第四十一話
誠二郎は目の前の久右衛門を観察していた、過ぐる江陰城昇華院に呼ばれた当時は医員助手にはなっていたが下人の分際に変わりなく、雲上人にも見えた久右衛門に怯え 顔さえまともに見れなかった。
(俺は何故この程度の男に怯えたのか…いやこの男に限らず殆どの将や足軽にも怯えていた)
常に死と隣り合わせの戦場という環境、それに兵粮不足という「飢餓」が加わった場合そこはもう地獄そのものであった。
空腹に怯え いつ来るか知れぬ敵の襲撃に怯える毎日、兵らの心はすさみ喧嘩は絶えなかった、その喧嘩は時として殺し合いにまで及ぶことがあったが止める者はいない。
また捌け口を求めるが如く凄惨を極めた虐めの日常化、虫の居所が悪いというだけで下人や兵を気絶するまで殴りつけたり飯を食わせぬなどはまだ序の口で、殴りながら次第に狂気が取り憑くのか殺してしまうことさえ多々あった。
誠二郎もこの時代に落ちた当初はどれほど虐められたことか、その虐めが心に染みつき常に怯えていた、飢餓でやせ衰え目ばかりが光り 顔を上げることなど殆ど無かった、それは荒みきった足軽兵の顔などまともに見たらそれだけで死ぬほど殴られたからだ。
そんな惨めな想いは奇妙にも誠二郎に生への執着を促した、それは暴力と飢餓から逃れようとする本能が生への執着に繋がっていったのだろう、人目も気にせず倒れた兵の腰の兵粮を掠めたり、逃げる朝鮮人を殴りつけ食料を奪った、まるで痩せ犬のように周囲に目を光らせながら奪った食い物で腹を満たし餓鬼道に堕ちた。
雑兵以下の下人ずれの誠二郎が外地の戦場で生き抜くには綺麗事では済まない、人殺し以外は何でもやってのけたと思う、そうしなければ自分の命が危うかった、現に雑兵・下人で体がひ弱な者や要領の悪い者らは遊び半分に虐められ、時として度胸試しと撲殺・縊り殺されるのを何度も見てきた。
こうした虐めの首魁はたいていは知性の欠片さえ無い荒くれた足軽頭や小頭ら達だ、彼らの殆どは古参で多くの戦場を渡り歩き幾多の修羅場を要領よくくぐり抜けたハイエナだ、彼らにとって雑兵・下人などは人間とは思ってはいない、暇つぶしに下人を引きずり出して衆人の前で辱め、少しでも反抗すれば息絶えるまで狂ったように殴り続けた、それは当時下人など消えても誰も気にはしなかったからだ。
そんな生殺与奪の権を握られていた下人時代、誠二郎は荒んだ生活にも少しずつ慣れ自然と生き抜く知恵を会得していった、そして次第に衆人に認められ頭角を現し始めたとき戦奉行であった久右衛門に会ったのだ、当時久右衛門は黒田二十四騎の一人として俸禄一千石を賜り兵五百を率いる一軍の将だった。
誠二郎はこの時初めて戦奉行という超大物に声をかけられた、それは足軽や足軽頭とは比較にならぬほどの大物だ、足軽の小頭ごときにひれ伏す誠二郎にとって久右衛門が雲上人に映ったのも無理からぬ話だろう、その久右衛門が今 誠二郎の正面で卑屈にも顔を歪めて何やら喋っている。
以前であれば彼の前に出ただけで這い蹲って震えていただろう、しかし今 誠二郎は御支配筆頭にして中老の身分である、黒田家で目上はもう幾人しかいない、そんな誠二郎に対し戦場では戦奉行だったかもしれぬが今は無役の久右衛門だ、いま這いつくばるのは久右衛門の方であろう。
それなのにいまだ恫喝さえまじえ誠二郎を見据えて詭弁を弄している、この横着さには「無礼者!」とばかりに扇子で頭を打ち据えるところであろうが…さすがに潜在下に埋め込まれた彼への惟敬観念はそう簡単に払拭出来るものではない、せいぜい含み笑いを浮かべるのが限度であった。
誠二郎は聞き終わって静かに口を開いた。
「久右衛門様の窮状はよく分かりもうした、なれどこの度の殿の大阪行きはそれがし支配ごときには事前に知らされておらず驚き入るばかり、ましてや論功行賞とか御役周旋など支配役に談じるは筋違いと存ずるが…なぜ御貴殿がそれがしの元に参られたのか合点がいきませぬ…」
「拙者筋違いは分かった上でここに参ったつもりでござる、この様な訴えは本来なら留守居城代の黒田三左衛門様に願い出るが筋目、なれどあの御方とはこの十数年間幾度となく戦場で共に戦った仲間、彼の器量の底根まで分かっておるゆえ御貴殿に面会を求めたのでござる」
「…ふむぅ、申し訳御座らぬが今言われた意味…それがしにはとんと要領を得ませぬが」
「では有り体に申しましょう、この七年におよぶ朝鮮戦役で他家と同様に黒田家も疲弊しきっていると思いきや逆に隆盛を極めている、この繁栄ぶりは留守をまもる城代の器量がどれほどに優れようとも度を超しているとしか思えませぬ、猛将である三左衛門様が農政改革や殖産振興…ましてや割賦の仕組みさえ構築するなど到底有り得ぬ話、ゆえにあの御方を補佐している御貴殿こそがこの城を支える真の経営者であることは紛れもなきところ…」
さすがに久右衛門だけのことはある、三左衛門が傀儡である事ぐらいは既に看破していた…ならば誠二郎も徹底的に芝居を演じるしかない。
「久右衛門様!その物言いは無礼で御座ろう、それがしの上司であられる三左衛門様をして能無し呼ばわりは捨て置けませぬ、これより二ノ丸にそれがしと参内し三左衛門様に面会して頂きましょう、その場で今言われたことをもう一度申されたら如何か!さぁそれがしと同道下され」言うと誠二郎は鼻白んだふうに立ち上がった。
立ち上がった誠二郎を久右衛門は呆然とした顔で見上げた、まさか誠二郎がこんな芝居じみた挙に出るとは思わなかったからだ、形ばかりとはいえあくまでも己の能力は見せないという構えであろう…と狼狽えた。
久右衛門は慌てた「ま…まぁ座って下され安田様、それがしの言い過ぎでござった」そう言うと誠二郎の袴の裾を慌てて掴んだ。
誠二郎は小芝居に過ぎたか…とは思ったが久右衛門の殺気じみた出鼻を挫くにはこんな小芝居でも効果は有ったと感じた。
久右衛門に裾を引かれ仕方なくといった体で再び腰を下ろすと腕を組んで目を瞑った、そして暫くは沈黙に口を閉ざした。
誠二郎は相手の出方を待っていた、焦らして待つほどに相手の構えは崩れていくものだ、やがて狙い通り久右衛門は先とは異なり落ち着いた低いトーンの声音に変わった。
「安田様、話しの切っ掛けが掴めず苛立ちから筋違いなことを申し上げた、この通りお許し下され」と深々に平伏する。
やがて頭を上げるや「御役周旋で切り出したはそれがしが浅はかでござった…ここを訪ねた拙者の真意は別なところにござる、まずはそれがしの感慨を少しのあいだ聞いて下され」
久右衛門は考えるように鴨居の一点を見つめると やがて静かに語りはじめた。
「我等 釜山から脱出する際、定員を百人も超える重き廻船で対馬を目指すも遅遅として進まず 勢いを増す朝鮮水軍の急襲に怯えながら何とか対馬へ命からがらに渡り、からくも名護屋の湊に上陸したときは一同胸を撫で下ろしたものでござるが…しかし着いたら着いたで主のいない名護屋城下は既に無法状態にあり、行き場を失った雇い兵らが徒党を組み野党の如く我が物顔で湊を占拠しておったのでござる。
他の大名衆と同様に我らも疲労困憊し湊に上陸した途端、涌いて出たような野党らに荷駄を襲われ数十は斬り殺したが野党らの素早い動きに翻弄され遂に食料の殆どは収奪されしもうた。
釜山を出てから船上での三日間は食うこともかなわず、四日目に名護屋に着きようやく食にありつけると喜んだのも束の間、荷駄を奪われ空腹に耐えつつ豊前中津に向かったのでござる。
その途中、肥前・筑前の状況は目を背けるほど酷いもので御座った、それは七年前に朝鮮に出兵したときと異なり田畑は荒れるにまかせ民心は暗くすさみ 道中どれほど多くの餓死者を見たことか、七年にも及ぶ朝鮮の戦役が本国に及ぼした影響はこれほどまでに凄まじいものかと身が凍る想いでござった。
それゆえ我が豊前も肥前・筑前と同様に財政破綻による困窮衰微は余程のものであろうと我等落胆の想いで国元を目指したのでござるが、それがどうであろう豊前の国境を越えたとき田畑や道は美麗に整備され出迎えた百姓衆の顔は一様に明るく疲弊の陰さえ見えなんだ、そして帰着してからの盛大なる歓迎式典といい城内外の完璧なる整備完遂…。
それよりなにより驚き入ったは農政改革とやらによる驚異的な米の収穫高で御座ろうか、わずか十二万石だった収穫高が今や二十五万余石となり各殖産振興とやらの効果も手伝い豊前全体の実収は三十万石を優に超えると聞きもうした。
有り得ぬこの発展を目の当たりにし我等一体何がどうなっているやらと首を捻り…。
諸将らはこの不可解なる現象を俄には信じられず各地へ走りその実態を見聞して参った、しかし繁栄は紛れもなきこと…ただ農政改革とか化学肥料や農薬そして殖産振興など耳慣れぬ言葉や新しい技術が施行されていることを知りもうした。
それらの施行により見事に御家の政治と財政は再建され、流出が続いた領民も故郷に復帰すると殖産振興や新田開発に割り当てられ、他の九州諸大名が朝鮮戦役で疲弊しきり餓死者さえ続出させていたにも係わらず、豊前ではただ一人の餓死者も出さなかったことが調べで分かりもうした。
その見聞の中で常に名が上がったは御貴殿の名であった、諸将らは留守居の者でこれほどの事業をしてのける者は御家にはおらずとて御貴殿の名は知られておらぬゆえ京・大坂の高名なる学者を如水様が豊前に招聘されたのではないかと結論したのでござるが…。
かくいうそれがしも正直…御貴殿の名は白兵衛としか知らず、先日遠目より御貴殿を拝察致しようやく思い出した始末、朝鮮釜山で初めて御貴殿とお会いしたさい蛆を使って壊疽を治療したり奇妙な銃器を造ったりと…朧ながらも御貴殿がこの世の者ではないかもしれぬと思った事もあった…しかし朝鮮の地より御貴殿が消えるとともにいつしか忘れ去っていたのでござる。
御貴殿が殿の命で六年前豊前に帰還し国元の経営に当たられたことを知ったのも実は一昨日でござって、帰還した諸将らと昨日語らい、各自がこれまで御貴殿について調査した事実内容を突き合わせ改めてその優れた能力が知れ感服仕ったのでござる…」
ここまで喋ってから久右衛門は眼を閉じた、そしてこの後を語り継いでよいものかと考える風に眉間に皺を寄せ暫し口を閉ざした、
誠二郎はこの語りを聞き、帰還した諸将らがこれまで誠二郎を攻撃してこなかったのは誠二郎の為人を調査していたからと知れた、彼ら猛将を「いくさ馬鹿」と断じ留守を狙ったコソドロ的な誠二郎に短絡的に攻撃を仕掛けてくるものとばかり思っていたが…(まさか調査していたとは思わなんだ)
(であるならば彼ら帰還諸将も捨てたものではないな…)と誠二郎には思えた。
その時対座する久右衛門の目が見開かれた。
「やはりどう考えても御貴殿はこの世の者では有り得ませぬ、たしか朝鮮の江陰城で初めて御会いしたさい御貴殿は四百年後の時代より落ちてきた者と言われたが…あの時は何と言う虚け者と思い無視致しこれまで誰にも喋ってはおりませぬが…今となっては紛れもなきことと思うておりまする。
大殿如水様や長政様の命で国元に帰還されたと聞きもうしたが、帰還命令の真意は国元の繁栄を促すためだけとはそれがしには到底思えませぬ、御貴殿が四百年後の時代から来た御方であれば当然朝鮮戦役の結末時期、そして太閤殿下の死去も既に御存知であったはず、ならば六年前に もしこの史実を大殿と長政様にお話しされたとあればどうで御座ろうか。
太閤殿下が死去したとあれば当然次期の天下人は若き秀頼様となりましょうが…それがしはそうとも限らぬとみておりまする、そのようなことは大殿も長政様も同様でござろう、天下は確実に乱れもうす。
この六年 御貴殿が帰還され見事に御家繁栄を実現させ朝鮮渡海の兵五千の他に三千の兵を増員され名実共に富国強兵を為したるは何のためか…それは誰が考えても想像はつくというもの。
この二ノ丸に接する西門から見える…黒煙を噴き上げたる巨大な工廠は何を目的に造られたのか、たぶん御貴殿が朝鮮の江陰城において衆人の前で試射した恐るべき機関銃や先進なる兵器やらを大量生産するためでござりましょう。
国を富ませ兵を募り武器を調達する、これはもはや天下取り以外に何がありましょうや、この天下取りの準備命令は既に六年前 朝鮮の地で大殿と長政様より発せられたことと拙者は推察しておりもうす、如何でござろうか安田誠二郎様」
「------」
誠二郎は俄に返す言葉が見つからなかった、久右衛門ら諸将が既にここまで見抜いていたとは思わなかった。
誠二郎は少し口ごもったが
「久右衛門様、それがし貴殿が言われた今の推論は何の事やらとんと分かりかねまする、それがしが以前貴殿に四百年後の時代から落ちてきたと言ったはその場逃れの戯れ事に過ぎず、そんな夢物語など笑ってお聞き流したと思うておりましたに。
また貴殿が言われる能力など我に有るはずもなく全ては三左衛門様のご命令に従ったまで、ましてや天下取りなどという由々しき今のお話しはそれがし興味深く拝聴致しましたが…この胸奥深くにおさめますよって、この後は無闇に吹聴為されぬ方が御身の為と存じまする」と嘯いた。




