#36 気を付けてね。
ワプル村西エリアに集まっているのは、この村ではすっかりお馴染みとなった天使族や村の青年達で結成された自警団、そのどちらかと多くの面識を持つ村人達だ。
あとは…えーと、ふわふわ浮いた気色悪い俺も居たりする。って誰が気色悪い物体じゃい!
「ルアさん、どうかしたの?」
『なんでも無いよ』
それぞれが旅立つ者に餞別の品を渡したり、お互いの無事を願った言葉をかけ合ったりしている。そんな人達の中央に立ったミハエルは「我ら討伐隊の事は案ずるな。自分達の身の安全を一番に考えよ」と力強く言い放つと、ドンと構え出発を待っていた。
そして討伐隊が主役の一人、討伐隊の中で唯一の人族であるメルは母であるエリスにギュッと抱きしめられている。いつものエリスならば、メルが友達とピクニックにでも行くかの様に呑気に“行ってらっしゃい”と言うところなのだが、今日はいつになく心配している様子だ。
「メルちゃん、あなたの事は信じてるわ。でもね、黒ノ王は今まであなたが出会った何よりも人知を越えた強大な存在なの。お願いだから、どんな状況でも命だけは守ってね」
「……!!お母さん……」
エリスに耳元で囁かれたメルは少し動揺し、なんと返して良いのか分からずに、ただギュッと抱き返した。娘の旅立ちを見送る母という状況において、初めて見せた一般的なやり取りである。ただ一つ残念なのは、娘が一般とは違い怪力少女という事だ。
ギューッ!ミシ……ミシミシ……。
「メ……メルちゃん………苦し…い……」
「あっ、ごめんなさい。心配してくれてありがとう、お母さんも気を付けてね」
その時、メルの眼からポロリと涙がこぼれ落ち、俺を含む討伐隊の面々はすこしだけザワついたが、涙した本人が誰よりも一番驚いていた。
◇メルは、いつもと違うエリスに動揺したから?と考えたがその涙はそんな単純なモノではなく、結局理由は分からなかった。
それは元の世界の母親からはたったの一度も本気で心配して貰えた事の無かったメルが、初めて本気で母親からの心配を受け……本当の愛情を感じた事で出た涙だったのであろう。
その涙を見て、裏の事情を知るリエルはギュッとメルの服を握りしめ、ルベルアはそっとメルの肩に手を置いた◇
「行けるか?メル」
「はい、大丈夫です!」
アリエスがいつもと変わらぬ“ぶっきらぼう”な口調でメルに聞いた。きっと、何かを察したアリエスなりの優しさであり、メルもその事を感じ取ったのだろう。服の袖で眼を擦ると、エリスとモルドーを順番に抱きしめ、笑顔で手を振った。
やがて、村長のジジイとの話を終えたテスタントが徐に皆の前に出ると、固く握った拳を空に向かって突き出した。
「主に代わり、我が言葉を出立の挨拶とする!村と皆様の安全の為に!我らの武功を確信し!黒ノ王を討伐する事を約束しよう!」
テスタントの言葉に合わせる様にミハエルが秘剣を高々と掲げると、天使の皆も拳を上に突き上げた。
俺は少し出遅れ気味に拳を上に突き出したが、気合いが空回りしてしまい、拳が空高くまで飛んで行き、そのまま戻っては来なかった。バレない様にと直ぐに新たな拳を作り出したが、俺の腰(っぽい部分)をメルが笑いながら肘で小突いた。
恥ずかしいから見なかった事にして欲しかった。
「余に続け!遅れるでないぞ!」
「「「「ハッ!!」」」」
ミハエルの大きな声が響き、その声にテスタント、ククア、ノート、リエルが“ドラゴフォーム”を唱えドラゴンと成り、いつものパートナーが跨がった。
メルはリエルの背に乗り、美しい白の鬣にしっかりと掴まっている。
あれ?メルは俺と一緒に行くんじゃないのか。
「メル!」
バースに呼ばれたメルが、鞄から水筒を出して振って見せると、バースは喜ぶ犬のしっぽみたいに何度も何度も手を振った。
「ではルベルア様、荷物はお願いします。壊れそうなものは鞣し革で包んであるので全力で飛んでも問題ありませんので」
『んっ?』
当たり前の様に言い残し、先頭となって飛び始めたテスタントドラゴン。ちょっと待った、荷物持ちはテスタントじゃ無かったんかい!
俺と共に残された大量の荷物。ここで不貞腐れていても仕方ないので、俺は体を大きく伸ばし渋々荷物を包み込み、フワリと浮き上がった。大量の荷物に心が折れそうになったが、思ったよりも大丈夫そうだ。
『じゃあ村の皆、俺はちょいちょい戻ってくるけど、行ってくるよ!』
「……………………………………………」
おいー!スルーはやめろよー!マジ泣くぞコラ!
「ルベルア様ー!早く行ってくださーい!」
小鳥の声すら聞こえぬ静寂、棒立ちする村人達、その中で唯一ガリガリガリバーだけが一生懸命に大きく手を振っている。
アイツの事は馬鹿な奴としか思ってなかったけど、村が危険になったら真っ先にアイツから助けてやろう。けど“早く行ってください”は無いだろ。
これ以上居ても悲しくなる、そう思った俺は空高く飛び上がった。が、そこで信じられないモノを目にした。木々の間に広がる空き地、そこに俺に似た地上絵が浮かび上がっていたのだ。
◇この地上絵、実は昨日の教会での会議を聞いていた村長が、これから村を守る事になるルベルアの為にと、昨日から今日の昼頃までにと急ぎで完成させていたのである◇
俺は心底感動した。涙を流すことが出来ないのが悔しい程に。そして新たに心に誓った、この村に自分がいる限り、絶対に危険にはさせないと。
『よし!行くか!スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウッッ』――キュンッ!!
全速前進、一気に最高速度まで達した俺は、体に大量の荷物が入っている等とは思えない速さで飛び始めた。実際どれ程の速さが出ているのかは俺にも分からないが、飛び始めてから少し経った所で二百メートルくらい下を飛んでいたミハエル達を追い越し、遠く引き離した。
◇アリエスとトマスは一瞬のうちに姿が小さくなったルベルアに、ため息にも似た笑いを洩らした。一方、弾丸の様に飛んでいくルベルアを見て思わず目を丸くしたミハエルだが、次の瞬間には対抗心を燃やしてテスタントドラゴンの上に立つと、勢いよく剣を抜き放った。
「余も秘剣の力を使えばあれしきのスピードは越えられるぞ!期待に応えよ!神器・選定ノ―――」
「我が主、主の技は確かにあれ以上の速さになりますが、ルベルア様に追い付く前に魔力を使いきってしまいます。どうか今は剣を収めて下さい」
テスタントドラゴンが静かな口調で言うと、「むう、確かにそうであるな」と剣を収め、ドシッと跨がり直した。
「わぁ。ルアさんって一人ならあんなに速く飛べるんだ」
「キュウッ!」
メルがポツリと言うと、その言葉にリエルドラゴンが反応し一鳴きして返した◇
◇◆◇
モンスターの群れをかき分けて……という事も無く、出発してから三十分程経った頃、俺は高度を下げ地上を注視した。違和感を覚えるほど順調に飛んできたのだが、それらしき村は見えない。テスタントの話が本当ならばフスカまでは四百キロ。って事はそろそろ着く筈。
『確か、大岩を通り過ぎれば見えてくるって言ってたが』
大体の位置しか聞いていなかったが、こんな時こそ用意周到なテスタント持たされた地図の出番だ。
『どれどれ?えーっと、さっきの大岩がここだから……っわ!!』――ックシャクシャクシャ!!ビリリッ!!
“ハッ”として止まった時にはもう遅い。地図は飛行の速さに耐えきれずバラバラに千切れて飛んでいってしまった。
マジか!!俺の地図がー!!おのれ、空気抵抗め!我が地図の怨みどう返してくれようか……。
………………………………。
どうしよう……!
困った。子供の頃ホームセンターで迷子になった時の二十五倍困った。
皆を追い越して勢いよく飛んできただけに戻るのはちょっと恥ずかしい、とはいえ狼狽えてキョロキョロしてみてもここは全く知らない土地、見覚えのある景色などあるはずが無い。
焦っていてもしょうがないし、とりあえず膨らんでみるか。フグと同じレベルの思考回路だと思うと少し悲しいが、そこは諦めよう。
『これで、視力強化っと』
全長約三十メートル程に膨らんだ俺は、大きくなった眼に視力強化魔法を使い、再び下を見渡す事にした。オロオロと飛びながら景色を見渡していると、景色の中にポツポツと点在する数軒の家を見つけた。
おっ!!あれ村じゃね!?距離的にもあれがフスカで間違いない。なんか動いてる人が見えるけど、村人は避難したんじゃなかったっけか?もしかして、あんなにいっぱいベクールからのローグが集まってくれたとか?緑っぽい人が多いみたいだけど、なんて種族なのかな。
安心した俺は都合の良い解釈をし、フスカ村へと向かって急降下を始めた。“緑っぽい人達”が、急に巨大な黒い塊が降ってきてパニックになっているとは知らずに……。