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第十六話

 暮れも押し詰まった十二月二十九日、釜山湊で大量の兵糧を受け取った荷駄隊が江陰城に帰ってきた、当初この時期は対馬海峡が時化で大荒れになるため太閤殿下が下し置かれた兵糧到着は年明けになろうと噂されていた、だが予想に反し約束通り釜山湊に陸揚げされたらしい。


この兵糧到着に兵らは沸き立った、この十日あまり粟稗さえも底を尽き誠二が居候する鉄炮組も、朝飯は蒸かした芋を薄い味噌汁に溶かしたどろ汁のみ、昼飯は抜きで夜はいつもの通りの干からびた干飯一握りになっていたからだ。


だがこの日、兵らに支給された食料はやや多めの雑穀であった、昨夜釜山から米が大量に運ばれてきたとの情報に兵らは久々に米が食えると沸き立っていた、それゆえ落胆は大きく「米を出せ!」と多くの兵らが昇華院に押しかけたらしい、しかし対応に出た一老の栗山善助より「米はこれより押し寄せる明・朝鮮連合軍との戦いに必要な兵糧じゃそれまで我慢せい」の言葉で皆渋々引き下がったという。


次の日、鉄砲二番組が試作したという新式銃四丁がお披露目されるとの噂が城中に流れた。

昼八ツ半過ぎ 江陰城の中央広場には続々と痩せさらばえた将兵等が集まってきた、その中には黒田直之・栗山善助・母里太兵衛ら黒田家重臣と当然 衣笠久右衛門の姿も群衆の最前列に見えた。


群衆は縄で仕切られた外側に置かれ、その西側二十間(36m)先の朽ちた城壁には十間(18m)長さの棚が縦六段にも設えられ四百個近い古びた壺や瓶・鉢・瓦が整然と並べられてあった。


しかし誰が見てもその膨大なまとの量は新式銃のお披露目にしては多すぎるように見えた、それはたった四丁の銃でこれだけの的を全部撃ち尽くすには一刻(約2時間)以上は連続して撃ち込まねばならずとうてい試射の限度は超えていようと感じたからだが…周囲から「どうせ虚仮威こけおどしに並べただけだろう」とか「四丁でなく四十丁の間違いだろう」とささやき声がもれはじめた。


やがて夕七ツ(15時20分)、時間通りに広場には鉄炮組の武具に身を包んだ佐八郎が先頭に立ち源三郎・作左右衛門・五郎太の四人と、その後ろに猪助が弾箱を担ぎ誠二に伴われて出てきた。


群衆はまとの量からして当然数十人の鉄炮隊が出てくるものと思い、なおも彼らが出てきた方向を見続けていたが後続衆はいなかった、それゆえ方々では「おいおいたった四人かよ、それにあの銃を見てみろよまるでオモチャじゃねえか、ふん やっぱり虚仮威しかよ」と辺りをはばからない野次さえ洩れ始めた。


そのころには群衆は千人を越え縄外は溢れんばかりに兵らがひしめいていた、そのとき佐八郎が大声を発した「これより新式の連発銃を御披露する」そう叫ぶと四人は群衆を背に一列に並ぶと地にも届かぬ短機関銃を右手に持ち 気を付けの姿勢をとった。


群衆から「おい、あの寸足らずの銃を見てみろや…火鋏も火蓋も無く片手で軽々と持っていやがる…あれでも銃なのか」との声が漏れていた。


猪助は肩に下げた弾倉箱を下ろすと中から三十発入りの弾倉を両手で抱え二個ずつを四人に配っていく、それを受け取った四人は一個の弾倉を機関下部に叩き込み残る一個は脇に挟んだ。


誠二はこれらを固唾かたずを呑んで見守っていた、三日前より六百発近くを試射し四丁の機関部は繰り返し調整を行ったため機関詰まりなど有り得ないと思うも、実包組込みでの雷管不良は現代でもあり、不発ともなればすぐにも機関停止してしまう、それゆえ誠二は全弾の撃ち尽くしのみを神に祈った。


弾倉は三十発入りを16個用意した、各々二個の弾倉が無事撃ち尽くすことが出来たならもう二個の弾倉も支給し撃ち尽くすつもりだ。


その時「構え筒!」と佐八郎が大声で叫んだ、その声に三人は同調し一斉に前方の的に向け機関銃を構えた、続けて「撃てぃ!」の声で四銃が一斉に火を噴く、その音は天地が割れんばかりの大音響でダダダダッという連続音が鳴り響くと前方の的は破裂するように粉砕されていく、その時間わずか三秒間!一瞬の出来事だ、そしてすぐに空弾倉を引き抜くと次弾倉を叩き込んで再び引き金を引く。


四丁の短機関銃から発射される弾丸は一秒間に十発×4丁で毎秒四十発に到達し、発射音はブーンという蜂の羽音と化していた、また的の粉砕速度は早すぎ目では到底追いつけない。


轟音の余韻は殷々と天空に木霊し澄んだ空へと消えていく、そして嘘のような静寂が訪れた。

誠二は手に汗握り たったいま眼に焼き付いた光り輝く光景を反芻はんすうしていた、何と全弾詰まることなく全て撃ち尽くすことが出来たのだ、その喜びは尋常ではなく まさに小躍りしたいほどの喜びだった。


そして群衆に視線を転じれば、群衆は城壁を見つめ自失呆然に立ち尽くししわぶき一つ聞こえない、見れば恐怖の余り腰でも抜けたのか座り込んでしまった兵等は半数近くに及んでいた。


この時佐八郎は「次弾!」と叫んだ、この声に猪助は我に返ったように慌てふためき次の弾倉を二個ずつ配り、空弾倉を受け取るや後方へ逃げた。


今度はすぐに「構え筒!」の声に続き「撃てぃ!」と声が発せられた。

又もブーンという音響が天空に抜けていく、残った的が土煙と共に恐るべき弾幕に破裂するように粉砕され飛び散っていった。


今度の弾倉には五発ごとに弾頭被甲内に鉛ではなく黒色火薬に灰を配合し膠で練った曳光火薬を詰めたものだ、ゆえに昼間でも光の筋を鮮やかになびかせ城壁へと吸い込まれて行くのが見える。


数秒後、次弾倉を叩き込み四人が構えたところで佐八郎の「撃ちかたやめぃ!」の声が発せられた、それは各自三つの弾倉を撃ち尽くしたところで的の殆どは消えていたからだ。


それを見た佐八郎は「点射開始!」と叫ぶと四人は機関部のツマミを切替え残った的を慎重に一個ずつ粉砕していった。


全ての的を撃ち尽くしてもなお群衆は静まりかえっていた、その恐るべき新式銃の威力を目の当たりにし誰一人として声を発する者はいない、なんと新式銃のお披露目時間は開始後たった1分弱でその幕を閉じたのだ。


やがて群衆の中で一人手を叩く者が現れた、見れば衣笠久右衛門である。

彼の目は誠二を見ていた、やがて拍手は全群衆へと広がり、その音は澄み切った空へ抜けていった。



 万歴二十年十二月二十三日(日本歴 文禄元年十二月二十七日)明の軍務提督李如松(リィルウソン)は四万三千の兵を率い、いよいよ朝鮮の北界である鴨緑江を渡って朝鮮の義州(ウイジュ)へと進軍を開始した。


そして翌年の文禄二年一月二日には、清川江(チョンチョンガン)を渡り平壌(ピョンヤン)の北十五里にある安州(アンジュ)へと入り、朝鮮政府軍八千余・義兵二千余と合流しその兵力は五万三千の大軍へと膨らんだ。


明の軍務提督 李如松は一月五日に小西行長軍が籠もる平壌城周辺に兵を展開し七日に各門より総攻撃を開始、各城門は次々に連合軍の手に堕ちていった。


このとき小西行長・宗義智軍の兵力は一万五千、圧倒する連合軍に対し防戦一方となりついに内城を支えるのみとなった。


小西行長はこれまでかと覚悟し、二千の兵を内城に集中させると起死回生の押返しの命を発した、この命を受けた将兵らは死にものぐるいの挙に打って出、順叔門に押し寄せる敵を半町先まで押し返した、この押し返しには半刻を要し一千の兵を失うほどの凄惨極せいさんきわまる攻防であったという。


この猛烈なる反攻に直面した明・朝鮮連合軍側の被害も甚大じんだいで、この有り様を聞いた李如松はこれ以上の無理押しは兵の消耗著しいと判断、城外へ兵を一旦引けとの命を下した。


もう一歩という所で兵を引いた李如松の真意は、城外に一旦兵を引く事で守城側に活路の望みを与える、さすれば命惜しさに城を捨て落ちのびるはずと読み それを追撃し討った方が被害は余程少ないとみての撤兵であった。


しかし城外に撤兵するも待てど暮らせど日本兵は城から出てこない、ついには日没となり日本軍のいさぎよさを知る李如松は彼らは城を枕に討ち死にするつもりであろうと翌日早朝を待って掃討戦に移ることを決め兵等は休めた。


だがこの油断がいけなかった、商人上がりの小西行長にいさぎよさなどはなっから有りはしない、深夜敵軍が寝静まるのを待ち夜陰に乗じ大同江を密かに渡河、南に向かってスタコラサッサと遁走とんそうを決め込んだのだ。


明軍がこれに気付くも時遅し、追撃にうって出たが逃げる方は死にもの狂いで足の速いこと、殿しんがりの兵が百数十も討たれるが小西行長はそんなことには見向きもせず一目散に南を目指した。


平壌をからくも脱した小西行長・宗義智らは金魚の糞が如く3万余もの敵兵を引き連れてただひたすらに南へ遁走、平壌から十五里南の黄海道鳳山(ファンヘドポンサン)へと逃げ込んだ、だがここは大友義統がまもっているはずだった、しかし大友義統は平壌城が明軍の包囲を受けたと知るや援軍を送るどころか我先に遁走した後だったのだ。


再起の望みを絶たれた小西行長らは疲労困憊しながらもさらに南に向けてひた走り、鳳山ポッンサンのさらに十五里南の黒田勢が護る竜泉城へと近づいた、その時 竜泉城の城郭に黒田家の旗がはためいていた、それを見た小西行長は「大友義統の卑怯ひきょうに比べ、黒田は日の本一の大剛なり」と喜んだという。


竜泉城の城主・小河伝右衛門は城に近づく小西行長の旗を見るや その後ろに大軍が迫ってきているのを見つけた、伝右衛門はすぐさま配下に小西軍を助けよと命じ鉄炮数百丁を持たせ迎えに行かせた。


迎えに出た黒田家の兵らは小西行長軍をひとまず竜泉城に収容し、迫る来る敵の大軍に向かって鉄砲数百丁を五段に構え撃ちかけた、五段の構えから順次撃ち出される射撃には間断はなく、その猛烈なる弾幕に敵は為す術も無くついに明・朝鮮連合軍は一旦兵を引くしかなかった。



 竜泉城の南には江陰城とその向こうに白川城が有り、当時 黒田長政は白川城を守っていた。

小河伝右衛門は白川城の黒田長政に小西行長が竜泉城に到着したことを伝達すると、長政は伝令に小西行長をまずは安全な白河城に引率せよと命じた。


こうして奇跡的に白川城に入城した小西行長は長政に「敵は一度引いたものの未だ勢いはおとろえず、竜泉城周辺で攻撃の機をうかがっておるゆえ、ここはひとまず黒田全軍は開城ケソンへ引くべきではないか」と提言した。


しかし長政は「敵の旗も見ずして引くは武士の本分にあらず、貴殿の兵は負傷兵も多いゆえ我等が敵をこの地に引きつけるよって一足先に開城に引いて下され」と言い、小西行長を暫時休ませると六里南東の開城へと送り出し長政はそのまま白川城に残留した。


そして竜泉城の城主・小河伝右衛門に向け、一度は明・朝鮮連合の大軍を追い返したものの敵の勢いは盛ん、次ぎに攻撃を受けたなら持ちこたえられぬから直ぐさま竜泉城から一つ南の江陰城に引けとの命を下した。


こうしてその日の夕刻までに竜泉城の将兵らは江陰城へと引いた、しかし竜泉城の兵と江陰城の兵を合わせても二千七百そこそこ、これに対し明・朝鮮連合軍は一部が平壌に残ったとはいえ依然三万を超える大軍を擁し江陰城周辺に布陣させている、よってすぐにでも兵数貧弱なるこの江陰城や白川城を踏みつぶし開城に兵を進めるは当然の成り行き。


この時、江陰城には黒田官兵衛の異母弟 黒田惣右衛門(直之)、黒田八虎の一人栗山四郎右衛門(善助)と母里友信(太兵衛)、それに黒田二十四騎の衣笠景延(久右衛門)ら錚錚そうそうたるメンバーが守っていた。


一月十日の夕、江陰城の昇華院では竜泉城から引いた小河伝右衛門を迎え軍議が行われた。


斥候せっこうの報告によれば敵は現在竜泉城南の峰泉邑に集結しつつあり、その動きから攻撃は今夜か明日の早朝あたり、敵の数は明軍およそ二万三千、朝鮮軍およそ八千にもなりまする」

戦奉行の戸塚四郎右衛門がつぶさに敵状を重臣の前で報告した。


「いよいよ来るか、この日のために三ヶ月をかけ戦準備をしてきたが…ふむぅ敵は三万を超えるか、我が方の十倍とはいやはやこれは参った…。


各々方、一番隊の小西行長殿と宗義智殿の将兵およそ一万五千をもってさえ平壌城の守城戦では一方的と言える程の破られ方、彼らが命からがら竜泉城に逃げのびたは皆も周知。


あの守りの堅い平壌城でさえ二刻として持たなかったいうからにはこの江陰城は見ての通り竜泉城と白川城の繋ぎ城よ、敵にすれば単なる通過点に過ぎぬ 一気に踏みつぶして白川城に殺到するつもりじゃろうて。


つまりこの城など敵の眼中には無いということよ、ゆえに平壌での勝ち戦に乗じた敵は貧弱極まりないこの城などあなどって仕掛けてこよう、そこが付け目よ!儂らが活路を見いだせるはこの侮り一点のみと心得よ」と黒田家一老の栗山善助が軍議に集まった諸将を見渡し言い放った。


「三万か…」とボソっと呟いたは衣笠久右衛門である、久右衛門はここに集まりし黒田家重臣の中では最年長者で小寺家から与力として黒田家へ移り黒田職隆の小姓として仕えた男だ。


天正5年の英賀合戦の際に包囲された栗山善助を救ったこともあり、黒田家重臣の中でも一目置かれ、また智謀家として才知に長けた武将でもあった。


「朝鮮に来てこれまでの戦を考えるに、朝鮮軍は守る敵にはかさにかかって攻めるくせに打ってこられると意地汚くなく逃げ惑う、つまり意気地いくじというものがはなっから無いのかもしれぬ。


ゆえに王のくせに民や兵を放り出し我先に意地汚く逃げる、また恥ずかしいほどに節操もなく 簡単に白旗掲げて降参するも得が無いとみるや豹変し寝返る、この畜生にも劣る情けない習性は古来より漢に擦り寄り 目の色を覗い暮らす内、その根性に染みついた卑しむべき性根にござろうよ。


ゆえに、目前に迫ったこの度の守城戦は籠もるのではなく、撃って出た方が勝算有りやと存ずるがいかが」


「そう言えばそんな気がするのぅ」と声を漏らしたのは黒田八虎で知られる猛将 母里太兵衛である。

咸鏡道(ハムギョンド)の朝鮮士族らの多くは侵攻してきた加藤清正殿に恐れを成し帰順したと思えば、清正軍が義軍に圧されたと知り恥ずかしげもなく義軍に寝返ったと言うではないか。


所詮意気地しょせんいくじなど微塵みじんも無い奴儕やつばら、そんな下郎を相手に籠城戦などは羞恥の極みというもの、それなのに城壁に石落としなど造りおって情けない…籠城するぐらいならさっさと開城に引いたほうがまだ格好がつくというもの、儂は当然打って出るよって皆の衆には今から言うておくわ」


「打って出るともうしても敵は三万余の大軍ぞ、いくら相手が烏合うごうの衆とて群がる蟻に虫を放り込むに似たり、押し包まれて圧死などという羽目におちいりゃせぬか、それに城壁に石落としを造れと命じたはそれがしよ、太兵衛殿 貴殿は石落とし…いや拙者がそんなに情けない男とお思いか」

と口にしたのは一番年若い二十代後半の侍大将黒田直之であった、彼は大殿(黒田官兵衛)の異母弟で主筋に当たるため形の上では江陰城の城主となっていた、日頃大人しいこの直之もこの時ばかりは目をつり上げて太兵衛をにらみ付けた。


「これこれ軍議前より反目するとは何事ぞ、それぞれ戦い方の方針は違えど今はまず心を一つにせねば戦いに望むべきもない、双方軍議の場ぞ 口を慎め!」そう言うと栗山善助は二人を睨み据え、すぐに言葉を継いだ。


「ではこれより軍議に入る、まずは机上の絵図を見られよ」言うと栗山善助は机上の大地図を示し「今しがた敵はこの峰泉邑のこことここに三万余が集結したと聞いた。


行動に移るのが暮六ツ半(18:20)とすれば敵は峰泉から江陰を過ぎ白川邑そして開城へと続くこの白川街道を辿るはず、さすれば江陰城までは四里半ゆえ夜九ツ(23:40)には江陰城西を流れる礼義河手前のこの草原にまずは布陣しよう。


河に架かった橋は既に落としたが今は冬枯れで深いところでも腰ほどの水嵩しかない、ゆえに敵は易々と渡ってこよう、さすれば川岸より開城へと続く白川街道より江陰城南正面門までは僅か三町、渡ってすぐに城門正面・右・左の三方にわかれ一気呵成かせいに城壁に取り付き城内へと雪崩なだれ込んでくるであろう。


じゃが敵勢三万余全てがこの礼義河を渡河するとは思えぬ、城の後ろは急峻なる岩肌の山ゆえ敵から見れば儂らは袋の鼠よ、まずは先鋒として朝鮮軍を主軸に一万ほどを渡河させ、内四千は白川街道を抑え残り六千が城に打ちかかってくると儂は読んだ。


残り二万余は後詰めとして河原を押さえ、城の左側を遮る雑木林を抜き東方へ脱出する守城兵を抑える算段をとろうよ、そこでじゃ敵は我等に十倍する数ゆえ儂らがまさか正面から打って出ようとは当然考えてはおらぬはず、そのあなどりにつけ込むのよ。


今の曇り空からすれば深夜ともなれば数間先も見えぬ漆黒の闇となろう。

まず城正面の門両脇のこの生け垣に鉄炮隊八百を四段に構えひそませる、それと白川街道を見下ろすこの街道東沿いの丘に五百の兵を潜ませる、さらに川向こうの敵本軍が控えるであろう草原西側の森に一千の兵を潜ませる、これで兵は全ては城外で戦うことになる。


敵が渡河し城正面に迫ったなら八百の火縄銃で間断無き連射を開始、同時に街道東沿いの丘に展開した五百丁の火縄が街道筋を抑える敵に向け乱れ撃ちを開始する、これには敵も仰天するであろう。


敵は後退し白川方面は丘からの発砲でふさがれるよって当然川向こうの本軍へと逃げ込むはず、そこで城正面の八百はこれを河原まで追撃し、丘の五百も白川街道に降りてこれを封鎖する。


これで敵軍全てを礼義河向こうへ一旦は追い払うことが出来もうそう、そこで敵本軍が控える草原の西側のこの森に潜む一千丁の銃が一斉に吠え立て、また川を挟んで一千三百の正面軍が撃ち発てる、さすれば敵は驚き慌てて元来た峰泉方向へ退散すると読んだが…皆はこの作戦案をどう見るよ」

善助は得意顔で皆を見渡した。


皆は感心したように沈黙して机上の絵図面を目で辿たどっていた。

この時 竜泉城から引いた小河伝右衛門が初めて口を開いた、この男は衣笠久右衛門と同様小寺家出身で黒田家中では一番の戦上手と言われた武将である。


「栗山様、今の作戦からすれば火縄銃は二千三百丁も必要になる勘定ですが…この城には現在一千八百丁しか火縄銃はないと聞いておりますが…となれば森に潜ませる一千の内訳は五百が鉄砲隊で五百が白兵とするお考えでありましょうか」

と言いつつ一老の善助を見た。


「そうよなぁ…出来れば全て鉄砲隊としたいところじゃが、無いものは致し方なし迫力には欠けもうそうが白兵で応えるしかあるまい…いや待てよ、先日鉄炮二番組の白兵衛なる工匠が工夫した連発銃なるものを見たが、あれは使えぬだろうか、たしか衣笠久右衛門殿の命で造られたと聞いたが、衣笠殿どうであろうのぅ」


「それがしも今それを考えておったところでござる、あの連発銃は未だ実戦には使ってはおりませぬが、あのお披露目の際の驚くべき威力には度胆どぎもを抜かされもうした、何でも四丁で火縄銃一千二百丁に相当すると鉄炮組の井上佐八郎が言うておりました…話半分としても六百丁相当、不足の五百丁の穴埋めにはなりもうそうかと」


「ふむぅ…六百丁のぅ、使えるやもしれぬ、して弾は特殊なものと聞いたが今どれほど有るか聞いておるかの」と善助が愁眉を開くが如く久右衛門に聞いた。


「相当の量を造ったと聞きまするが詳しい数までは…」と言いながら末席に控える鉄炮奉行 田所助九郎に「おぬし井上佐八郎から聞いておるか」と問うた。


「はっ、これまでに九千発程も造ったが原料である硝石や綿が底をついた由、現在残るは八千弱と聞き及んでおりまする」と応えた。


「八千発か…それならば充分よのぅ、よし!では連発銃なるものをこの戦で使ってみようか」と善助は独りごちた。


「それがしはその連発銃なるものを知らぬが…そんな凄い銃でござるのか、それにしてもたった四丁で火縄銃六百丁に匹敵するなどとは余りにも大袈裟に過ぎるのでは…」

小河伝右衛門は疑うように首を傾げて衣笠久右衛門を見た。


「しからば実物をお見せしよう」言うと鉄炮奉行の田所助九郎に向かって「鉄炮組の白兵衛に至急連発銃と弾を持ってここへ来るように伝えてくれぬか」と命じた。

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