残されていた傷跡
気が付いた時にはダナヒの館の、自室のベッドの上で寝ていた。
時刻はおそらく昼頃だろうか。窓から差し込む陽の光が眩しい。
察するに、誰かが運んでくれたのだろうが、部屋の中には俺しかおらず、とりあえずの形で起きようとすると、ころりと転がったユートを目にした。
俺の胸辺りで寝ていたらしく、転がった結果として仰向けになり、女の子としてはどうなのかと言う大股開きで眠りこけた。
ユートは一応パンツと言うか、半ズボンに近い格好をしている。
だから下着と言う意味のパンツと言う物は見えてはいないが、それでも衣服の端から伸びる白い両脚は蠱惑的で、本人が気付かず眠っていると言う点が、俺の興奮を加速させる。
……こんなラッキースケベはそう無い。
近くで見たい。広げて見たい。そんな劣情がむくむくと湧き上がる。
だが、一方でやっては駄目だ。それは最低の行為だと理解している部分もあって、葛藤の末に俺は首を振り、シーツの端をユートにかけた。
「……もう少しで戻って来られない、危ない一線を越えていた気がする」
多分、その一線を越えて居れば、チャンスがある度に今後もやっただろう。
それを誰か――ここではカレルにしか見られないのだが――に見られてしまえば、どう言い訳しても逃れようが無い。
多分カレルは「フーン……」とは言うが、以降の付き合いをガラリと変えるだろう。
……兎にも角にも耐え切れて良かった。小さく息を吐いてベッドから出る。
「あ……」
そしてそこで、昨夜とは服が違っている事に気付き、慌てて下着を確認した結果、それまでもが変えられて居る事に気が付く。
濡れたままでは気の毒だろうと、誰かが気を利かせてくれた事は分かる。
だが、下着まで変えられて居ると言うのは、やはりはあまり気持ちが良くない。
前にも言ったが看護婦なら良い。彼女達は見慣れているから。
しかし今回は高い確率で水夫――つまりむさ苦しい野郎の誰かだと予測され、暗闇の中で脱がされる様には犯罪性すら感じるのである。
脱がされる図がまず嫌で、脱がされた後の反応も嫌。
その上でベッドでしばらくの間下半身丸出しで寝かされている様も、想像するだけで喚き散らしたい程だった。
「(ユート(こいつ)は全部見てたんだろうなぁ……)」
聞くべきか。と、直後に思うが、知らない方が良いとも思える。
どんな言葉にしろ何かを言われて居たら、動揺せずには居られないだろう。
そう思った俺は聞かない事に決め、勢い良くその場に立ち上がる。
そして、体は兎も角として、髪の毛はそのままにされて居る事に気付き、潮水を洗い流す為に館の浴場に向かったのである。
館の中には誰も居なかった。昨夜の事は夢では無くて、やはりは現実だったようだ。
当然、メイドも居ない為に、湯沸しを自分でする事になり、道具を探して沸かしている間にユートが起きて来て姿を現した。
その第一声は「見つけたー!」で、続く言葉が「何してんの?」と言う物。
「いや、体は兎も角、髪の毛がベトベトで、風呂に入って洗おうかと思って」
「あー。なるほそー」
素直に答えるとユートは納得し、少しの間は鍋を見ていた。
「え? これだけで足りるの? 少なくない?」
「足りないよ。だから何回か沸かして、水で薄めて使うつもりだけど」
「フーン……ケッコーメンドクサイんだねー……」
だからこそのメイドで、だからこその人数だ。
どこへ行ったのかは全くの謎だが、このまま行方が分からないままとなると、不自由が多くて大変である。
ダナヒなんかは間違いなく「待って居られるか!」とブチ切れる事だろう。
尤も、そのダナヒの行方も、現状では全く分からないのではあるが……
お湯を沸かして桶に入れ、蓋をしてから更に待つ。そして、更にお湯を沸かして、同じ作業をする事一時間。
ようやく使えるだけのお湯が出来あがり、桶を抱えて浴場に行く。
水のストックは浴場にあったので、それで薄めて頭を洗い、スッキリした所で出て来た際に、館に入って来た誰かに気付くのだ。
「あ、ヒジリさん気が付きましたか。ちょっと良いですかい。来て貰っても?」
それは水夫の一人であった。神妙な面持ちで答えを待っている。
助けて貰ったお礼を言うべきか。一秒ばかりを短く迷ったが、それよりも水夫の面持ちが気になって「はい」と答えて足を動かした。
水夫もすぐに背中を向けて、先導するようにして前を進む。
館を出て、通りに出たが、人の姿は一人も見られない。おそらく今は御飯時で、本来ならば通りの上には人が溢れている時間帯だ。
にも拘らず人はゼロ。その違和感には恐ろしさすら覚える。
それから不安。薄らとだが、水夫の見せた神妙な顔が何を示していたのかを察した気がした。
だが、それは最悪の想像で、掻き消す為にも大きく首を振る。
「どうしたの?」と、ユートに聞かれたが、答えを返さずに水夫に続いた。
市場を左右に大通りを行く。見えて来るのは当然港だ。
「……一応、覚悟はしておいてくだせぇ」
水夫が言って曲がった時に、俺はその言葉の理由を知った。
大通りから続く道は倉庫に当たると右に曲がる。
そこからは船の発着場。つまり波止場となるのであるが。
――そこには数えきれない程の、人間の遺体が並べられていたのだ。
白い布がかぶせられているが、それは明らかに人の遺体だ。
「ど、どういう……」
事なんですか……? と、聞こうとしたが、そこまでの事は言えなかった。衝撃で口が動かないのだ。
ユートもユートなりに驚いているのか、「ナニコレ……」と、言った後には無言になっていた。
水夫は何も答えず歩き、一体の遺体の近くで停止。
それからかけられていた布をめくって、「確認をお願いします」と俺に言って来た。
遺体は海から揚げられているようで、作業は今も継続している。
夥しいまでの遺体は海に、今でも千体近くは浮いており、すでに揚げられている遺体と併せれば、三千体近くはあると思われた。
……つまりこれはこの街に住んで居た住人の数に近い物があり、最悪の予測が当たったと思った俺は、無意識の内に額に手を当てた。
「ヒジリさん。すみませんが確認を……」
「何で俺に……!? どういう事なんですか!?」
ようやく言えたが水夫は答えない。辛そうな顔で遺体を見るだけだ。
俺に確認しろと言う事は、「それ」は俺の知っている人なのか?
理由が分からない。どうしてそうなった? 怖くてとても確認出来ない。
「昨日のあいつ、ヒジリさんが倒したアレですが、アレが消えた辺りから次々と浮かんで来たんですよ……
キョーダイが言うにゃ……街の人間らしい。カミさんや子供も居たって話です。
どういうリクツか俺にゃ分かりやせんが、ヒジリさんが倒したあの野郎に、街の住民はどうやらみんな、やられちまってたって話です……」
最悪の結果だ。最低で……最悪の。
立って居られず膝を着き、両手をついて四つん這いになる。
頭が重い。力が入らない。
「ドーユー事なの? ねぇ、ヒジリ?」
聞かれても分からない。俺が知りたい。
なんで、どうしてこんな事になった。
自問をしても答えは出て来ず、焦燥感だけが広がって行く。
ナエミは、ダナヒは、カレルはどうなった。
もしかしてこの中に居ると言うのか。
気付いた時には立ち上がり、俺はゆっくりと歩き出していた。
居る事を確認する為では無く、居ない事を確認する為に。
皆が奴にやられておらず、どこかで生きて居る可能性を生む為に。
俺の動きに気付いた水夫が、白い布を再びめくる。
覚悟を決めた俺が見たのは。
「……あぁぁぁ」
胸から下が食いちぎられた、見知った人物……デオスであった。
「デオスさんで、間違いないですか……?」
崩れかけた俺を支えて、小さな声で水夫が聞いて来る。
俺はそれに「はい……」と答えて、支えてくれた水夫から離れた。
衝撃は大きい。信じたくは無い。だが、それは間違いなくデオスで、前触れの無い突然の別れに俺の両目から涙が溢れた。
最後に会ったのは何時だったのか。こんな事になると分かって居れば、無理にでも魔の島に連れて行ったのに……
「ヒジリ……」
そう思っているとユートが飛んで来て、俺の頬に右手を当てる。
「ああ……考えるだけ無駄な事だよな……」
どんなつもりでそうしたかは分からない。だが、慰めてはくれたのだろう。
そう受け取った俺は言って、涙を拭って頭を動かす。確認するべき人間が、まだ三人残っているから。
「今の所、海王陛下と、カレルさんとナエミさんは確認されていやせん。
しかしグチャグチャの死体もあるので、居ないとは言い切れない状況でして……
ヒジリさんには申し訳無ぇんですが……」
要するに「確認してくれ」と言う意味である。言われなくてもそうするつもりだが、心遣いには感謝をするべきだ。
故に俺は「分かりました」と答えて、遺体の確認を開始する。
その中にはいつもの軽食屋のウェイトレスや、館で働いていたメイド達も見られ、悲惨な現実から逃げ出したい気持ちを何とか抑えて確認を続けた。
そして結果、少なくとも、現在上がっている遺体の中にナエミやダナヒやカレルが居ない事が分かり、不謹慎ながらも俺はその事に若干の喜びを感じるのである。
だが、一方でそれならば、三人は一体どこへ行ったのか。
それはそれから数時間後に師匠が来た事で一人が分かり、その翌日の水夫達の報告で、残りの二人の行方も分かった。
まずはナエミだが、俺の島に居て、鉱石の発掘をしているらしく、ダナヒとカレルはある海域で、新兵器の実験をしているらしい。
つまり、三人は無事と言う事だが、それを知るのは翌日の事で、俺はとりあえずナエミに会う為に師匠に連れられて島へと向かった。
そして、山の麓の一画で、鉱石を採掘しているナエミを発見。
勢いでつい抱き付いてしまい、ハンマーで腰を殴られるのである。
デオスの事は残念だったが、ナエミが無事で本当に良かった。
痛みに耐えきれずに転げた俺は、そう思いながら涙を流した。
まぁ、ナエミは状況を知りませんから……