第五十一話
大友本陣の台地東端に陣取った副将・吉弘統幸は鉄炮隊二千を四町に渡り四段構えに布くと、その後ろに三千の抜刀した白兵を控えさせ前面の黒田軍陣形の片翼を見据えていた。
敵陣形の片翼前縁との距離はおよそ二町、火縄を撃っても置盾が邪魔で致命傷は与えられぬが敵を驚かせ敗走させるぐらいは出来よう、吉弘統幸はこの半時にもわたる睨み合いにいいかげん痺れを切らせ中央で上がるはずの攻撃合図が一向にないことに苛立ちは隠せない。
「又兵衛!本陣に行って督促して参れ」と床几横に控える部下に怒鳴った、吉弘統幸にしてみれば伸びきった敵の薄っぺらな陣容など一瞬で殲滅できそうなもの、それなのに本陣は一体何をためらっているのか…吉弘統幸は機を逸する不安に耐えかね手に持った指揮鞭を強く握り地面を打ち据えた。
ただ吉弘統幸は焦るなか少し気にかかる事が有った、それは敵陣の所々に配置されている「竹筒」らしきもので遠目ではっきりとは分からないが天に向かって林立し その廻りを係兵が慌ただしく動いているのが見えているのだ。
(あれは何だろう…何かの道具か、それとも新式の臼砲なのか)
昨夜の軍議で話題に上った 我が一千もの攻城兵がたった五百の黒田救援隊に瞬殺された事実を聞いているだけに…もしや我等の知らぬ新型臼砲を黒田軍が保有しているのかも知れぬと思った、だが目をこらし何度見てもどうにも薄っぺらな竹筒にしか見えず、怖ろしげな重厚感ある臼砲にはとても見えなかった。
吉弘統幸は兜の緒から滴り落ちる汗を拭うと、西端に陣取る宗像鎮続も自分と同様にさぞ苛立っていようと台地の西方を望んだ、だが目先には夥しい数の鉄炮列が撃たんとばかりに火縄から煙が立ち上りその煙で半町先も見通せなかった。
その時 遠く陣立中央の幕舎から攻撃合図の大赤旗が立ち上がるのが目端に映った。
「おおっやっとの攻撃か!」そう叫ぶと吉弘統幸は床几を蹴って立ち上がり指揮鞭を天に掲げ振り降ろしにかかった、その瞬間 前方敵陣の両翼から数十条の火柱が一斉に立ち上がるのが見えた、それは先程訝しんだあの林立する竹筒から打ち上げられたものだ、それは見るものにとって花火でも打ち上げたかのように見え、吉弘統幸は指揮鞭を振り下ろすのも忘れ今まで見たこともない数条の火柱を暫し見つめてしまった。
少し送れて破裂音が「シュポーン」と聞こえ、天空には白い筋を引きながら無数の点が飛び上がるのが見え、それら黒点はやがて大きな放物線軌道を描きながらこちらの頭上めがけて落ちてきた。
吉弘統幸は振り上げた指揮鞭を頭上に掲げたまま 降り注ぐ黒点を脅威の眼差しで追っていた、とそのとき天地を揺るがす大音響が後方に轟くと背中を巨人の足にでも蹴飛ばされたような風圧衝撃を受け、叩かれた様に崖下へと吹っ飛ばされた。
大友軍の両翼に巨大な火柱が立ち上がり、その火柱は十間ほども噴き上がると湧きあがるような黒雲に変化した、その恐ろしいまでの爆風は吉弘統幸や宗像鎮続らと共に四段に構えた五千の射撃兵や抜刀した白兵らを台地から根こそぎ前方の石垣原と後方の谷底へ吹き飛ばしていく。
そしてまたもや「シュポーン」という音が鳴り響き、前にも勝る爆発音が再び両翼端で起こった、この台地を震わす振動と耳を劈く衝撃波の直撃を免れた兵等は完全に浮き足立った。
狼狽えた兵達は火縄銃や刀を放り出し我勝ちに炎が上がっていない本陣中央を目指し殺到して行く、数千人の群衆が噴き上がる炎を避けようと幅一町奥行き半町ほどの本陣幕舎に死にもの狂いで殺到してきたのだ、辺りは怒号と悲鳴で沸騰し陣幕や仮小屋などは一瞬で踏み倒されていった。
本陣両翼の爆発は三度炸裂して止んだとき大友義統は兵等の下敷きになっていた、義統は一体何が起こったのか思考が混濁するなか胸に強烈な痛みを感じ急速に力が萎えていくのを感じた、殺到する兵等に踏みつけられ肋骨が肺にでも刺さったのか息が苦しく喀血に咽せながら土埃の中で覆い被さった兵から逃れようと藻掻いていた。
次第に意識が遠のくなか、折り重なった兵等の隙間から石垣原に展開する黒田軍の姿が朧に見えた、そのとき鶴翼の中央両側より煙を噴き緩やかな放物線を描いてこちらに飛んでくる黒点が目端に映った、と瞬間に体が巨大な力で跳ね飛ばされるのを体感し…意識は途切れた。
その後無反動砲弾は連続に二百発ほども本陣中央付近に撃ち込まれ本陣奥へ退避した兵等は谷へと吹き飛ばされ川底へと呑まれていった、また前縁に逃げた者達は断崖上より石垣原に叩き付けられ即死するか生き残って動いた者は歩兵小銃の標的になっていった、こうして僅か数分の間に幅十町・奥行き一町の敵本陣台地には合わせて1トン近い高性能榴弾が均等に撃ち込まれ黒田軍の砲撃は終息した。
やがて大友軍が陣取る立石台地から石垣原に下りる岨道数カ所より数百の敵兵が転がり下りてくるのが見えた、中には抜刀して突っ込んでくる者、或いは火縄を撃ち込んでくる者、だが彼らは一様に狂った様に駆け回り勝手に倒れていった、しかし斬り込んできた敵兵だけは歩兵小銃の標的になったが台地から下りた殆どの敵兵は戦意を喪失したのか崖下に一団となって座り込んでしまった。
こうして動く陰が見えなくなったのは砲撃が始まってわずか20分ほどの間のことだ、余りの呆気なさに黒田軍の兵も炎と煙が燻る台地を呆然と見つめていた。
暫くして機関銃隊隊長である大口中佐は気が付いたように「機関銃隊前へ!」と号令を掛けた、その号令で鶴翼の陣の両翼は崩れ、駆け足で機関銃隊一千は緩やかなる断崖部より煙が燻る台地へと駆け上がっていき、もう一方の一千も台地に上り脱出した敵兵を求め走り去った。
やがて台地の方から点射音が鳴り響き、遠くの方からも微かな銃声音が響いていた、だがそれも四半時ほども続かず やがて聞こえなくなっていった。
曽我部大佐は陣中央の機関砲部隊の後ろで腕を組み追撃していった機関銃隊の帰着を待っていた、しかし戦いから僅か四半時ほどしかたっていないというに石垣原は気色悪いほどの静けさである。
未だ燻り続く台地の上には先程まで翻っていた夥しい数の旗や幕舎は既に無く、断崖付近に黒々と重なる死骸や投降した敵兵らを残すのみであった、それにしても呆気なさ過ぎると曽我部は思った、この戦では一万二千もの敵の大軍に対し中央の機関砲部隊は一発として撃っていないのだ、つまりは砲兵百人もおれば兵一万二千の殆どを殲滅できると証明したようなものだろう。
これまで何度も試し撃ちした新鋭砲や銃であったが、こうして実戦に投入し初めてその威力に驚愕し、これらを考案し造り上げた陸軍中将 安田誠二郎という男の計り知れない頭脳に驚嘆する想いであった。
九月十四日の早朝、 当の安田誠二郎中将は鉄甲五号艦の甲板上より柳川城を見ていた。
師団長である誠二郎が率いる第四師団は九月九日、二千七百の兵を参謀長の黒田利則少将に託し陸路を筑後の久留米経由柳川に向け進撃させた、また誠二郎本人は遅れること三日後の九月十二日、中津の軍港から五号艦・六号艦の鉄甲戦艦に兵三百を分乗させ出航した、目指すは有明海に面した筑後の柳川である。
この鉄甲戦艦二隻は七月初めより製造を開始したレシプロ式蒸気機関が何とか間に合い、鉄甲被覆や艦載砲の搭載が終わった五号艦・六号艦に急遽搭載した戦艦である、その最大速度は二十五ノット(46km/h)を記録し、朝四ツ半(10:40)に中津軍港を出港し関門海峡の大瀬戸を抜けると昼八ツ半前には肥前名護屋と壱岐が左右に見えるという速さで、我ながらその艦速には舌を巻いた。
搭載する装備は艦の左右舷側に機関砲が各四門、艦前部と後部には80mm艦上榴弾砲を各一門ずつ装備、榴弾砲の諸元は口径:80mm、全長:2.680mm、重量:1,500kg、発射速度:10発/分、最大射程距離:10,400m、有効射程距離:6,800m であった。
そして翌日深夜には島原湾に入り十四日未明に有明海へと侵入、陽が上った朝五ツ(7:30)には柳川の「沖端川」河口から遡上を開始し矢留湊に投錨した。
陽が上がった置端川の左右には稲穂が黄金色に染まりその向こうに柳川城が霞んでいた、距離にしておよそ三十町(3300m)ほどであろうか、この距離なら艦載する80mm艦上榴弾砲であれば柳川城天守閣に百発百中で命中させることが出来ようか。
誠二郎は甲板上に将兵を集合させると、その中より久野大佐を呼び出し「これより柳川城に赴き、大殿が差し出された降伏勧告状の返書を受け取って参れ、降伏を受諾するのであれば開城を命じ もし拒否するのであれば信号弾を天に向け二発発射せよ!くれぐれも無理せず危険と感じたらすぐにも戻れ」そう命じると騎馬兵二十騎と共に艦より下ろした。
その頃には置端川両岸には黒山の人だかりが群れ、黒光りに輝く不気味な鉄甲戦艦を驚異の目で見ていた、その中には多くの兵も混じっており緊張はいやが上にも高まっていった。
誠二郎は艦の左右舷側に装備した機関砲を黒山の人だかりに向け威嚇体勢をとると、艦前部に装備した80mm艦上榴弾砲を柳川城に向け攻撃準備を整えた、あとは降伏勧告の使者帰着を待つばかりである。
一方陸路を進む第四師団二千七百は、そのころ筑前との国境付近にある久留米を守る城島城と海津城を陥落させ柳川を目指し南下していた、第四師団は豊前中津を発してからこれまで数度の激しい戦闘があり特に柳川城の付城である城島城と海津城攻略には時間が係った、その後 柳川城に向かう進軍中には死に物狂いのゲリラ的な追捕がかかり死傷者を多く出しながらも柳川を目指した。
昨日多くの時間を割いたという城島城と海津城の攻城戦に先立ち、久留米の立花勢は黒田軍が筑後国境に侵入したと察知するや、国境南の城山・山隅の防御線におよそ五千もの兵を展開させ柳川方面への全街道を封鎖し火縄銃と白兵をもって抗戦におよんだ、これに対し黒田軍第四師団は一千の機関銃隊と二百の機関砲部隊がこれに応戦し瞬く間に敵多数を死傷せしめた。
立花勢は黒田軍の恐るべき銃の威力に四半時も抗しきれず退却、それぞれの城に籠もった。
黒田利則少将は計画通り十四日の朝四ツ(9:30)に柳川城半里北の矢加部に布陣すべく先を急いでいた、しかしこのまま二城に籠もった敵軍を横目に通り過ぎれば必ずや後方より打って出るは必定。
黒田利則少将は暫し考え、柳川へは昼夜兼行で走破すれば何とか予定時間に間に合おうかと覚悟を決め、九月十三日払暁 筑後川と宝満川が分岐する東岸の自然堤防上に築かれた城島城の二町東に布陣した。
城島城の本丸は三十八間四方で周囲に堀が巡り、その外側に東西四十八間・南北三十二間の二ノ丸があり、この二ノ丸や三つの櫓なども川や堀で囲まれる堅固な城で、そうは容易く落とせない城構えであった。
立花勢は黒田軍が携える新型兵器の威力を鑑み城外での戦いは不利とみて、この城島城と二里南の海津城で黒田軍を挟み付け、討っては籠もる策により黒田軍を当分のあいだ久留米に釘付けしようとする魂胆は見て取れた。
だが黒田軍はこの一城ばかりに時間を割いてはいられない、ここより二里南の海津城にも二千を越える敵兵が犇めいているため殲滅は必須であろう、この二城を陥落させるのは遅くとも昼過ぎに終結させねば明日の柳川到着に支障をきたす、少将は苦慮の末 二千七百の兵を二分すると半数の兵を大河内大佐に預け海津城攻略に向かわせせた。
そのとき息をひそめ城に籠もり沈黙していた立花勢が慌てたように城壁の鉄砲狭間から火縄銃を突き出すと、海津城に向かう一千三百の隊列を引き留めんとばかりに行軍めがけ撃ち出してきた、このとき城から行軍後端までの距離は三町以上も離れていたため致命傷には至らないが、それでも被弾した黒田兵数拾人が倒れた。
これを見た黒田少将は前衛に布陣する機関砲部隊に「撃てぃ!」と叫んだ。
機関砲二十門が一斉に火を噴き城島城の鉄砲狭間を破壊していく、そして僅か数秒で拾数カ所の鉄砲狭間は破壊され漆喰壁には大穴があいた。
黒田少将は初め城島城の正面門を無反動砲で突破し城内へと打込み、この城の城主・薦野増時に降伏を迫るつもりであった、それは中津を出るとき安田誠二郎中将より薦野増時は極力殺さず味方に引き入れよと命じられていたからだ。
薦野増時は親徳川派の加藤清正・黒田如水との同盟を柳川城主 立花宗茂に進言した家老で「冷静沈着にして勇猛果断」文武に秀でた出来物との噂が豊前にも聞こえていたほどの人物であった。
しかし宗茂や立花家の重臣らは薦野増時の進言を聞き入れず「太閤殿下の御恩」を強く主張し西軍への参加が決定された、この一件で薦野増時は柳川城の家老職を解かれ付け城の城島城に左遷されたという情報を聞いた黒田如水は「出来れば彼を黒田家に召し抱えたいもの」と言ったという、このことが「極力殺さず味方に引き入れよ」の命令になったのだろう。
だが黒田少将は城島城の徹底抗戦ぶりから、降伏を促すべく城内への侵入には自軍の被害も相当覚悟せねばならないと考えた、また薦野増時の降伏を待っていては明日の柳川城攻撃には到底間に合わないと憂いてもいた。
少将がその判断に迷っていたとき、海津城に向かう黒田軍殿に向けまたもや敵の執拗なる攻撃が始まり、次いで反撃する機関砲の轟音が聞こえた、少将はその攻撃音を聞き刹那に腹は決まった、安田誠二郎中将の命に従えず申し訳ないと思ったがこの際 城島城の短期殲滅が最善の策と結論した。
少将はすぐさま二十門の迫撃砲と二十門の無反動砲に砲撃の用意をさせると、砲弾は榴弾と焼夷弾を用意させ、迫撃砲は二ノ丸と郭周辺に四十発を撃つよう命じ、無反動砲は本丸とその周辺に四十発撃つよう命じた。
砲撃準備は整い砲撃命令を待つべく砲手らは一斉に少将を凝視した、黒田少将は一瞬躊躇した、これだけの砲弾量を今まで一度に試した経験は無く、以前たった一発で四間四方の小屋が粉砕されたのを見てその破壊力を熟知するだけに砲弾量の多寡に迷いが生じていたのだ。
城島城本丸と二ノ丸を合わせた総面積はおよそ二千七百平方間、百発も榴弾を撃ち込めば総面積ごと木っ端微塵にするほどの破壊力であろう、それはいかにも多いと考え八十発に抑えたが…城内に籠もる二千余の将兵も同時に爆死させることを思うと憐憫は禁じ得ない。
だがもう時間は無い、黒田少将は断腸の思いで「撃てぃ!」と号令を下した。
黒田軍から一斉に炎と煙が立ち上がり低い弾道を描いて飛ぶ筋と高い半楕円軌道を描いて飛ぶ筋が幾重にも交差し城へと向かって飛んでいく。
やがて二十発の無反動砲弾が一瞬早く本丸に直撃し、瞬時に本丸天守はかき消え 二.三層目で恐ろしいほどの爆発が起こった、次いで二ノ丸全体が浮くほど震えた刹那 猛烈なる爆発が起きた、そこへ次弾が次々に撃ち込まれていく、今度は焼夷弾が多いのか恐ろしいまでの炎を噴き上げ数十間の高さに到達すると赤黒い炎へと変わり城全体を業火が包み込んだ。
その熱線は凄まじく兵等は顔に焼き付くほどの高熱を感じ我勝ちに置楯に隠れるほどであった、黒田少将は置楯の隙間から城全体を包む炎を見つめていた、そしてあの業火の中では一兵足りと生き残ることは叶わないだろうと思えた。
四半時ほどで城中の可燃物は燃え尽きたのか火の手は下火になり、それまで聞こえていた城中の火薬誘爆音や木が弾ける音、また人間や馬らしき悲鳴などは全く聞こえなくなった。
やがて炎が煙に変わったのを確認すると、黒田少将は両手を合わせ黙祷を捧げると兵二百を城島城の接収に残し、千二百の将兵を率い海津城に向け進軍を開始した。




