第二話(楽しみだったことは否定しません)・6
農道を歩きはじめてから、浅かった日が真上にきたころ2人は街道が目と鼻の先の位置にまで来ていた。
「待て。止まれ」
唐突に押し殺した声と左手で隣のアリスティア姫を立ち止まらせると、ナナシは数歩前に出てしゃがむ。そして両手を地面に当てて目をつぶった。ぬかるんだ泥のせいで判りづらいが、他の五感も総動員して探る。
「街道側、割と近くにいるな。いや……神罰獣じゃない。人……だな。集団」
そこまで読み取ると、手の泥を払ってナナシは振り返り、アリスティア姫を手招きする。
「状況的に軍の小隊だろうけど、違和感があるな」
「違和感?」
「怪我でもしてんのか……。いやなんにせよ、隠れよう。接触は避けるべきだ」
アリスティア姫は頷く。アリスティア姫の後ろでじっとしていた行李は、ナナシが転がさず2つとも持ち上げ、近くの茂みに隠し、そのまま2人とも身を潜めた。気配を殺す。
やがて現れた集団は、予想と違い軍隊ではなかった。
(人買いどもかよ。なんでこんなところに)
ボロボロになった衣服を、着るというよりひっつけていると言ったほうが早い集団は、悪臭を放ちながら、鎖に繋がれて歩かされている。男達はもれなく殴る蹴るの暴行を受けているのが一目でわかり、女達は目立つ外傷はないが、目が死んでいる。
率いるのは、簡素な武装をした4人の男達だった。示し合わせたように、黒のつば付き帽に黒の胴着、黒のズボンだった。使い古した茶色の外套の上から短剣を下げている。
ナナシは無意識に茂みから飛び出ていた半身をすぐ引っ込めた。
くそ野郎どもが、と思うがナナシはやり過ごすと決めた。接触はできない。騒がれても困るのでアリスティア姫の様子を伺うと、顔を真っ赤に歯を食いしばっていた。純粋なる怒り。
まずい、そう思ったナナシは小声で彼女に呼びかける。
「関わっていいことなんかない。このまま隠れてやり過ごす」
ナナシは、姫が今にも繁みから矢のように飛び出しそうだと感じたので手を伸ばした。アリスティア姫を抑えこむために。確かに彼女はこちらを少しも見ていなかった。はずなのに、ナナシの手はむなしく空を掴む。そしてこちらを振り返ったアリスティア姫と視線が交差する。
ナナシは首を振った。だめだ、いくな、と。しかし一瞬で無駄だと悟る。その碧瞳に、とめどない憤怒が宿っていたからだ。
今度は、両手で彼女を止めようと身を乗り出す。しかし、するりと躱しアリスティア姫は飛び出していった。
(あの馬鹿!)
心の中で悪態をついてももう遅い。商品にされかけている人間達も、人買い達も、突然繁みから現れた人間を当然認知した。
「その人達を解放しなさい! このラティカで人身売買は厳禁。その法を知らないのか!」
繁みに隠れ潜んだナナシも驚くくらい、低く、威圧的な声だった。もっとも神罰獣がいるかもしれないから、押し殺した声ではあったが、かえって脅しがにじみ出ていた。今朝、小屋の前で、人懐っこそうに話をしていた人物とはとても思えない。
とはいえ捕らわれの人たちは何の反応も示さず、人買い達は顔を見合わせたあと、笑い出した。当然そうなるだろうな、とナナシは隠れ見ながら思う。例え本物の姫様だろうとも、下々の人間が自国の王族の顔を噂のみしか知らないなんてよくある話だ。
もっともこの人買い達の中に慎重な奴がいたならば、こんな場所に女が1人いることに異常性を感じてもおかしくなかった。
(慎重じゃねぇってことは、こいつらは使いっぱしりの使い捨てだな)
「正規軍が近くに展開しています。その人達を解放し、出頭しなさい」
無意味で、力のない言葉。ナナシはそう判断する。この人買い共はその正規軍の、それも上のほうの貴族の息がかかっていると、ナナシの勘が告げている。
(これが、あんたの説得か)
人買い達の先頭にいた1人が、下卑たにやけ顔でアリスティア姫に接近する。とんでもねぇ上物だとか、直接言われていないナナシですら、嫌悪の表情を浮かべるほどの言葉を次々に吐きながら、男はアリスティア姫に抱きつこうと両手を広げた。
あまりにも簡単に彼女が避けたものだから、抱きつこうとした男も、他の人買い達もぽかんとした表情をしている。ナナシですら見ていたのによくわからなかった。
決して素早い動きをしているわけでない。むしろ目で追えるほどゆっくりとした動きだ。でも結果として捕まらなかった。捕まえた側がわざと外した、という表現が一番しっくりくる。アリスティア姫が積極的に動いた様子がなぜかない。でも避けている。
(さっき俺の手を避けた時も、傍から見てたらあんな感じだったのか)
ぽかんとした表情をしていた、避けられた男は短い悲鳴とともに、苦悶のそれに変わる。アリスティア姫の右のつま先が、見事に男の股間につきささっている。男は膝から崩れ落ちた。
ここに至っても、他の人買いはまだ警戒よりも怒りのほうが勝っていた。捕まえた人達を乱暴に座らせると、今度は全員でアリスティア姫を囲もうと出てくる。
実に奇妙な戦いだった。戦いと呼べるかすらわからない程の。
人買い達は全員でアリスティア姫に飛びかかる。それを彼女はすり抜ける。突っ込んでくる男達の勢いを利用して、最小の動きで彼女は翻弄し、男達を地面に転がしたり、仲間同士を衝突させたりしている。
素人からすれば、アリスティア姫を中心に、男達が勝手に転んだり、ぶつかったりしているようにも見えるだろう。人買い達が必死の形相をしているとこもまた、喜劇めいて戦いに見えない。
しかしナナシは、見抜く。これは技だ。王族や貴族には、一族にしか伝えない護身術の類いがあるという。今まさに技を食らっている人買いにはわからないだろうが、避けているだけに見えて、全ての動きをアリスティア姫の都合の良いように誘導されていた。だが。
(すべての攻撃が軽すぎるな)
激しい怒りはあっても、アリスティア姫からは殺気がない。はなから殺すつもりがないのだ。
かつていらやしい笑い声とともに、自分達のことを漁師とうそぶいた人買い集団をナナシは思い出していた。
(甘い。そして中途半端)
人買いの男達は肩で息し、大分消耗している様子だが、諦めているわけではない。互いに目配せしあっているあたり、素手で捕らえることをやめ、道具を使おうしているのだろうとナナシは読んだ。
ナナシはしゃがんだまま茂みから出ると、腰の合切袋から出した布を素早く靴に巻き付け行動を始める。
茂みを利用して回り込み、地面に力無く座り込む奴隷候補に気配と音を殺して近づいていく。幸か不幸かアリスティア姫が人買いたちの目を引いている今、目立たず動くのはナナシにとってたやすい。
大胆とも言える速度で奴隷候補達のもとに辿り着くと、捕まった人達はナナシに関心をよせるほどの気力はなく、騒がない。いきなり飛び出してきたアリスティア姫を見てもなんの反応をしなかったことから予想通りではある。
その姫に最初に股間を蹴り上げられた男は、未だに苦しそうなものの立ち上がった。そして吊り下げていた短刀で、姫の背後へ向かおうとしたところで、ナナシは素早く長剣を引き抜き、その切っ先で人買いと被害者を結ぶ太い鎖を音高く切り砕く。




