ヒーローside
内心で「えぇええぇッ」と絶叫している内に、手首を掴まれて夜会会場から連れ出されていた。
貴族令嬢というのは走らなくても優雅に早足ができると物語で読んだことがあったけど、正しくその通り、走ってないのにめっちゃ早い。効果音つけるならホントに〝スタタタタ〟って感じだ。
しかしながら、この身体が思った以上にポンコツすぎて、早足についていくだけで息が上がっていく。
ネグレクト傾向にあるのは知ってたけど、体感しないとどれだけポンコツなのか解らないもんなんだな。早足に合わせてるだけなのに、全力疾走した時みたいにぜぇぜぇと息切れするなんて。
まだきちんと状況整理がついてないから、夜会会場から逃げ出すのは賛成だけど、足が縺れたりして、中々思ってるように身体が動かせなかった。
用意された馬車に乗り込まされてから、そういえばこういう時はエスコートするんじゃなかったかと気づいたが、後の祭り。
「あの」
意を決して声をかければ「あ、申し訳ありません。わたくしごとに巻き込んでしまいましたわ」と謝罪が返ってきた。
射干玉色のストレートが揺れ、猫目のような大きめな瞳が、まっすぐにおれを見ている。
やっぱり【捨て婚】のヒロイン:ベルガモットだ。
キツめな印象を与える容姿ではあるが、侯爵令嬢として礼儀作法は身につけているし、養護院の訪問では子供たち目線で遊ぶような、少しお転婆な一面ももっている。
侯爵家の跡取りがいないため、アルフレッドはベルガモットの婿になるわけだが、ベルガモットも婚約破棄されてたなんて【捨て婚】では出てこなかった。
確か、婚約はしてないみたいな話だった気がする。まぁ、婚約破棄されてたら、婚約はしてないでも間違ってないのか?
とにかくだ。
「いえ、ぼくも婚約を解消されたところだったので」
謝られることではないので、そこはこっちも迷惑かけてるってことを伝えておく。お互い様って言っていいか解かんないが、お互い様ってことで。
「わたくしはシガー侯爵家のベルガモットと申しますわ」
座ったまま淑女の礼をとる器用さに感動しつつ「ご丁寧にありがとうございます。ぼくはニース伯爵家のアルフレッドと申します」と、アルフレッドらしく返した。
「ニース卿、今後のことですが」
「はい」
「あの場で祝福を戴いてしまった以上、恐らくは婚約となるかと」
それは理解できるから頷く。
皆に祝福されて夜会会場を後にしたって表現されてたけど、物理的な祝福だった。
断罪もないぬるい婚約破棄から始まる物語で、だからこそ皆に祝福されたのかくらいで、さらっと流し読みしてたけど、よく考えれば相手は王女だったんだからあの場で祝福されることのほうがおかしい。
だが、賽は投げられてしまった。
けどな、まだ状況の整理ができていない。一旦家に返って部屋に閉じこもって、【捨て婚】についてもアルフレッドについても整理したかった。
「途中で降ろしていただければ、歩いて帰れますので「降ろしませんわ」―!?」
提案は食い気味に否定される。
「とにかく、あなたさまが今することは、美味しく食事して、よく眠ることですわ」
ビシッと行儀悪く指を突きつけて宣言され、その勢いに呑まれて、小さく頷いていた。
馬車が到着すると、出迎えた家令に「婚約者のニース卿よ、とりあえず入浴かしら。そのあと食事にするわ」と伝えたベルガモットは「また、あとで」と言って階段を上がっていく。
「では、こちらへどうぞ」
「は、い」
礼をとったままベルガモットを見送っていた家令がすっと手で示してきたので、すごすごと続いた。
それにしても、いきなり婚約者連れてきてるし、しかも婚約者変わってんのに、出迎えた使用人誰一人として動揺してないとか、ホント接客のプロだわ。バックヤードで噂しても良いけど、そういうのは表に出さないのが、接客のプロだもんな。
あの領域には絶対到達できないね。
伯爵家と比べると、豪華絢爛といえる玄関ホールも廊下も、下品な印象がない。伯爵家はどちらかというと、金持ってますアピールが溢れちゃってからなぁ…。
「ご入浴にお手伝いはいかがいたしましょうか」
「一人で大丈夫です」
「かしこまりました。では、入浴後よりお支度をお手伝いさせていただきます」
いつの間にか辿り着いていた浴室の前で家令が振り返って尋ねてくれた。
普通なら手伝ってもらったりするのだが、アルフレッドにはその経験はないし、おれにもないから断ったが、特に気にされる様子もない。
綺麗な一礼と共に去って行く家令を見送って、浴室へ入れば、入浴剤の良い匂いがしていた。
アルフレッドが気後れしているけど、おれには関係ない。温かい風呂は色々と癒してくれるもんだ。
風呂から出ると家令ではなく、従者が色々と塗りたくってくれて、髪まで乾かしてくれるという、至れり尽くせり。
そのまま少し大きめな室内着で案内されたのは食堂で、中にはベルガモットが待っていた。
「あら、顔色が少し良くなったみたいね」
湯船に浸かって血の巡りが良くなったからだろう、アルフレッドの顔色を見てほっとした様子で、おれは素直に「ありがとうございました」と答える。
「もう遅い時間だから、軽めのものにしてもらったわ」
用意されていたのは、パン粥と野菜スープだ。どちらも胃への負担は少ない。まともに食事をしてこなかったアルフレッドには丁度良いメニューだった。
話しをしながら食事をしたわけではないけど、ベルガモットがこちらをすごく気遣ってくれているのが伝わってくる。
そうか、傷心なアルフレッドはこうしてベルガモットに惹かれていくんだな。
「色々と話したいこともあるかもしれないけれど、今日はゆっくり眠って、また明日にしましょう」
「はい」
食事を終えるとベルガモットからそう声をかけられて、従者に案内されて客室へ向かった。本来なら侯爵や侯爵夫人にも挨拶しなければいけないんだろうが、まだ夜会から戻っていないらしい。
ふかふかのベッドに寝転がって、おれは目を閉じた。
【捨て婚】は【捨てられ婚約者拾いました】というタイトルの、婚約破棄からのハピエンを描いたラノベである。
当時結婚を前提に付き合ってた彼女に浮気されて捨てられたおれは、捨てられ拾われ系のラノベにどハマりしていて、【捨て婚】もその一つだった。
捨てられたヤツが拾われて幸せになることで、おれも一緒に幸せになれる気がしてたんだよな。我ながらアホというか、何というか。
あとはまぁ捨てられたヤツがわりと重いタイプで、それが多分おれとも重なったんだ。
さらに【捨て婚】はヒロインがカッコ可愛い系で、おれのタイプでもあったから、余計覚えてるんだろう。
大きな事件は特にないが、アルフレッドがいなくなった伯爵家が立ち行かなくなって、シガー侯爵家とニース伯爵家にトラブルが起きて伯爵家が潰れ、そのことで王女ヨンナに報復されそうになるくらいだ。
ただベルガモットに全振りしたアルフレッドは、元々チートキャラなので、さらっと伯爵家を潰してしまう。やっぱりそこはラノベらしく「ぼくを受け入れてくれたのはベルガモットだけです」って、切り捨てる。
使用人以下の生活をしてきたアルフレッドを否定するでなく、ベルガモットは一緒に何かをしたいとはっきり伝えてくれる人で、侯爵令嬢としての凛とした一面もあって、アルフレッドはそんなベルガモットと並びたくて頑張るんだよな。
こうやって落ち着いて考えてみると、思い出したのは【捨て婚】の中身よりも、読んだおれの感情のほうばっかりだ。一字一句間違いなく覚えてるとかない。
重要性が高い場面場面は覚えてるけど、それがいつ来るのかまでは解らないんだよな。あれって物語の流れでいつ何時いつですってはなってないし。
アルフレッドの記憶は諦めばっかりだ。
王女ヨンナとユルフレッドが一緒に夜会に来たことで、堪えてきていた感情が切れ、おれと入れ替わったらしい。それが記憶が戻ったと感じた瞬間だ。
二人で一人なわけだけど、記憶はそれぞれが持っていて、それを共有しているようなイメージ。
さて、ハピエンに向けて、とりあえず寝るか。




