最終話 いらっしゃいませ
「よし。今後のことが決まったところで、新メニュー開発の続きやるぞ!」
「ええ!? い、いいのかな……?」
サッパリとした表情でアーサーが私の手を握ったまま席を立った。そのまま下の階へ行こうと促す。
「いいんだよ。願えば叶うったって、いつ分離するかなんてわかんねぇし……それまではいつも通りにやろうぜ」
「……うん!」
アーサーはオベロンとの分離をはっきりと望んだのだ。人間になることを。いや、元に戻ると言った方が正しいのかもしれない。
(どーんと構えて待ってよう!)
動き出したのだから。うだうだ言ってる場合じゃない。
一階に降りると、フォルテがピョンピョンと飛び跳ねて階段近くまでやってきた。
「《今からアルカディアに行って来るよ!》」
「えぇ!? ど、どうして? アルカディアって……ホテルだよ!?」
私はフォルテが店の外に出た姿を見たことがない。本人からもその気を感じたこともなく、唐突な報告にどーんとした態度ではいられず、さっそく動揺してしまう。
「《フィンがね! あのピアノの姉妹機がそこにあるって教えてくれたんだ! 僕、見てみたくって!!》」
「そうなんだ……!」
フィンはいつも閉店後、カフェで夕食を食べて帰る。その時、薄っすらと見ることができるようになったフォルテにその話をしたのだそうだ。
「お前、本当にそのピアノが好きだな」
「《うん! 大好き!》」
じゃあね! と、そのまま軽やかな足取りで店の外へと出て行った。
「フォルテも変わったのかなぁ」
「うーんあれはピアノ好きの延長じゃねぇか~?」
なんて話をしながら、カフェのキッチンで調理開始だ。アーサーも手慣れたようにボウルに卵を割り入れ、シャカシャカと音を立てながら溶きほぐしている。
次の新メニュー候補はフレンチトーストとホットココア、そしてパフェ。寒くなってホットサンドが大人気を維持しているので、
『うむ! 今こそ他の軽食メニューも試してみるべきだろう!』
と、高らかに宣言したルーネを中心にここ最近ああだこうだと(主にソースやトッピングについての議論だが)話し合っていた。
同様に寒い帝都の冬に備えて、甘さ強めの飲み物をということでココアの準備を進めている。パフェは言わずもがな。ルーネがなによりも楽しみにしているものだ。
「夕飯は軽めにして夜のデザートだね」
パンを卵液に浸し、冷蔵庫へ。
ココアを私がいれている間、アーサーがパフェの盛り付けをしてくれている。
「甘さ控えめの方がいいよな」
「そうだね。ココア甘いし」
グラスの底にナッツを詰め込み、バニラアイスを重ねて、更にベリーを入れて層を作っている。
「フルーツのムースの方がよかったか?」
「今日は贅沢にアイスクリーム食べちゃいましょ!」
「こりゃ固定メニューにするのは難しいな……組み合わせを考えるだけで大変だ」
「パフェは可能性が無限大だよねぇ」
ルーネもいつも大真面目に悩んでいた。見た目の重要性も彼はわかっているようで、最近では出来上がりのスケッチノートまで作っている。
「甘いメニュー増えたし、サッパリ系は入れときたいところだけど」
カウンターに出来上がったパフェとココアを運ぶ。
「美味しそう!」
「だな」
二人で手を合わせていただきます……をしようした瞬間だった。
「うわっ! 大丈夫!!?」
アーサーの胸元から割れるように光が漏れ出し始めたのだ。
「今かよ……意外と早かったな」
ちょっと呆れるように苦笑しながら、
「《《中のやつ》》が急かしてんだな。もう待てないみたいだ」
「アーサー!」
私は思わず彼にギュッとしがみ付いた。真っ白な光はどんどんと広がって、彼を見失いそうだったからだ。同時に、精霊達が飛び出して私達を囲んだ。まるで守ってくれているかのように。
(ああ……ご近所迷惑にはならなさそう……)
なんて考えが頭に浮かぶ。現実逃避をしてしまったようだ。
「ていうか、今!? ここで!!?」
思考が現実に戻った途端、唐突に声を上げてしまった。二千年の融合が解き放たれるのだ。もっと厳かで恭しいものを想像していた。まさか自分のカフェの店内で、何でもない日にそれがおこるなんて。
結局アーサーの光は全てを包み込んだ。何も見えない、意識が遠のいていく……この感覚には覚えがあった。ティターニアに過去を見せられた時だ。
私は再び、深い夢の世界へと入り込んだ。
◇◇◇
「予定の倍になってしまって悪かった」
「なに。世界を回ってくれたおかげで退屈はしなかったさ」
声が聞こえる……アーサーと、あれはオベロンの……。私はふわふわと漂った感覚の中、心地よい眠りについている。二人には見えていないようだ。けど、ハッキリと彼らの会話が聞こえた。
「それはオベロン王、貴方の影響を受けてのことだろう」
「初めの千年はそうかもしれんな。だが、後の千年は違う」
ハハッと軽やかに笑うオベロンの声。まるで昼寝から起きたような口ぶりだ。
「お前の意志がその体を動かしたのさ」
「……そうか。私の意志か」
アーサー……いや、アストラの嬉しそうな声。
(そうだよね。ずっと前から意志はあったんだよね。記憶がなくても、ちゃんと)
それからしばらく二人は思い出話に浸っていた。私に会う前の、世界を巡って過ごした日々の話だ。私にはわからない昔話ばかり。もっと聞きたいという気持ちと同じくらい寂しさを感じ始めた頃、オベロンの目が私に向いた気がした。……見えないと思っていたのに。
「ここ《《最近》》、お前がずいぶん楽しそうだったからな。早く出せと急かしたんだ。……お前の中に、あの人間の娘が入りこんで窮屈でもあった、というのもある」
揶揄っているのがアリアリと分かった。これはアストラだけでなく、私のことも含めて茶化しているのだろう。だが、まるで小学生のような言い草を聞いて、私は照れるより前に笑ってしまいそうになる。
「ふっ……それは失礼した」
アストラの方はちょっぴり困ったような、恥ずかしそうな返事だった。オベロンには全て筒抜けだったことを改めて理解したのだろう。
「ハハッ! 本当に随分と人間らしくなった! 二千年前は妖精かと思うくらい融通の利かない堅物だったというのに! 大好きな言葉は使命と自己犠牲だったか?」
「さあ、どうだったか……忘れてしまったな」
すっとぼけたアストラの返事を聞いて、オベロンはまた大笑いをしていた。
「ああ、そろそろ時間だな。さて……二千年ぶりにティターニアの説教を聞くとしよう」
真っ白な世界がほんのり薄れている。どうやらティターニアが何かしているようだ。
「私はあの魔王に近付きすぎた。妻の言葉を聞かなかった結果が……これだ」
本当に反省しているようだ。へらへらとした口調ではなく、驚くほどの真剣さを感じた。
(アストラがオベロンの影響を受けたように、オベロンもアストラの影響を受けたのかも)
二つの影が見えた。アストラとオベロンが向き合っている。
「何が正しかったなど、後の世にならなければわからないものだ」
「ああ。だから好きに生きろ。どうせ後にならなければわからないのなら」
お互いに励まし合っているようだった。
世界は晴れ渡り、私は引っ張られるように元の世界で目を覚ます。
◇◇◇
「わっ」
カウンター席の側で支えられた状態で目を覚ますと、目の前には《《アストラ》》がいた。髪色が反転している。黒かった場所が銀色に、銀色だった場所が黒髪に。
「……アーサー?」
と、迷いつつもその名前を呼ぶ。少し間をおいて、
「おう」
また困ったような笑顔。
「どうやら、大して変わらなかったみたいだ」
「そっか」
思わずにへらと表情が緩んでしまう。やっぱりそれを見られるのは照れくさいので、
「じゃあ……これからもよろしくね」
ちょっとだけ目を伏せた瞬間、
「《どうだ? ちょっとはいい男になっただろう!》」
「うわぁ!!?」
オベロン王! 私が視線を落とした先からニュッっと現れた。
「《この男はこの妖精王と二千年融合していたのだ。絶大なる恩恵を受けている。安心して心身ともに任せるといい!》」
「オベロン王!!」
顔を真っ赤にしたアーサーが叫んでいたが、私はまだ驚いて混乱したままだったので、
「えーっと、は、はじめまして……?」
少し的外れな言葉が出てきてしまった。妖精王は愉快愉快と笑っている。どうしようとワタワタとしていると、私の頬を風が撫でた。
ティターニア妖精女王のお出ましだ。
「《オリヴィア、本当にありがとう。お前がいてくれて本当によかったわ》」
分離した二人より先に、ティターニアは私の頬に手を触れ、額にキスをする。いつもよりずっと嬉しそうに微笑んでいるのがわかり、私の胸が喜びで満たされていった。だが何より彼らを、そして世界を気にかけていたのは妖精女王だ。
「いやいや、私は特段なにかをしたというわけでは……」
「《お前がいなければ世界は終わっていたかもしれないの。何もしてないなんてことはないのよ》」
言うと思った、という顔をされてしまった。
「そうだぞ! もっと偉そうにしておけ」
アーサーがいつも通り偉そうにしている。これも私は嬉しい。
和気あいあいとした店内をオベロンがぐるりと回った。そして、
「《では。私もまた世界をぐるりと見て回るとしよう。ティターニア、一緒に来てくれるか?》」
「《あら。逃げ出すかと思っていたのに》」
逃がす気はなかったけれど、と言った声は聞こえないフリをしておこう。オベロンも同じ気持ちのようだ。
「《では……また会う日もあるだろう》」
さらばだ……という声が風に紛れて消え去った。オベロンとティターニアと共に。
「こんなにあっさり……?」
世界の危機がなくなったのだ。もっともっと、大袈裟にパーティをしてもいいくらいだと思っていたのだが、
「妖精ってそういうもんだろ」
というアーサーの一言で納得した。
(ってアレ!?)
精霊達がまだカフェの中に残っていたのだ。それぞれが好き好きに宙を舞っている。オベロンと共に行くと思っていたのに。……置いていかれた!?
「お前達も元の主人のところに戻れ」
そっとアーサーが宙に手を伸ばすと、精霊達はその手に集まって来た。
「二千年。助けてくれてありがとう」
だが、妖精達は少しもその場を動く気がないようだった。それどころか、
「あ……おい!」
アーサーの《《中》》へと入って行ったのだ。いつも通り。
「《……格好がつかないじゃないかっ》」
オベロン王、まさかの再登場。情けない顔をして、アーサーの中に声をかけるも反応がない。
「《まあいい……私は新しい精霊達と行くことにしよう。再出発、というやつだな》」
それから私達の方を見て、今度こそ去って行った。
「こんな終わりある?」
「あるんだな、これが」
久し振りに二人で大笑いした。人生とは案外、こういうことの繰り返しかもしれない。
そんな、世界の危機が去った日。
◇◇◇
フォルテの入れてくれたコーヒーの香りが店内に広がっている。ショーケースにはドーナツにカヌレ、サンドイッチにプディング。ボードにはホットサンドと限定二十食! と書かれたジュワリ浸しパン。
「《オリヴィア! お釣りの準備は大丈夫? 今日はフィンの日だからお客さん多いよ》」
「大丈夫! 昨日確認済み!」
フォルテの声がキッチンから聞こえる。
「アーサー。今日は寒い。程よく店内を暖められるか?」
ルーネが腕を組んで、店内を最終チェック中だ。
「ああ、サラマンダーがやる気出してるよ」
「ほどほどだぞ!?」
わかってるわかってる、と楽しげに笑うアーサーの肩の上に、小さくなったサラマンダーが乗っていた。
「ああそうだオリヴィア。新聞、俺が読んでそのままにしてた」
「ありがと」
アーサーから受け取った昨日の新聞の一面は、バンディッド家という文字でいっぱいだった。
【ライオネル・バンディッドの失踪】
ライオネルはあの日から……アストラとオベロンが分離した日から、姿を消していた。屋敷には書置きが残されており、父母への感謝、謝罪、そしてもうココには戻らない、ということだけはハッキリと書かれていたそうだ。
だが、帝国屈指の超名門、なにより資産家の後継者である彼が消えたのだ。跡形もなく。大ニュースになるに決まっている。
(駆け落ちに誘拐、陰謀説まであるけど……)
私はどれも違うと知っていた。
数日前に私の元に彼からの手紙が届いていたのだ。そこには、
『オリヴィア、私は妖精になる』
と書かれていた。
「オリヴィア、そろそろ店開けるぞ」
「はーい」
新聞を閉じ、カウンター下にしまい込む。
変わらないもの。変わっていくもの。
ドアベルが鳴った。涼やかな風が舞い込んでくる。
「いらっしゃいませ!」




