#21 二つのセカイ。
◇ここは日本・北海道のとある病院。田舎にしては大きな規模であるこの病院に意識不明の重体患者が運ばれた。それ自体は悲しい話ではあるが珍しい話では無い。
ただ、少し変わっていたのは警察の調べでも彼がどうやってその状態になったのか分からない事と、彼は極希な全く身寄りの無い人だったという事だ。
病院理事長も、身寄りの無い事実が纏められた書類と彼の容態を見た時に治療費の事は諦めたが、せめて最後の刻まで見届けようという献身的な精神で治療が続けられていた。しかし、彼の身を預かってから一ヶ月と二週間が経った日の事、驚くことに事態は一変した◇
「先生来てください!深澤 円さんが目を開けています!」静かな五階病棟に女性看護師の声が響いた。
ここは?――――天井が見える……。木造の優しい造り……ではない。白のボード天井に白い蛍光灯が二本並んでいる。一体ここは何処なん……痛っ、体が痛い。まるで自分の体じゃないみたいに固まっている。
「起きてすぐに申し訳ありませんが、深澤さん、自分の名前が分かりますか?」
「………はい」
「念のため、下の名前を言ってもらえますか?」
「……まど……か、まどか……です」
「有り難うございます。今こちらに先生が向かってるので、まだ寝ていてくださいね。ずっと寝たきりだったから……体、硬くなってますから」
この清楚な雰囲気の女性は……看護師さん?なんて優しい口調なんだ。彼女は“天使族”よりずっと天使だ……。
――!?天……使族………?
メル……メルは?……メル!!
脳裏につい先程までの事が鮮明に甦ったが、ここはどう見ても元の世界。俺は微かに動く手を持ち上げ、影のような悪魔じゃないことを確認した。長い夢でも見ていたのだろうか?そう思った時、この世界で最後に見た光景を思い出した。
「あの、看護師さん……。俺と一緒に病院に運ばれた女の人は助かったんですか?」
なんとか掠れた声を絞り出して尋ねると、看護師さんは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「えっと、深澤さんが運ばれた時、一緒に運ばれた人は居ないですよ?」
居ない……?あぁ、そう言えば二人一緒に倒れていたとしても同じ病院に運ばれるとは限らないんだっけか。
「そう……ですか。違う病院かもしれませんが、一緒に倒れていた女の人が居るはずなんですけど、助かったかどうか分かりませんか?」
少し質問の内容を変えて尋ね直してみたが、看護師さんの不思議そうな顔は変わらない。
「まだ少し混乱していると思うのですが、深澤さんは一人で倒れていたんですよ。頭に怪我をして倒れていたので、警察が色々調べたみたいですけど、今も詳しいことは分かっていない様ですね」
「そんな……そんなはずは……」
シャッ!という音を立て、ベッド周りを仕切っていた薄いピンク色のカーテンを勢いよく開けて入ってきた医者が、俺の顔を見るなりポッカリと口を開けた。
「これは驚いた……!」
「目覚めたばかりですが、深澤さんの意識はしっかりしていそうです」
「それは良かった。深澤さん、お帰りなさい!あなたが目を覚ましてくれたのは奇跡ですよ!」
医者は興奮気味に俺の手をギュッと握りしめた。思い返せば俺の人生は不幸と奇跡から始まったんだよな。心から有難いと思える医者の反応と手の温もりで、俺は悟ってしまった。これが自分に起きた第三の転機なのだと。
第三の転機は酷く曖昧で、それでいて確かに感じさせた。もう可愛い相棒と一緒にはなれないという事を。
それからはリハビリの毎日。祖父母が残してくれた遺産と、相手すら居ないのに貯めておいた結婚資金により、お金の心配が無かったのは幸いだった。
一日の入院費に二千円上乗せでインターネット環境付きの一人部屋にしてもらった俺の元には、たまに建設業の仕事仲間が見舞いに来て面白い話をして行くくらいで、それ以外の時間は備え付けのパソコンで暇を潰した。リハビリ、ネット、リハビリ、ネット、そんな暮らしだ。
二ヶ月が過ぎた頃、毎日のリハビリの甲斐があり、体はかなり動くようになっていた。そろそろ退院も近いだろうと思っていた矢先、自分に起こった事件の手掛かりが何かあればと、ネットでこの街の情報を探している中で気になるモノを発見した。
小さな街なので必然と同じような事ばかり書かれた掲示板、そこには行方不明の人の情報を交換するための欄もあった。そこに並ぶ数名の名前のひとつ、田渕 芽瑠十七才・情報募集中と書かれた文字。
全身の毛が逆立つような感覚を覚えながら情報を詳しく見ると、この項目は警察から出されているもので、時期は一ヶ月と少し前、まさに俺が倒れていた時期と重なっている。
これだけでは偶然の可能性もあるかもしれないと、町の名前と田渕 芽瑠という名前を入力して、再検索をした。だが、検索結果で出てきたのは芽瑠の方ではなく、田渕と言う男の名前。五年前に起きた殺人未遂事件の犯人の名前だ。
知りたいのはこんな奴の事じゃない!と画面を戻そうとした時、浮遊城でのメルの言葉が浮かんだ。“私のお父さんは殺人未遂で――”確かに言っていた筈だ。思い出した途端に足から背中までが一気に鳥肌を立て、俺の中で疑念が確信へと変わっていた。
メル……。あの時、ビルに居た女の子がメルなんだ!
愚か、あまりにも愚かすぎる。俺はどうして今まで考えもしなかったんだ。あの日同じタイミングで転生したってことは、同時に死んだ人と考えるのが普通じゃないか。その場合、あの娘を真っ先に思い浮かべるべきだったのに……。けど、あの娘は記録では死んでは居ない、となると神隠しというやつなのか?
とにかく、あの日々は夢じゃ無かったんだ……。気付くと両目からはボロボロと涙がこぼれ落ちていた。
“芽瑠”と入力し再度キーボードを叩く。街の名前を入れ忘れた検索に出てきたのは、知りもしない地下アイドルのブログと、芽という文字と瑠という文字の説明。
何やってんだ俺は、今調べたいのはこんなことじゃない!街の名前を入れなきゃ……。ん?瑠は一文字だけでは意味を持たぬ文字……。瑠璃として初めて意味をなす。一文字だけでは意味を持たぬ……この一文が心の何かに引っ掛かる。
瑠璃とは――――――!!そこで衝撃が走った。
瑠璃とは、現在で言う宝石のラピスラズリを表す。
ラピスラズリ!!
強い思いに駆り立てられた俺は、軋む体で椅子から立ち上がり、病院からの外出許可を貰うべくナースステーションへと向かった。手に入れたからと言ってどうなる訳でもないだろう。けど俺がいま何よりも欲しいのはラピスラズリなんだ。
この個室からは直線通路から一度左へ曲がらないとナースステーションには行けない。焦る必要など無いのだが、俺の足はこの二ヶ月の間で一番速く動いている。左へ曲がり、あとは真っ直ぐ行くだけ!!
―――ッ!?そこで俺は足を止めた。
角を曲がると目の前に小さな少年が立っていたからだ。
「なんで、なんで君がいるんだ……?」
立ち止まった俺は見てはいけないものを見たかのように呟いた。少年は鼻に指を入れ、こちらをジッと見ている。
「僕には中身が無いの。本当はあったはずなんだけど。おじさん、僕に中身を頂戴……」
少年は表情を変えることもなく、まるで感情が無いかのように淡々と言った。あの世界を知る前の俺だったなら、幽霊の類いかもしれないと思い必殺の踵落としを披露していただろう。いや、今の体じゃそれは無理、ローキックが放てれば御の字といったところか。
そんな事、どうでもいいよな……俺はこの少年を知っているのだから。この少年はあの世界が夢じゃ無かったことを、今ここで証明しているのだから。
「俺はあの世界で、メルを一人にはさせないって約束したんだ。だから俺に渡せるものなら渡す。その代わり、あの日のあの場所へ戻して欲しい」
戻ってきたこの世界に何の未練も感じない訳ではない。仲の良い奴も居るし、本やゲーム、言い出したらキリがない程好きなことも多い。けれど、あっちの世界で見つけたモノはあまりにも大切なモノ、守りたい約束がある、その為に出来る事をしなきゃいけないんだ!
「あの日にはもう戻れないよ?」
「それでも、俺は行かなきゃならないんだ!」
「なら、僕が深澤円になっても良い?」
少年は言った。善意も悪意も感じさせない声で言った。
「そうしたら俺はこの世界での記憶を無くしちゃうのか?」
祖父母に貰った沢山の幸せ。それを捨てるのはここまで大切に育ててくれた大好きな祖父母に対して酷い仕打ちではなかろうか……。俺の心に何とも言い難い祖父母への罪悪感が生まれる。
「違うよ。深澤円の記憶と思い出は僕とおじさんの二人のモノになるんだよ。ただ、おじさんはもうこっちの世界に戻ってこれなくなるけどね」
少年は俺の心の奥まで見透かすように言葉を発している。その少年の眼を見て心を決めた。
「…………分かった、それで良い」
この世界で今まで助けてくれた皆、ごめん!そしてありがとう、新しい俺の事も宜しく頼む……!
少年が服に付いた大きなポケットから青く光る石を取り出し、その石を両手で持ち上げた、あの時のように――栓の抜かれた彼の鼻に見えない何かが吸い込まれていく。
やがて少年はグングンと大きくなり、鏡でも見ているかのように俺と同じ姿になると
「じゃあな、“悪魔さん”。向こうの奴等は俺のことを忘れると思うけど、俺はもともと居ない存在だったから気にしないでいいよ」
と、さっきまで少年だった俺が俺のような口調で言いニカッと笑う。
ああ、銀歯の場所まで同じだなぁ―――意識が遠くなるこの感覚もこれが最後だろう。
「俺を宜しくな、円」
光が……眩しい………待っててくれ……メル!
こうして俺は“第三の転機”を自分で選び光の中へ消えていった――。
◇◆◇