表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大剣のアリスティア  作者: 雉子谷 春夏冬
第一章「神様は赦してくれない」
37/45

第四話(生まれる前からって卑怯ですよね)・14

 翌朝、豪勢な朝食が部屋に運ばれてきた。昨夜の話の後ではさすがにナナシでも、どの皿も色褪せて見える。


 それらの皿に対し姫は、問題はないが保存食も持ち込んでいるので無理に食べる必要はないと告げた。

 しかしナナシは口にした。食べ物は命だ。残す選択肢はナナシにはなかった。

 その様子をアリスティア姫は優しく見守っていた。


 ナナシが食べ終えた頃、昨日この建物まで案内をしたイミタが部屋に訪れ、この里を案内すると申し出た。

 姫はナナシに目配せしつつ、これをあっさりと承諾する。


 ナナシにしても、姫ほど殺気に敏感ならむしろ外で襲われたほうが対処しやすいと判断し反対はしなかった。

 王族に手をかけるほど里の人間が理性を手放しているなら、毒殺が失敗した今、なりふり構わずこの建物ごと火をかけるぐらいやりかねない。素人が慣れない武器を振り回すより、そちらのほうがよほど厄介と判断したのだ。


 支度をしてイミタが待つ玄関にいくと、ナナシは目を見張った。ちょうど4人がかりでナナシの愛剣が運ばれてきたところだった。


 なんだかんだと理由をつけて、少なくとも今日は返却されないと踏んでいたナナシにとってはむしろ安堵よりも怪しいが先に立つ。

(素人どもに細工できる剣ではねぇけどよ)

 姫を伺うとこくりと頷くばかりで何も言わない。ナナシは剣を黙って受けとった。


 玄関から出ると、外は気が滅入る曇天でこの里をより殺風景にみせる。

 陰鬱な印象は闇夜だけが原因ではなかったらしく、朝であっても夜が明けきってないと錯覚してしまいそうだった。


 しかし、周囲はそうでも姫だけは例外だ。


 陽光届かぬ分厚い暗雲の下、色を失ったようなこの場所で、唯一鮮烈に輝く美貌には外にいた里人の誰しもが視線を吸い寄せられる。


 ナナシはもちろん一緒に旅をしてきて姫を見慣れている。しかし昨夜とのあまりにも激しい落差に驚いた。

 昨日この里に入った時の姫は、暗闇を引き裂く青白い雷光そのものだった。それがどんなに美しかろうが目を灼く光に人は親しみを覚えない。


 しかし夜が明けた今、うって変わって鮮やかでありながらも、外套を脱いで透き通るような二の腕を見せる姫は、柔らかな木漏れ日を想起させる雰囲気を纏っている。顔はそっくり同じでも性格が異なる双子が入れ替わったかのようだった。


 ふと、ナナシは頭に浮かんだ言葉をそのまま口にする。


「あんた、もしかして昨日怒ってたのか?」


 姫は微笑むばかりで答えようとしない。


「こちらへ」


 そう言うイミタの先導に、姫は早々についていってしまう。ナナシは離れないように歩き出した。


「で? どこに連れて行ってくれるんだ」


 ナナシの問いかけにイミタは小柄な体をさらに小さく見せようと身を丸めながら答える。


「いえ、ただ、この里を見て回っていただきたいだけで」


 ナナシは気のない返事をする。

(なんだ、てっきり獣のいるところへでも案内してくれると思ったのに)


 こんな灰色にまみれた場所を見てなんになるというのか。それよりも、にわかには信じがたい神罰化しない獣を見極めたい。そう考えたナナシは自分の想定の甘さをすぐさま思い知る。この里はナナシにとって想像の埒外だったのだ。


 画一的な面白みのない建物から、1人子供が出てきた。その後ろをひょこひょことついて歩く薄紅色の"存在"を見て、ナナシは反射的に剣を抜きかけ、姫にその手を止められた。


「なぜ止め……!」


 言いかけ、ナナシはすぐに思い至る。


 ここは神罰化しない。


 薄紅色の存在は獣だった。ナナシの見たこともない獣が、子供の足にじゃれあうようにまとわりついている。

 子供もまたそれを許容するどころか背中を撫でて可愛がっていた。その様子にナナシは吐き気を催す。


 ナナシは姫の言葉を疑ってかかっていたわけではない。姫のように生き物の位置がわからずとも、この里の全体に漂う獣臭がここに獣がいること示していた。


 にも関わらず、ナナシは人と獣が生活をともにしているとはまるで考えもしなかった。どこか里の近くに獣のいる巣のような場所があるなどと考えていたのだ。


 感覚の訴えを無意識に無視するほど、人と獣は相容れないものとの常識がナナシの心に刻みこまれていた。そうなるほどナナシが出会った獣は神罰化し、そしてナナシの目の前で神罰獣は命を奪ってきた。


 護衛する対象も、いい奴も気に食わない奴も、仲間だと思いはじめていた連中も誰もかも。


 ナナシは思考と身体の不一致にバラバラにはじけ飛びそうだった。理性と本能のせめぎ合いが身体の内側で渦巻いてた。それを姫の細腕がつなぎ止めている。せき止められた右腕の力が鞘の中で長剣をカタカタと鳴らし続けている。


 獣は人を見れば、すぐさまでなくとも必ず神罰化する。

 神罰化すれば、執拗に人を襲い、殺す。

 詠術師がいなければ傷一つつけられない絶対的な天敵。それが神罰獣である。


 故に、人は獣と遭遇すれば即断を迫られる。逃げるか、即殺か。


 大抵の人間は前者を選ぶ。神罰化していない状態でも獣は脅威だ。たとえ兵の訓練を受けていても即殺はまずできない。すぐに神罰化しなければ、逃げたほうが助かる確率は高い。


 しかし、ナナシのような護衛を請け負う傭兵ほど即殺を選ぶ。獣の中には神罰化以前の記憶を保持していることがあり、その場では逃げ切ったと思っても神罰化した後に追いかけてくることもあると、まことしやかに語られているからだ。


 その真偽をナナシは知らない。しかし、獣を見たというだけで、まるで伝染病にかかったものと同じ扱いをされることも、傭兵に対し村には入るなと平然と言ってのける村人が少なからずいることは経験してきた。後顧の憂いを断つためにも、腕の立つ傭兵ほど即殺を選ぶ。


 逃げることも殺すこともできないこの状況は、ナナシの精神をじわじわと蝕む。


 獣とじゃれあっていた子供はナナシの異様な視線を感じて、逃げ出すようにその獣を抱えて走り去っていく。

 それでようやくナナシは右手を緩めることができた。動悸は収まらない。


「なんなんだ、あれは?」


 呻くようにナナシは呟く。


「猪の幼獣です」


「猪だと! あれが!?」


 到底納得などできない。仮に猪と先程の獣を横に並べることができたとして、共通点は四足歩行ぐらいしか見いだせない。


 密集した針のような体毛に、槌よりも強力な鼻、そして恐ろしい牙は槍と斧の役割を併せ持つ。それが猪だ。成獣はおろか顔つきの若い幼獣だって大の大人を超える巨躯も珍しくない。


 ところが今しがた見た獣は、体毛があるかも疑わしく、鼻だって柔らかそうだった。猪の特徴的な牙もなく、子供であることを差し引いても小さすぎる。体つきも下半身に向かうにつけぶくぶくと肉が膨れているが、頭がとても小さい。


 成獣の猪ならば、神罰化してなくとも大木を薙ぎ倒すくらいはやってのけるが、先ほどの獣では人に当たっただけでひっくり返りそうなくらい弱々しい。


「もちろんここの人達は猪と呼んでいません。イミタ、救い主があれをなんと呼んでいたのか、教えて下さい」


「救い主様は豚とお呼びでした。我々もそう呼んどります」


「ブタ、だと? 聞いたこともねぇ……」


「ここ以外、いませんからね」


 姫はイミタとナナシの間にさりげなく移動しながら、イミタの言葉を引き取る。


「あなた達は豚と共に暮らしている。そうでしょう?」


 イミタは戸惑いつつも肯いた。その答えはナナシの内面を揺さぶる。音が聞こえそうなほど拳が固まる。


「暮らす? 共に? 一緒ってことか? はぁ? わけがわからねぇ。なんだってそんなことをする?」


「育てなくてはいけませんから」


 ナナシの迫力に首を竦めながらもイミタは言い切った。ナナシの視界の際に朱が混じる。


 育てる。その響きは胸中で暴風となり、ナナシの心をかき乱しては深く遠く押し込めた記憶の蓋を吹き飛ばす。


 かつてのみんなの言葉だけが蘇る。


『もうそれ、父親じゃん』


『不器用だねぇ。そっくりだよ、そういうところがおまえらよ』


『なぁに、意地張ってるだけだよ。そういうところがあの男にはある。おまえさんがわかってやらにゃならんよ』


『大丈夫、全部上手くいくよ。お姉さんを信じなさい。だからね、』


 ずっとずっと憶えている。あの人ははにかむように微笑んでいたのだ。


『家族になろう、帰ってきたら』


 赤黒い記憶、赤黒い言葉。


『お前の剣を待つ』


「育てるってなんだよ。育てる? 獣を?」


 かつて、幼いナナシにかけれた言葉が脳内で残響するなか、ナナシはもはや独り言のように疑問を口にした。


「なんだって人が獣を育てる? 育ててどうしようってんだ?」


「昨日あなたは見ましたよ、ナナシさん。そして今朝も。ここで育った獣が最後どうなったのか、その結末を。そうですよねイミタ?」


「はあ。もちろん昨日お出ししました。直前まで生きていた豚を用いたので、段違いで口あたりが良かったかと。鮮度が違うとそれこそ肉は別物ですから」


 イミタの言っている意味がナナシには頭で理解できない。いや、自らの心を守るため理解を拒んだ。背筋が冷えていく。吐き気がせり上がる。


「なんだお前、なに、言ってんだよ?」


 イミタは素直に続けてしまう。少しだけ誇らしげに。


「人の手で育てなくては、いい肉にはなりません。以前いらっしゃったカレドアージェ様は家族のようだと仰っておりました。反論のつもりはございませんが、家族以上です。家族よりも我々は大切に育てております」


 家族。その言葉がナナシに響いた時、拳を振り上げて飛びだした。


 しかしその拳が届く前に姫が間合いの内側に入って、伸びる腕をそらしつつナナシの身体を取り押さえる。


「どけ!」


「あなたの拳では死んじゃう!」


「ああ、死ね! 死んじまえ! こんなやつら!」


 ナナシは姫を引き剥がそうと二の腕を掴む。いつもの外套を身につけていないその腕はひどく柔い。


「家族だと! てめえ、育てるだと! もう一度言ってみろ、俺の前で!」


 この里はナナシのこれまでを嘲笑っている。


 獣は神罰化する。そして人を殺す。ただ、殺すのではない。ナナシは生き残ってきたからこそわかる。


 明らかに殺すことを楽しんでいる。わざと恐怖を煽る。


 致命傷を与えておきながらとどめを刺さずに嬲ったり、死体を体に張り付けて見せびらかしたりしてくるのだ。


 そして、どうにもならない。詠術がなければ傷すら神罰獣にはつかない。


 昨日まで隣で笑っていた奴が、今日苦しみと恐怖にのたうち回って殺されるなんて日常茶飯事だ。

 助けてくれ、おまえが代わりに死んでくれという絶叫が耳の奥で響かない夜はない。

 仕事仲間だった奴の臓物が混じる泥にまみれて、這いずって逃げ出した日だって数え切れない。


 ナナシは生き残り続けてきた。それは結果的に他人の命を犠牲にし続けてきたと同義である。


 ──そんな目にあってる時も、こいつらは過ごしていたというのか。 

 ──大切に。

 ──家族のように。


「言え! この野郎、この俺に!」


 ──育てるために。


「あ……」


 か細く、息が漏れるようなわずかな呻き声に、骨にひびが入る音が重なって。


 掴んだ姫の上腕骨にひびが入ったのをナナシは耳ではなく自らの手から感じ取った。


 狼狽えたのはナナシだった。脊髄反射の勢いで両手を離すと、2、3歩後ずさりで姫から距離をとって立ち竦む。


 怒りが急速に困惑に変わっていく。怒りをぶちまけたいのは姫ではなかったはずなのに。

 イミタへの嫌悪が、一瞬にして困惑に置き換わる。


「イミタ」


「は、はい」


 イミタに呼びかける姫の表情から痛みは読み取れない。むしろイミタこそ痛々しく顔を歪めている。


「案内はここまでで結構。私達は部屋に戻ります」


○記憶・妹・保持


 私が元気になるにつれて、兄様は反対に私を避けるようになっていった。前まではあんなにも甲斐甲斐しく私の面倒を見てくれていたというのに。


 幼かった私は、自分がまともにさえなればすべてうまくいくと思っていた。すべての原因は私の身体が丈夫ではないことにあるのだと。


 だからこそ、私が回復すれば家族は幸福になるはずだったのに。父様も無理をする必要もない。母様も自分を責めて隠れて泣く必要もない。兄様だって私の世話から解放されて好きなことにしたっていい。全部上手くいく、はずだったのに。


 私があの赤い液体の薬を飲み下す度に、あの優しかった兄は顔をしかめるのだ。そして私を避ける。


 兄が動かない私の身体を負んぶして、お世話してくれる度、私は申し訳なさに心をつぶされそうだったけど、今にして思えばあの時が一番幸せだった。


 でも、幸せは徐々に壊れたのではない。一瞬にして砕け散ったのだ。


 堅い軍靴が石畳を規則正しく叩く音。

 剣帯に繋がれた鞘が石畳を擦る不規則な音。

 黒い黒い、羽織のはためく様子。



 その黒い封書が2通届いた時のことはぼんやりとしている。あとから兄に聞かされたとき、上へ下への大騒ぎだったそうだが。


 それよりも私にとっては私の邸を囲む、黒ずくめの仮面集団のほうがよほど不気味で印象に残っている。背の高い兄の後ろに隠れ、両親が連れて行かれるまでずっと兄の背にしがみついて震えていた。


「王の剣だ」


 その仮面騎士の集団こそ、虐殺王アイル・エル・ラティカの力の象徴”王の剣”だったとは、ずいぶん後になって知った。


 予言者に選ばれた者に送られる黒の封書は死の宣告。子供だった私にもわかる。でもまさか私の両親に揃って黒の封書が届くなんて思いもよらなかった。父様も叫んでいた。


「なにかの間違いだ! 私はあの方と知り合いなんだぞ! いくら払っていると思っているんだ」


 悲痛な叫びは最強の騎士団にして最悪の暴力装置となったアイル王の近衛騎士団には通じなかった。聞こえているのかも怪しい。私の両親は抵抗も逃げ出す準備もままならず、幼い私達兄妹になにも遺せず処刑場へと運ばれた。


 その日。


 私が覚えいるのは、痛いほど私の手を握る兄の手の体温。


 そして、首を括られて力なく揺れる両親が意外にも小さく見えたこと。


 私の家族は決定的に壊れてしまった。


『ねえ、またあの歌が聞こえてくるでしょう?』

──だあれ、だあれ、あなたはだあれ。

「私はダリネ。雨林のダリネ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ