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第五十話

 大友軍が陣を構える立石台地は別府湾の浜脇から一里内陸に有り、この一帯は台地状を成し、南方背後は浅見川が流れ深い谷を形成している、また北方前面は低い断崖となりその断崖の下は石垣原いしがきばるが大きく広がり実相寺山麓に繋がっていた。


よって大友軍の立石本陣は石垣原より一段高い断崖の上にあり天然の要害となっている、大友義統は本陣台地の東端に吉弘統幸の隊を配置、西端には宗像鎮続の隊を置き両翼を固めた。


九月十日、義統が田原親賢に兵一千を与え六里北の杵築城を攻め落とすべく進軍させたあと、入れ替わるように豊後・府内の大名・早川氏が兵四百を率いて応援に駆けつけてくれた。


この早川氏の当主・早川長政は西軍にくみし、現在は丹波福知山城主・小野木重次らと丹後の田辺城に籠城する細川幽斎を攻め立てていた、その留守を預かる城代の早川内右衛門は細川忠興の飛び領である速見郡を大友義統が奪還すると聞き義統応援のため兵四百を率いて駆けつけたのだ。


この早川氏の来援を聞きつけた筑後・豊後・日向の西軍に与する大名衆らはこれを機に 我勝ちに応援の兵を立石に派遣してきた、併せて東軍大名の黒田如水が大友軍討伐に乗り出したのを知るや義統への援軍派遣はさらに加速していった。


これにより九月十一日夜の時点で立石に陣を布く大友軍の兵力は一万を超え、立石本陣の台地は西軍大名の混成兵で溢れかえった。


九月十二日未明、杵築城で大友軍一千を殲滅した黒田軍の救援隊五百は大友軍が陣を布く立石から石垣原を挟んで半里北東の実相寺山(標高169m)に到着した、隊長の曽我部大佐はこの山の中央付近に第二師団の本陣を布こうと 陣に適する平地を選び兵を一刻ほど休ませ、そののち辺りの灌木伐採に取り掛かっていった。


この急造りの本陣は夕刻近くには十間四方の陣幕が数拾カ所に張られ体裁はほぼ整った。

第二師団長の母利中将が将兵二千五百を引き連れこの出来たばかりの実相寺山本陣に到着したのは辺りが薄闇に包まれた頃である。


母利中将は着陣早々篝火を陣幕周辺にも幾つも焚かせ、将・佐官クラスを集めると軍議を開いた、だが軍議早々に斥候よりの報告で大友軍は応援兵の派遣によりその数は一万を超え未だ兵の来援は後を絶たずと報告された。


何と敵の軍勢は一万余!それを聞くや軍議に集まった准将・佐官・尉官らは一様に大きくどよめいた、自軍の三倍を超えようとは…いくら武器が優れていようと武器頼みの戦に勝ち目のないことぐらいはこれまでの戦経験からわかっている、それは未だこの最新鋭兵器を使った戦闘経験など無いのだからそう思っても仕方ない。


母利中将も聞いて唸った、予想では大友義統を頼る旧家臣がいくら集まろうと二千そこそこに過ぎぬと読んでいたからだ、しかし予想の何と五倍にもなろうとは完全に計算外であった。


もし誠二郎が造った最新鋭兵器が存在しなかったら敵軍の数を聞いた瞬時に陣をたたみ豊前に帰っただろう、だが杵築城において曽我部大佐が経験した最新鋭兵器の戦果を聞き兵力四倍の敵であろうと勝てるやもしれずと思えた。


だが皆は目の前に広がる石垣原で大友の大軍に押し包まれ圧死していく己の姿を思い描いていたのか一様に顔色は暗かった、そのとき末席に座る曽我部大佐が意を決したように立ち上がった。


「各々方 懸念にはおよびませぬ、それがし昨日杵築城で敵一千を瞬時に殲滅できたは最新鋭兵器があったればこそ、各々方はその時の光景を見てござらぬゆえ心配なされるは御尤もな事、しかし安心めされい!実際に体験したそれがしがあの兵器らは頼りになると断言申し上げる、そこで ここへ来る道すがら思案したので御座るが…その戦法は…」


曽我部大佐は言いながら机上に広げられた速見郡絵図に示された石垣原を指差し

「まずは敵本陣正面の石垣原に古風と笑われるやもしれませぬが鶴翼の陣を布きもうす、その陣の中央位置に機関砲部隊を横一列に布き、その両側に無反動砲と歩兵小銃の混成部隊を配置、さらに両翼には迫撃砲部隊を配置し、最後に短機関銃部隊を両翼端に配置した角度の浅い鶴翼陣形を形成いたしまする」と碁石を並べた。


「最初に両翼の迫撃砲部隊がそれぞれ三十門の迫撃砲で敵本陣の東端と西端に百発ずつ砲弾を撃込み 敵の左右拡散を防ぎまする、その後 中央両側に配した無反動砲三十門ずつで二百発ほど敵本陣中央に撃掛けまする、さすれば本陣裏手の谷は深く川も深いゆえ後方には逃げられず前面のこの断崖を駆け下り石垣原に雪崩れ込むはず、そこをこの鶴翼の陣中央に布陣する機関砲百門と両翼に配した短機関銃各一千丁が押し包む様に撃ちかけまする。


敵はこちらが持つ兵器を知らぬゆえ、旧戦術通り天然の要害を求めたのでありましょう、それが榴弾(爆薬入り弾頭)を保有する我が軍にとって袋の鼠になることに気付くはずもなし、敵本陣台地全域を迫撃砲と無反動砲による絨毯爆撃敢行で もし生き残った兵がいたとしても機関砲百門と短機関銃二千丁が一斉に火を噴けばどのようなことになるか、各々方!あの三角州練兵場で幾度も経験されたでは御座らぬか」


各将は曽我部大佐の戦法を聞き終わるや溜息交じりに深く頷いた、次第に顔色にも赤みが差し目も輝きだした、杵築城で一千もの兵を瞬殺した曽我部大佐の言葉は重く、誰しもが必勝に足る戦法と納得した、だが曽我部にしてみれば皆を納得させるため軍師風に「戦法」などと言ってみたが…正直 戦法とか鶴翼の陣などは洒落に過ぎず、あれほど優れた兵器を持てば子供でも勝てると践んでいた。


軍議は始まり当初から皆の色は暗かったが、曽我部大佐の戦法を聞き愁眉が開かれたが如くその後は次々に戦術が討議決定され、明日の決戦における各隊の持ち場詳細が決められ、また時系列での行動と段取りなどが決められると軍議は散開となった。



 そのころ大友郡の本陣でも同様に軍議が催されていた、軍議は大友義統を中心に 参集した旧家臣らが取り囲む形で戦術が話しあわれていた、参集した将は吉弘統幸・宗像鎮続・竹田津志摩・小田原又左衛門・深栖火七右衛門ら旧家臣らで、いずれも百戦錬磨の強者等である。


だがここの軍議も当初より暗かった、それは軍議二刻前に田原親賢率いる一千の杵築城攻城隊が黒田の救援隊ごときに一兵残らず撃ち殺されたされたという報告が届いていたからだ。


報告によれば黒田救援隊は五百に過ぎず、一千もの大友勢は応戦する間もなく瞬殺されその遺骸はまともな姿を留めぬほど無残な有様であったいう、軍議当初より黒田軍は如何なる武器を用いたかに焦点が絞られた、結局は姿を留めぬとあれば大口径の火縄銃が使われたは間違いないところ、最近堺で生産され始めたという大口径火縄銃であろうと意見の一致をみた。


それにしても救援隊如きが新鋭の大口径火縄銃を大量に保有するは侮れないとの意見が出され、黒田の本隊であればどれほどの数を保有するのか心底震撼せざるを得なかった。


座が沈黙に沈んだそのとき「ふん、黒田がどれほどの新鋭銃を保有しようが兵は三千そこそこ、当方は今や一万二千の兵力に膨れあがろうとしている、四倍の兵力ともなれば衆寡敵せずの理通り何を怖れるものぞ、一気に押し包んで殲滅いたそうぞ!」と宗像鎮続が叫んだ。


これを聞いた軍議の席は一瞬でどよめいた、誰しもが今の言葉で我に返ったように口々に「勝てる!」と叫んだ、軍議当初は兵一千の瞬殺という現実に打ちのめされたが…よくよく考えれば当方は四倍もの兵力である、明日の朝になれば本陣台地全域にひるがえる夥しい旗の数を見れば敵は腰を抜かして退散するであろうと思えたのだ。


軍議はようやく活発な討議へと移っていった、そして戦術が討議され最終的に義統の裁可を得て戦術は決定された、その戦術とは…明朝黒田軍は必ずや実相寺山から下り石垣原に展開するはず、もし怖じ気づいて降りてこなければ徴発に火縄銃隊百ほども進軍させ実相寺山に撃ち掛ければ釣られて出てこよう。


敵が石垣原に展開を終えていたとしても我が本陣前面の断崖近くまで接近せねば火縄射程には届かぬ、ゆえにそれを放置し敵が断崖から二町を切った位置まで迫ったとき大友混成軍のうち五千の火縄銃隊が崖上より乱れ打ちに撃ち掛け、敵の後退が見えた刹那 断崖より七千の白兵を石垣原に雪崩れ状に落として追撃に移るといった戦法であった。


また別案として、四倍する我が方に勇敢にも石垣原まで進撃し臨戦態勢に移るなど有り得ぬと考えるのが普通、黒田軍は当方の兵力が一万二千に達していることは既に掴んでいよう、ゆえに早くて今宵か…遅くとも明朝までには実相寺山北の鶴見口から遁走するが自然の成り行き。


であるならば陽が沈まぬ今の内、兵六千ほどを実相寺山鶴見口に潜ませるは如何、との別案が出された、しかし義統は「死にもの狂いに逃げる兵ほど厄介なものはない、来援頂いた他家の兵等を傷付けるは申し訳なき事、逃げるのであれば放っておくがよい、今は黒田より隣国肥後の加藤清正がいつ出てくるやも知れず、まずは旧領豊後を鎮撫し防備に備えるが肝要」との意見で別案は退けられ明早朝の決戦に大友の武運は委ねられた。



 九月十三日卯刻六ツ(午前五時半頃)実相寺山の黒田本陣が白みだした頃、石垣原の向こうに見える立石大地の空一面には夥しい数の旗が翻っていた、それを見た黒田勢の誰しもが驚愕し、台地を覆い尽くす色とりどりの旗の下に潜む敵の数を想像すれば「逃げたい」と思うだろう。


だが一年にわたる練兵場での厳しい射撃訓練で誰もが今持つ銃の威力とその性能には信頼を寄せていた、実弾さえ潤沢にあれば十万の敵とて殲滅できるはず、萎える想いを噛み殺し自らを鼓舞し実相寺山を下り始めた。


卯刻六ツ半、黒田第二師団は師団長と将兵五百を本陣に残すと二千五百の兵は実相寺山を下り石垣原に進出、朝五ツには立石本陣の断崖五町手前に両翼十二町という巨大な鶴翼の陣を布いた。


この陣容は奥行きは薄いが立石台地の大友軍陣地を包み込むほどの陣幅であり、今その両翼に配置された迫撃砲各三十門が大友軍本陣の東西両端に狙いを定め、まさに砲弾を撃ち出す体勢が整ったところである、そして陣全域に置かれた置楯が朝日に輝き台地上の大友軍を明るく照らしだした。


そのころ大友軍本陣では大友義統が断崖の手前まで進み眼前に広がる大胆不敵な鶴翼の陣形を見ていた。

「黒田軍があの距離から動かんということは…我が方が痺れを切らし仕掛けるのを待っとるということか…」義統は独り言のように言うと隣りに立つ銃砲隊総指揮官・菅沼弥一郎を見た。


「敵の大将は母利太兵衛と聞き及びまするが…それにしても大胆不敵な陣形を布いたもの、相手より兵数で劣っている場合は通常用いない鶴翼の陣…また相手が小兵力であっても複数の方向から攻めてくる場合は不利極まるというに、百戦錬磨の母利太兵衛が何故この様な虚仮威しの陣など布くのかそれがしどうしても合点がいきませぬ」菅沼弥一郎は眼前に広がる前時代的な陣形を見詰め首を捻った。


「そうよのぅ源平の時代ならいざ知らず火縄銃や大筒を使うこの時代…また我が方は断崖上にありとて駆け下るに適した箇所は多し、敵陣全域に向け撃ちかけながら襲い掛かれば二千五百対一万二千、一瞬で片は付こうよ、となれば敵将は母利太兵衛という優れ者、何やら秘めたる策があるのやもしれぬのぅ」


「殿の言われる通り、敵の布陣は余りにも無策に過ぎ却って不気味に感じまする、とは言え伏兵も斥候の報告から皆無と聞く…よってどうにも合点がいきませぬ」


「しかしこのままでは双方火縄の射程外じゃからいつまで経っても睨み合いよ、しかし大筒も持たず二千五百そこそこで我等一万二千の大軍に正面から挑んでこようとは…母利太兵衛 噂通りの切れ者か或いは決起にはやる匹夫の勇に過ぎぬのか…そろそろ見極めてみるか、菅沼よ これより五千の火縄と大筒四門を一斉に撃ちかけよ、なぁに玉など当たらずともよい まずは相手の出方を見てみようぞ、敵に秘めたる策有ればすぐにも露呈するはず」大友義統は指示するとニヤリと不敵な笑いを浮かべ鶴翼の陣中央付近を見つめた。

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― 新着の感想 ―
[一言]  いよいよ待ちに待った、旧大勢力VS新生黒田軍1個師団のガチンコ会戦ですね。   今からワクワクが止まりません。明日が待ち遠しいです。
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