とある男の抱いた夢
元の世界では俺はクズだった。
今になって考えると本当にそう思う。
ギャンブルはするし嘘はつく。酒と女こそしない物の、支えてくれていた女の家族にまで、迷惑をかけるようなどうしようも無い奴だった。
具体的には働かず、女に金を借りてそれで良しとする。
最初こそそれには抵抗感があったが、慣れとは本当に怖いもので、いつしか全く気にしなくなって、ずるずると金を借り続けていた。
そんな俺にも夢があった。
小説家を目指すと言うものである。
女もそれを認めてくれていたし、俺が書いた作品を本当に楽しそうに読んでくれていた。
だからこそ何年も支えてくれていたのだが――
度重なる俺の嘘により、女についに限界が来たのだ。
交際年数はおよそ八年。出逢ってからなら十三年目の事。
女は俺に別れを告げて、別の男と交際を始めた。
何だかんだで相性は良かったし、きっとあいつは戻って来るさ。
そんな事を思っている内に数年が経ち、女はそいつと結婚をした。
それを知った俺は慣れない酒を飲み、飲み屋からの帰りに川に転落。
そのままあちらでの生を終えて、気付いた時には妙な場所に居た。
激流の中の小島がそれだ。
時刻は昼で、周囲は全て滝。上から落ちて来る水は無いのだが、絶え間なく下へと降り注いでいた。
あいつ――
爺さんの声が聞こえたのは周囲を見終えた直後の事で、何やら「うにゃうにゃ」と言われた結果、俺はチャンスを掴む事にした。
つまり、こちらの世界にやって来た訳だ。
あちらでの髪は黒色で、歳は三十を超えていたが、爺さんがそれを変えられると言うので、髪の色を金色に、歳を二十に変えて貰った。
髪の毛の色はイケメン意識で、歳はまぁ、純粋に若い方が良かったからだ。
そして、こちらでの生活が始まり、一か月ばかりが無事に過ぎた。
審判の日とやらがやって来て、継続が決定したのはそんな日の事で、得られたポイントで言語を選択した時に、俺はようやく決意をしたのだ。
こちらの世界でやり直そう。もう決して駄目人間にはならない。と。
その日の朝には「ケント」と言う名前を名乗り、ちゃんとした仕事を探し出した。
見つけたものは飲食店の店長候補と言うものだった。
元の世界ではバイトをした事があったので、ダメ元で面接に突入して見る。
結果は合格。熱意と若さを買われ、まずは見習いとして働く事になる。
仕事内容は品こそ違えど、ブラッキーさは元の世界と変わらない。
残業、サービスは当たり前。休日等あって無きようなものだ。
理不尽な客にも謝らなくてはならないし、上と下との間でストレス。たまに大声を出す等をして、俺は何とか乗り切って行った。
そんなある日、買い出しに行った市場で、俺はその人と会う事になる。
その名をティーエ。
今の俺と同い年位で、バイトをしながら大学に通っていると言う、知的な雰囲気の女性である。
最初に思ったのは「良く似ている」と言う事。
元の世界でフラれた元彼女の、あいつの雰囲気に良く似ていたのだ。
名前も似ている。目の下のそばかすも。
全く違うのは茶色の髪だが、これはまぁ、染めたとしたら、近いものになるだろうと想像できた。
その日からの俺は買い出しを率先してやり、毎日のように彼女と触れ合った。
結局の所、好きになるタイプと言うのは、案外決まっているのかもしれず、俺はすぐにティーエの事を、モトカノとダブらせて好きになって行った。
笑い方が似ている。服のセンスが似ている。
そんな所を強引に見つけて。
彼女と出会ってから二十日程が過ぎたか、ついに初めての給料を貰う。
思えば、あちらでもこちらでも、一貫して正社員になった事が無く、一般的には少ないその額でも、多いと感じた俺の心が躍る。
ティーエを食事にでも誘ってみよう!
そして、少しずつ仲良くなって、こちらの世界でやり直すんだ!
給料を右手に俺はそう思い、休憩中に職場を抜け出した。
時刻で言うなら十五時頃か。通りに人の往来は少ない。
昨日まではこの時間にもヨゼル王国だかの兵士が居たのだが、どういう訳か今日は一度も、彼らの姿を見かけて居なかった。
だが、そんな事はどうでも良い。今の俺には興味の無い事だ。
久方ぶりの全速力で、ティーエに会う為に市場に走る。
丁度バイトが終わったようで、ティーエは野菜を箱に入れていた。
「あ、あの……ティーエさん……もし良かったら、今度の休みに一緒に食事でもッ!」
そんな中で、俺は店先に立ち、勇気を出してティーエを誘った。
モトカノ以来初めての事だ。息が苦しいし、動悸が凄い。
自分の体が小さい気さえする。
早く答えが欲しいと思うが、反面で答えが猛烈に恐ろしい。
だが、それなりに友好は深めた。
いきなり劇場に行こう等と言う、無謀な作戦では無いはずである。
きっとティーエは承知してくれる。ぎこちないながらにも承知してくれる。
「あ……すみません……今度の休みはちょっと予定が……」
が、ティーエはすまなそうに謝り、俺の時間がそこで止まるのだ。
今度と言ったがこれは体の良い、「ごめんなさい」と言う事ではないか。
それ以前にその予定とは、男と会う為の予定では無いのか。
嘘つき故に相手を疑い、一人で勝手に気を落として行く。
「だから、良かったらその次の休みで良いですか?」
「は!?」
そんな時にティーエに言われ、凄まじい勢いで俯けた顔を戻した。
何て言った!? 何て言ったんだ!? 声に出して聞きたいがそれすら怖い。
「いや、だから次の次の休みで。具体的には六日後ですかね?」
俺は即座に「良いですよ!」と返した。仕事の日だが知った事じゃない。
腹痛なんて良くある事さ。飲食店関係では腹痛と言えば、大概は警戒して休ませてくれるものだ。
真面目に生きると言う気持ちはどこへやら。
俺は仕事をサボる事にして、ティーエの代案を喜んで受け入れた。
ぎこちないながらにもティーエが微笑み、それを目にした俺が苦笑する。
この世界で生きて行く希望が大きくなった瞬間だったが……
それはこの日から二日後に、あえなく消えてしまう運命のものだった。
「キミさ……飲食店の店長だっけ? そんなもので終わって良い訳?
マジェスティの力は凄いんだよ? それこそ英雄なんかにだって、努力次第でなれちゃうんだよ? 勿体無いとか思わない訳?」
二日後の朝。仕事に行く為の準備をしているとおっさん妖精がそう言って来た。
正式名称は相棒妖精だったか。可愛い女の子を想像していたのだが……
現実とはいつも酷いもので、出て来た物はおっさんだった。
暑苦しいので出てこないようにして貰っているが、朝と夜にはこうして出て来て、二~三の会話を求めて来る存在だ。
名前は無いし、愛着も持ってない。
ただ、こっちに来た当初は世話になったので、無下には出来ない存在ではある。
「おーい。聞いてんのかケントくーん!
最近は無視が露骨だねキミはー」
妖精が言って窓から飛んで来る。
口調は宛ら会社の古株で、鼻くそをほじる様は疲れ切った親父だ。
そして擦り付けてきて、「おーい」と繰り返す。
それは割とこっちのセリフで、慌てて叩いて鼻くそを落とした。
「どう生きるのも自由だろ? 飲食店の店長の何が悪い」
主に給料。そして体調。
分かっちゃいるが今の俺にはこの道にしか活路は見えず、あそこで働き続けて居ればティーエに会えると言う事で満足していた。
妖精は「もったいないねー」と言って、とりあえずの形で姿を掻き消す。
出ようと思えば出て来れるらしいが、こちらから呼んだ事はここ数十日は無い。
着替えを終えて寮を出る。外の人通りが妙に少ない。
続けて気付くのは人の流れ。どうにもそれが一方的なのだ。
一応、通勤の時間帯なので、人の流れは様々なはずなのだが、街の外へと向かう人々が全く以て居ないのである。
もっと言えば走って逃げている。街の外から中心へと向けて。
意味が分からず立ち呆けていると、俺にもようやく理由が分かった。
白いローブとターバンを身に付けた、軍隊らしき者達が姿を見せたのだ。
それは秩序を保ったものだが、明らかに民衆を威圧しており、それを目にしてしまったが為に、住民達は恐れからすぐに逃亡。
おそらくこの街の奥にあると言う王宮に逃げたのだと推測される。
しかし、そこには王は居らず、ヨゼル王国だかの代理領主が居るだけ。
この状況を見ると逃げたのかもしれず、当てになるかは微妙な所だ。
ともあれ、俺は道端に避け、どこぞの軍隊の長蛇の列を見る。
それは最初こそ整然としていたが、後ろに行くほど秩序が乱れ、ついには列から抜け出して民家に押し入る者が見えた。
その数は数人。仲間同士だろう。上役らしき兵士は気付いて居らず、彼らが通り過ぎて静かになった後には、その家から女性の悲鳴が上がった。
助けるべきかと悩みはしたが、結局、俺は詰所に向かった。
そして、自警団に事情を話して、それで良しとして店に行ったのだ。
情けない話だが相手は兵士。素人の俺が適うとは思えない。
……ハッキリ言って良い訳である。仕事の始まりは心が重かった。
「ケント、今日も買い出し頼むわ。
何だか分からん連中が居るから、絡まれんように気をつけてな」
「あ、はい。行ってきます」
三十分ばかりの掃除をしたか。
店長に頼まれて、それを止める。エプロンを取って手を洗い、メモを受け取って店の裏から通りに出た。
人通りは少ない。当然の事だ。
その代わりにちらほらとローブの連中が見えたので、絡まれないように視線を逸らす。
その際に「ちらり」と例の家を見たが、立ち入り禁止の縄が渡してあり、まさかを想像して胸を痛めつつ、買い出しの為に市場に向かった。
そして、数分後に市場に到着。
いつもであれば居る時間なのだが、露店の中にティーエは居ない。
「あの、ティーエは休みですか?」
「いいえー? お休みは明日のはずよー。
寝坊でもしたんじゃない?」
隣の露店の女性に聞くと、そう答えた後に「オホホホー」と笑った。
ティーエと出会って二十日程が経つが、覚えて居る限りでは遅刻した事は無い。
むしろ、いつも十五分は早く来て、準備を早めにしている程だ。
……生まれて初めて嫌な予感がした。
真実、そういうものを感じた時には冷や汗が本当に出るのだと実感する。
「駄目だ!!」
と言う声が聞こえて来たのはその時。
一人の若者が市場に走り込み、知り合いなのだろう中年に言う。
「自警団の奴らは動こうとしない! 知ってて知らん顔をするつもりだ!
このままじゃ、あの女の子も良いようにされて殺されるぞ!」
と。
言葉の端々から察せられる事は、誰かが誰かに何かをされて居る事。
俺が即座に事情を聞くと、ゴルズリアの兵士――
そんな事はどうでも良いが、そいつらが女の子を路地裏に連れ込み、暴行しようとして居る所を目撃したと若者は言ったのだ。
なら、どうして助けなかった! 等と、俺にはとても言える事では無い。
俺だって、同じ事をしたばかりなのだ。
だが、もしもそれがティーエなら。
命を張ってでも助けたいと思う。
故に、俺はその場所を聞き、彼らが止めるのも聞かずに走った。
市場に近い通りの路地で、ローブの男を一人見つける。
明らかに見張りをしていると言う感じで、路地の奥を忙しなく見ている。
やれるのか……いや、やるしかない。
俺はなけなしの勇気を奮い、男に猛然と殴り掛かった。
「ぐえふっ!?」
思ったよりも体が軽い。そして、パンチの速度が早い。
拳はすぐに男の頬を押し、醜い顔をした男が飛んだ。
「なんだ!? どうした!?」
それと同時に男達が騒ぎ出す。
路地の奥に五人程いる。
一人が誰かに乗りかかろうとして、もう一人が誰かの両腕を持っていた。
「ティーエ!!」
間違い無かった。嫌な予感が当たった。
気を失っているのか反応は無いが、誰かは明らかにティーエであった。
服が引き裂かれ、下着が見えている。
事が済んだかどうかは分からない。これからなのか。それさえも。
だが、俺は直後には激昂し、抜刀した男達に殴り掛かっていた。
一人を殴り、攻撃をかわし、かわした際に武器を奪う。
そして、その剣を滅茶苦茶に振り回し、大声を出しながら男達を切り伏せた。
「ひ、ひいいい!! こいつ普通じゃねえ!!」
最後の一人が逃げて行った為に、振り上げた剣を壁に突き刺す。
がくり、と言う倦怠感を感じたのは直後。
見れば、わき腹が切り裂かれていた。
興奮していたので気付かなかったが、男達の誰かに斬られたらしい。
「ティーエ……」
そんな事には構わずティーエを見ると、幸い、何もされていなかった。
服が引き裂かれて下着が見えているが、事に及ぶのはこれからだったらしい。
良かった。と、思うと血が滴った。
痛い……猛烈に傷口が痛い……安心した為か痛みを感じ出した。
寝転がっても痛そうだが、立っているのはもう無理だ。
「お、おい! あんた大丈夫か!? 医者だ医者! 医者を呼べー!」
路地の入口で誰かが言った。先の、市場に来た若者らしい。
「医者か……だがもう間に合わないだろうな……」
そう呟くとティーエが呻いた。
「う……う……」
どうやらそろそろ目覚めそうだが、俺は多分もう駄目だ。
最期に話をしたい気がするが、ティーエにとってはトラウマになるだけだろう。
そう思った俺は脚を引き摺って歩き、若者にティーエを任せる事にした。
「ど、どこに行くつもりだ!?
きっとすぐに医者が来るから、大人しく座って待ってるんだ!」
そんな制止を無視して進み、勤め先である飲食店に向かった。
「どうするつもりだい? キミ、死ぬよ」
おっさん妖精が不意に現れる。
街中なのに珍しい事だ。
すれ違う人達がこちらを見ているが、これは俺の状態のせいだろう。
「どこか……誰にも見られない場所で死ぬさ……
出来ればティーエに見つからないと良いんだがな……」
答えると、おっさんは「ふーん」と言った。
「その点は心配には及ばない。マジェスティは死ぬと体が消える。
僕も道連れにされてしまうけどね。だから消える瞬間を見られなければ、キミが消えた事は誰にも知られないよ」
それから続け、ため息を吐くので、一言「悪いな……」と謝罪をしておいた。
「別に良いさ。相棒妖精はマジェスティの為だけに生みだされた存在だ。
キミ達が居なければ生み出されていないし、短い時間でも楽しかったからね。
むしろ感謝してるよキミには」
そんな事を口にして横を飛ぶので、構ってやれば良かったと後悔をした。
勤務先の飲食店が見え、裏口に続いている細道に入る。
そこを死に場所とした訳では無いが、ここなら滅多に人が来ないからだ。
壁を背にして座り込み、迫り来る死に恐怖を高める。
「結局、こっちでも嘘をついたな……つきたくなかった嘘だけど……」
それは即ち食事の約束。
ティーエはきっと約束の日に、俺が消えた事を知るのであろう。
そしてどうなるか。……忘れるのだろう。
それが良いんだ。その為にこうした。
本当はいきたかった。
こちらでもう一度やり直したかった。
……だが、こうなってしまった以上は、これが最善だと俺は思うのだ。
「怖いな……死ぬのは本当に怖いな……
だけどティーエを助けられて良かった……少しだけでも、まともになれたのかな……?」
「ああ、キミは格好良かったよ。尊敬に値する僕の相棒だ」
おっさん――
相棒妖精の言葉を耳に入れ、俺は眠るように両目を閉じた。
この人はゼーヤの代わりに来ましたが、生憎ひと月で死んでしまいました。
こちらの世界にやって来ても、こうしてすぐに死んでいくマジェスティも数多く居ると言うお話でした。




