
声は小さい。
だが。
蓮の耳には、はっきり届いていた。
聞こえないふりをする。
もう慣れていた。
入学したばかりの頃。
蓮へ向けられていたのは、期待だった。
史上初の才能判定EX。
S級を超える未知の才能。
将来は日本を代表する召喚士になる。
誰もが、そう信じていた。
教師も。
生徒も。
蓮自身も。
だが。
一年半が過ぎた今。
その期待は、すべて消えていた。
代わりに向けられるのは。
失望。
憐れみ。
そして。
嘲笑。
佐伯がモニターから教室へ視線を戻す。
「順位を確認したな」
先ほどまで聞こえていた声が止まる。
「何度も説明しているが、本校では年度末の総合ランキングを基準に、在籍資格の見直しを行う」
教室の空気が引き締まった。
日本には。
国が定めた最高水準の教育機関として、七つの召喚士学園が存在する。
通称“召喚士七大学園”。
各地の厳しい選抜試験を突破した者。
優れた才能を認められた者。
将来を期待された者。
そうした生徒だけが入学を許される、国内最高峰の召喚士育成機関だった。
蓮たちが通っているのも、その七校のうちの一つ。
七大学園では。
一般育成校では受けられない高度な授業や、充実した訓練設備が用意されている。
迷宮の攻略ノウハウ。
希少な召喚獣に関する資料。
現役探索者や一流召喚士による指導。
卒業後の進路においても、七大学園の生徒は大きく優遇される。
しかし。
一度入学すれば、卒業まで在籍できるわけではない。
一年終了時。
学年ランキング下位五十名。
二年終了時。
学年ランキング下位百名。
基準を下回った生徒は、七大学園の在籍資格を失う。
そして。
地域の一般育成校へ転籍することになる。
召喚士になる道そのものが閉ざされるわけではない。
だが。
教育環境。
利用できる設備。
参加できる実習。
受けられる支援。
その全てが大きく変わる。
世界最高峰のクラン≪クラウン≫を目指す蓮にとって。
七大学園から外されることは、夢から大きく遠ざかることを意味していた。
才能だけではない。
成長。
実力。
将来性。
それらを継続的に示せない者は、七大学園には残れない。
「二年終了まで、残り半年だ」
佐伯の言葉が教室へ響く。
「三年からは、より実戦的な訓練が始まる。
迷宮遠征、対人戦、合同討伐。
今まで以上に危険な実習も増える」
モニターの表示が切り替わる。
赤い線。
ランキング百五十位と百五十一位の間。
その線より下にいる百名が。
現時点で、一般育成校への転籍対象だった。
蓮の名前は。
そこから最も遠い場所にある。
二百五十位。
降格候補の最下位。
「順位は今後も変動する」
佐伯は続ける。
「残り半年で安全圏へ入ればいい。
現在下位だからといって、諦める必要はない」
その言葉に。
数人の生徒が、蓮を見た。
頑張れば上がれる。
普通ならば、そうだろう。
訓練を重ね。
迷宮へ潜り。
召喚獣を成長させる。
能力が上がれば、順位も上がる。
だが。
蓮だけは違う。
努力をしても。
迷宮へ潜っても。
何一つ成長しない。
「まあ、無理な奴もいるけどな」
教室後方から声が飛んだ。
水城海斗。
学年上位の召喚士。
普段のホームルームでは蓮と同じクラスだが。
実技訓練では、所属するクラスがまるで違う。
そして。
入学当初から蓮を敵視している男だった。
「やめろ、水城」
佐伯が低い声で止める。
だが。
水城は悪びれる様子もない。
「事実じゃないですか」
椅子へ背を預けながら、蓮を見る。
「半年あったところで、成長できない召喚獣が強くなるわけないでしょう」
誰も否定しなかった。
できなかった。
それが。
この一年半で出た結論だったからだ。
蓮は黙ったまま、机の上にちょこんと座る己の召喚獣を見る。
土でできた小さな人形。
手のひらほどの大きさ(待機形態)。
丸みを帯びた身体。
短足腕長。
深緑色の瞳。
ゴーレム系召喚獣のゴロ。
蓮の、たった一体の召喚獣だった。
ゴロは蓮の顔を見上げる。
そして。
周囲の空気を感じ取ったのか、小さく拳を握った。
「大丈夫だ」
蓮は誰にも聞こえない声で呟く。
ゴロが頷く。
その姿を見て、水城が鼻で笑った。
「才能EXで召喚したのが、成長しない土人形」
「水城」
今度は佐伯の声が強くなる。
「それ以上言うなら、実技評価を減点するぞ」
「……分かりましたよ」
水城は肩をすくめた。
佐伯は教室全体を見回す。
「ランキングは現在の評価でしかない。
上位の者も油断するな。
下位の者も、残り半年を無駄にするな」
授業開始の鐘が鳴る。
モニターからランキングが消えた。
だが。
蓮の頭には、二百五十位の数字が、いつまでも残っていた。
◇
放課後。
蓮は学園の訓練場にいた。
ほとんどの生徒は、すでに帰っている。
広い訓練場に残っているのは、蓮とゴロだけだった。
「もう一回いくぞ」
ゴロが力強く頷く。
待機形態から戦闘形態へ変化。
小さかった身体が、蓮の胸ほどの大きさまで膨らんでいく。
全身を形作るのは、茶色い土。
見た目だけなら。
どこにでもいる、低級のクレイゴーレムだった。
蓮が訓練標的を起動する。
「≪大地ノ拳≫」
ゴロの右拳へ魔力が集まる。
踏み込み。
拳を振るう。
──ドゴッ!
標的が大きく揺れた。
威力は低くない。
むしろ。
初級召喚獣としては高い。
ゴロは召喚された時点から、同ランク帯では頭一つ抜けた肉体能力を持っていた。
だからこそ。
一年目は何とかなった。
召喚直後。
周囲の生徒たちは、まだ自分の召喚獣を扱い切れていなかった。
スキルも少ない。
戦闘経験もない。
その中で。
最初から高い能力を持っていたゴロは、十分に戦えた。
一年終了時のランキング。
三百人中、百四十八位。
下位五十名の降格対象は免れた。
残ることはできた。
だが。
二年目。
周囲の召喚獣は次々に成長した。
存在階位が上がり。
新しいスキルを覚え。
進化する個体まで現れた。
一方。
ゴロは何一つ変わらなかった。
存在階位はF1で入学時から変化なし。
習得スキルは≪大地ノ拳≫のみでこれも入学時から変化なし。
進化もなく、階位はF級のまま。
順位はどんどん下がり、あっという間に最下位となった。
何百回も訓練した。
何十回も迷宮へ潜った。
何百体もの魔物を倒した。
食事。
睡眠。
訓練方法。
魔力の与え方。
召喚時間。
考えられる限りのことを試した。
それでも。
変化はなかった。
「もう一回」
ゴロが頷く。
再び拳を振るう。
──ドゴッ!
標的が揺れる。
「次は左」
──ドゴッ!
「踏み込みを深く」
──ドゴンッ!
何度も。
何度も。
拳を打ち込む。
やがて。
ゴロの動きが鈍くなった。
蓮も止める。
「今日はここまでにしよう」
ゴロは首を横に振る。
まだやれる。
そう言うように、胸を叩いた。
──どんっ。
「駄目だ」
蓮は近づく。
「無理をしても意味がない」
ゴロは少し俯いた。
蓮には分かっている。
悔しいのは、自分だけではない。
ゴロも。
成長できないことを理解している。
周囲の召喚獣が強くなっていくことも。
自分だけが変わらないことも。
それでも。
ゴロは毎日訓練する。
一度も嫌がったことはない。
一度も逃げたことはない。
「明日もやろう」
ゴロが顔を上げる。
蓮が拳を差し出すと。
ゴロも土の拳を合わせた。
──こつん。
小さな音が鳴った。
「まだ半年ある」
自分へ言い聞かせるように呟く。
現在。
二百五十位。
安全圏は百五十位以内。
半年で。
百人を追い抜かなければならない。
簡単ではない。
いや。
今のままなら、不可能だ。
それでも。
諦めるわけにはいかなかった。
蓮には夢がある。
世界最大の召喚士大会≪サモナーマスターズ≫。
その舞台で活躍する世界最高峰のクラン≪クラウン≫。
幼い頃。
画面越しに見た召喚士たちは、圧倒的だった。
召喚獣と共に戦い。
互いを信じ。
世界中の強敵を倒していく。
いつか。
自分もあの場所へ立つ。
クラウンへ入り。
世界一の召喚士になる。
夏希と共に語った夢だった。
学園で最下位の人間が、何を言っているのか。
そう笑う者もいるだろう。
それでも。
捨てられなかった。
「帰ろう、ゴロ」
ゴロが待機形態へ戻る。
蓮は小さな身体を肩へ乗せ、訓練場の出口へ向かった。
扉を開ける。
その先に。
一人の少女が立っていた。
長い黒髪に翡翠色のメッシュ。
整った顔立ち。
風宮夏希。
蓮の幼馴染だった。
「また最後まで残ってたの?」
「夏希こそ、まだいたのか」
「蓮を待ってたのよ」
夏希は蓮の肩へ目を向ける。
「ゴロも、お疲れさま」
ゴロが嬉しそうに頷く。
夏希は少し笑った。
だが。
すぐに表情を曇らせる。
「ランキング……見たよ」
「全員見てるだろ」
「そういう意味じゃないよ」
夏希は蓮を真っ直ぐ見つめる。
「あと半年だね」
「ああ」
「焦っちゃ駄目だからね」
「……」
「蓮は焦ると、一人で抱え込むから」
蓮は足を止めた。
「分かってるよ」
思っていたより、強い声が出た。
夏希が僅かに目を見開く。
蓮はすぐに視線を逸らした。
「……悪い」
「ううん」
廊下に沈黙が落ちる。
窓の外。
十月の空は、すでに暗くなっていた。
「先生に相談したの」
夏希が言う。
「何を?」
「ゴロの成長方法」
「またか」
「またでもいいでしょ」
夏希は諦めていない。
学園の資料。
過去の召喚記録。
ゴーレム系の進化例。
自分の家に残る文献。
今までも何度も調べてくれた。
だが。
手掛かりは見つかっていない。
「佐伯先生も、もう一度資料を調べてくれるって」
「先生も大変だな」
「そんなこと言わないの」
「……」
夏希の表情が曇る。
「蓮……」
「分かってる」
蓮は苦笑した。
夏希が何を言いたいのかは、もう分かっている。
「『才能は裏切らない』……だろ?」
夏希は少し寂しそうに微笑み、小さく頷いた。
「……そう」
夏希は昔から同じことを言う。
「私は蓮を信じてる」
蓮は答えない。
「ゴロも信じてる」
肩の上で、ゴロが夏希を見る。
「それに──蓮の才能も信じてる」
才能EX。
史上初。
誰にも正体が分からない才能。
周囲はもう。
判定装置の故障だった。
欠陥を示す評価だった。
そう考え始めている。
蓮自身も。
時々、そう思う。
だが。
夏希だけは、一度も疑わなかった。
「まだ半年あるよ」
先ほど。
自分がゴロへ言った言葉だった。
「……百人だぞ」
「百人抜けばいいんでしょ」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないよ」
夏希は真剣な顔で答える。
「でも、蓮は諦めてない」
「どうして分かる」
「諦めた人は、こんな時間まで訓練しないから」
何も言い返せなかった。
夏希は少しだけ笑う。
「私も手伝う」
「自分の訓練はどうするんだよ」
「ちゃんとやってる」
「ランキング三位が、一番下に付き合うなよ」
「順位は関係ない」
即答だった。
昔から変わらない。
夏希は。
誰が何と言っても、自分で決めたことを曲げない。
「明日から、また一緒に考えよう」
「今まで考えても分からなかっただろ」
「なら、分かるまで考える」
「半年しかないぞ」
「半年もある」
同じ時間。
だが。
蓮とは見え方が違うらしい。
蓮は小さく息を吐いた。
肩の上のゴロを見る。
ゴロは力強く頷いている。
夏希の意見に賛成らしい。
「二対一か」
ゴロが胸を叩く。
──どんっ。
蓮は思わず笑った。
「分かったよ」
できるとは思っていない。
間に合うとも思えない。
今までと同じ努力を続けても、同じ結果になるだけかもしれない。
それでも。
まだ終わったわけではない。
年度末まで。
残り半年。
ランキング二百五十位。
降格の最有力候補。
最下位から。
百人を追い抜く。
無謀な目標だった。
だが。
「最後まで、やってみるか」
ゴロが何度も頷く。
夏希も嬉しそうに笑った。
この時。
蓮はまだ知らなかった。
二か月後。
何一つ変わらないまま迎えた新年。
気分転換に訪れた神社で。
成長しないはずのゴロが──初めてその存在階位を上げることを。




