表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/4

第1話 勇者召喚

 勇者召喚は成功した。


 私だけが、失敗した。


「異界石、安定域に入りました!」


 召喚広間に、魔導師の声が響いた。


 白い石床には、王国で最も古い召喚陣が刻まれている。その中心に置かれた異界石は、氷のように透き通った石だった。


 けれど今は、石の内側で白い光が渦を巻いている。


 広間の壁際には王国騎士たちが並び、奥には王女クラリス殿下が立っていた。聖女ミリア様は胸の前で手を組み、静かに祈っている。


 私は召喚陣の端に立ち、杖で魔力の流れを押さえていた。


 リシア・アルフェン。


 王国魔導院所属の魔法使い。二十歳。今回の勇者召喚では、召喚陣の制御係を任されている。


 それから、もう一つ。


 私は、前世の記憶を持っている。


 前世の私は、日本で生きていた。


 有瀬澪という名前だった。こちらの世界で生まれ直してからも、その記憶だけは消えなかった。


 ただし、それを誰かに話したことはない。


 私はもう、有瀬澪ではない。リシア・アルフェンとして、この世界で生きている。


 だから前世のことは、胸の奥にしまってきた。


「リシア、出力が上がるぞ!」


 院長の声で、意識が戻った。


「分かっています!」


 私は杖を握り直した。


 召喚陣の線が、床の上で一斉に光る。空気が震え、広間の燭台が小さく揺れた。


 古い文献によれば、異世界から勇者を呼ぶ時、召喚陣は元の世界とこの世界の間に一瞬だけ道を開く。


 その道を通って来た勇者には、帰還紋が刻まれる。役目を終えれば、その紋を使って元の世界へ帰れる。


 だから、これは一方的な拉致ではない。


 少なくとも、そういう理屈になっている。


 私は、その理屈を何度も確認してきた。


 確認しなければ、少し落ち着かなかった。


「来ます」


 ミリア様が言った。


 次の瞬間、異界石が強く輝いた。


 白い光が柱のように立ち上がる。


 風が広間を吹き抜けた。騎士たちの鎧が鳴る。誰かが息を呑む音がした。


 光の中心に、人影が現れる。


 背は高い。細身。黒い髪。


 異世界から来た勇者。


 そう理解した瞬間、私は少しだけ息を吐いた。


 召喚は成功した。大きな事故も起きていない。


 あとは、勇者様に事情を説明して、協力をお願いする。


 それだけだ。


 そう思っていた。


 その人が、顔を上げるまでは。


「……え」


 声が漏れた。


 光の中に立っていた男は、ゆっくり目を開けた。


 少し眠そうで、困ったような目。何かを考える時、先に眉を寄せる癖。驚いているのに、周りを落ち着いて見ようとする表情。


 杖を握る指に、力が入った。


 知っている。


 その顔を、私は知っている。


 宮沢遥斗。


 私が前世で死に別れた、幼馴染で、初恋で、最後の恋人。


 私の遥斗だった。


 喉の奥が詰まった。


 どうして。


 どうして、あなたがここにいるの。


 私は二十歳で死んだ。


 病室で、彼の手を握ったまま、何も返せずに死んだ。


 もう二度と会えないはずだった。


 なのに今、異世界から召喚された勇者として、彼が私の前に立っている。


 彼は二十歳くらいの姿をしていた。


 私が最後に見た頃と、ほとんど変わらない。けれど、目元だけが少し違った。


 そこだけ、知らない。


 私がいない時間を生きた人の目だった。


「勇者様」


 クラリス殿下が一歩前へ出た。


「ようこそ、とは言いません。こちらの都合でお呼びしました。私はクラリス・レイヴェル。この国の王女です」


「王女……」


 遥斗は小さく繰り返した。


 理解は追いついていないはずだ。


 それでも、すぐに姿勢を正した。


「宮沢遥斗です。……説明してもらえますか」


 丁寧だった。


 こんな時まで。


 私は少しだけ視線を落とした。


 まずい。


 懐かしがっている場合じゃない。


 この人は、私を知らない。


 今の私は、有瀬澪ではない。


 髪の色も違う。目の色も違う。顔も、声も、名前も違う。


 私は、リシア・アルフェンだ。


「もちろんです」


 クラリス殿下はうなずいた。


「ただ、その前にお体を確認させてください。召喚には負担がかかります」


「体は……」


 遥斗は自分の手を見た。


 右手首には、白い紋様が浮かんでいる。


 帰還紋だ。


「少し、若返っている気がします」


 その言葉に、院長が顔を上げた。


「召喚体が最も安定する年齢で再構成されたのでしょう。異界召喚では肉体年齢と実年齢が一致しない事例があります。帰還紋が魂ではなく肉体情報に――」


「院長」


 クラリス殿下が静かに呼んだ。


 声は穏やかだった。


 けれど、それだけで院長は口を閉じた。


「詳しい説明は後ほど。今は、勇者様の不安を増やさないことを優先してください」


「……失礼いたしました」


 院長は深く頭を下げた。


 遥斗は、少しだけ苦笑した。


「いえ。専門家の方がいるのは、安心します」


 私は杖を握り直した。


 そういうところ。


 そういうところを、今ここで見せないでほしい。


 その時、遥斗の右手首が淡く光った。


「っ」


 彼が手首を押さえる。


 帰還紋の光は、細い糸のように伸びた。


 その先が、私の杖に触れる。


 広間の空気が止まった。


「リシア」


 隣でノエルが低く言った。


 同僚の魔導師で、何でも記録したがる男だ。


「今、何をした」


「何もしていません」


「本当に?」


「この場面で私を疑いますか」


「現象としては疑う」


「人としては?」


「後で考える」


「最低ですね」


 いつもの調子で返した。


 返したつもりだった。


 声が少し固い。


 ノエルはそれにも気づいたような顔をしたが、何も言わなかった。


 帰還紋が私の魔力に反応している。


 理由は分かりたくない。


 分かりたくないけれど、たぶん分かっている。


 私は、彼の世界を知っている。


 彼の名前を知っている。


 彼の過去を知っている。


 召喚陣は、それを目印にしたのかもしれない。


 そんなことを考えている間に、光は私の杖に触れ、少しずつ落ち着いていった。


 遥斗の表情も和らぐ。


「今のは?」


「帰還紋の反応です」


 私は答えた。


「勇者様を元の世界へ戻すための印です。召喚直後なので、少し不安定なのだと思います」


 遥斗は私を見た。


 さっきまでは、王女や広間全体を見ていた目だった。


 今は違う。


 帰還紋が示した相手として、私を見ている。


「あの」


「はい」


「あなたは?」


 名前を聞かれた。


 当たり前の質問だった。


 私は一拍遅れて、息を吸った。


 有瀬澪です。


 そう言えたら、どれだけ楽だっただろう。


 でも、言えるわけがない。


 死んだはずの恋人が、異世界で魔法使いになって目の前にいる。


 そんな話を、召喚されたばかりの人間に聞かせていいわけがない。


「リシア・アルフェンです」


 私は言った。


「王国魔導院の魔法使いです。召喚陣の制御を担当していました」


「リシアさん」


 遥斗が私の名前を呼んだ。


 知らない人の名前として。


「よろしくお願いします」


 彼は軽く頭を下げた。


 広間が少しざわつく。


 勇者様が、ただの魔法使いに頭を下げたからだ。


 私は慌てて頭を下げ返した。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 声は、ちゃんとリシアのものだったと思う。


 少なくとも、そう聞こえていてほしい。


 ずっと会いたかった人に、初対面として挨拶をしている。


 変な話だ。


 変な話すぎて、少し笑いそうになった。


 もちろん、笑えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ