第3話「王都での約束」
それから一週間が過ぎても、ルイティルの心は晴れなかった。
夜、ベッドに入っても、アレクシスの困惑した表情ばかりが頭に浮かぶ。
なぜあんなに慌てたのだろう。
わたくしは本当に、彼を困らせるようなことを言ったのだろうか。
そして何より——なぜこんなにも、彼に会えないことが辛いのだろう。
「ルイティル、少し痩せたんじゃない?」
朝食の席で、母のイザベラが心配そうに声をかけた。
ルイティルは卵料理にほとんど手をつけず、パンも一口かじっただけだった。
「そんなことは……」
「いや、確かに顔色が良くないな」
ジュリアンも妹を見つめて眉をひそめる。
「最近、夜中に部屋を歩き回る音が聞こえるんだ。よく眠れていないんじゃないか?」
ルイティルは返答に困った。
確かに、ここ数日はまともに眠れていない。
「お嬢様」
エドムンドが心配そうに口を挟む。
「お食事もあまり召し上がっていらっしゃいません。何かお悩み事でも?」
「いえ、そんなことは……」
でも、家族の優しさに触れると、つい涙ぐみそうになる。
ジュリアンが立ち上がった。
「ルイティル、そうだ。来週、僕は王都に行く予定があるんだ」
「王都に?」
「ああ。領主会議と、いくつかの書類手続きがある。君も一緒に来ないか?」
ルイティルは驚いた。
「でも、わたくしが行っても……」
「気分転換にいいと思うんだ。王都の別邸も久しぶりだし、街を見て回ったり、お買い物をしたり」
ジュリアンの瞳には、妹への深い愛情が宿っていた。
「それに」
彼は少し声を潜めて続けた。
「王宮の図書室にも立ち寄れるよう、事前に許可をもらっておこう。君が好きな古典書もたくさんあるはずだ」
「本当ですか?」
ルイティルの表情が、久しぶりに明るくなった。
王宮の図書室——それは二年前のお披露目で、あの近衛兵と出会った場所。
「ああ。君に元気になってもらいたいんだ」
ジュリアンは微笑んだ。
「お兄様……」
ルイティルは胸が熱くなった。
兄がどれほど自分を心配してくれているか、痛いほど伝わってくる。
「ありがとうございます。ぜひ、同行させてください」
一週間後。
ベルモント家の馬車は、王都に向けて出発した。
石畳の道路、美しい並木道、立派な商館や邸宅——王都の景色を見ているうちに、ルイティルの心は少し軽やかになった。
「ルイティルは二年ぶりだったかな」
ジュリアンが馬車の窓から外を眺めながらつぶやく。
「二年前のお披露目以来ですね」
「まだ父が生きていた頃で、私は領地にいたけれど……とても綺麗だったと聞いたよ」
兄の言葉に、ルイティルは頬を染めた。
「でも緊張していましたわ。初めての王宮でしたから」
「そうそう、王宮で迷子になったんだったな」
ジュリアンが笑う。
「でも、親切な方が道を教えてくださって……」
ルイティルの声が、わずかに震えた。
あの時の記憶が、鮮明に蘇る。
優しい声、深い緑の瞳——そして今、心から離れないアレクシスの面影。
王都の別邸に到着すると、ジュリアンはすぐに仕事に取り掛かった。
ルイティルは一人、久しぶりの王都の街を眺めて過ごした。
翌日の午後、ジュリアンが王宮から戻ってきた。
「お疲れ様でした、お兄様」
「ああ。そうそう、図書室の件、許可がもらえたよ」
「本当ですか?」
「明日の午後、二時間ほど利用できることになった」
ジュリアンは満足そうに頷く。
「それと……」
彼の表情が少し複雑になった。
「偶然だが、ウィンターボーン伯爵にお会いした」
ルイティルの心臓が跳ねた。
「ウィンターボーン伯爵に?」
「ノーサンバーランド家は伯爵のご縁戚で、私たちの領地とも近いし、アレクシス様のことで妹が心配しているので聞いてみたんだ」
ルイティルは息を呑んだ。
「それで、僕は正直に話したよ。君が少し落ち込んでいること、アレクシス様のことを心配していることを」
「お兄様……」
「伯爵は驚いていらした。そして、こうおっしゃった」
ジュリアンは妹を見つめる。
「『それは申し訳ないことをした。アレクシスには事情があるのだが、ルイティル様にはきちんとお詫びをするべきだった』と」
ルイティルの胸が高鳴った。
「それで?」
「明日、図書室にいらっしゃる君に、アレクシス様もお会いしたいとのことだ」
その瞬間、ルイティルの世界が明るくなった。
ついに、彼に会える。
あの時の謎を解く機会が訪れるのだ。
「本当に……?」
「本当だ。伯爵が直々に手配してくださった」
ジュリアンは妹の嬉しそうな表情を見て、安堵の表情を浮かべる。
「良かった。君の笑顔を見るのは久しぶりだ」
「ありがとうございます、お兄様」
ルイティルは心からの感謝を込めて礼をした。
その夜、ルイティルは久しぶりにぐっすりと眠ることができた。
明日、アレクシスに会える。
彼がなぜあんなに動揺したのか、きっと答えが見つかるはずだ。
そして——自分の気持ちにも、決着をつけることができるかもしれない。
二年前の初恋の人への憧れなのか、今のアレクシスへの想いなのか。
その答えを見つけるために、明日という日がある。
窓の外で星が輝いている。
同じ星空の下で、アレクシスも明日を待っているのだろうか。
ルイティルは静かに微笑んで、瞳を閉じた。
明日こそ、すべてが変わるかもしれない。
そんな予感と共に、穏やかな眠りに落ちていった。




