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わたくしと魔王の  作者:
第四章
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わたくしと魔王とカラスさん







 書庫の扉を叩いたカラスは首からなめし皮の小袋を下げていた。

 傷薬を持参したという魔物のいじらしい申し出を、断る理由などシラヴィルにある筈も無い。


「……そういえば最近、勇者はどうしている」


 傷口に巻かれていく包帯の柔らかな感触。どこかくすぐったいそれに緩みそうになる頬を必死に押さえつけながら、シラヴィルはカラスに問いかけた。

 治療を行ってくれている魔物には予め、クライドが怪しげな行動を見せれば即座報告するよう監視を頼んである。


「奴は常に挙動不審デス。しかシ特に変わりは無イかト」

「なるほど」


 相変わらずの勇者を想像しつつカラスの報告に頷いたシラヴィルは、ふとノラが古書から顔を上げていることに気付き、其方へと視線を流した。見返してくる相手は僅かに目を見開き、呆れたかのようにその眉を寄せている。


「……高々刺し傷でしょう。大げさね」

「黙れ小娘、傷が残ッタラどうすル! ……魔王サマ、これにて完了デス」


 カラスの一喝に思わず口角が上がりそうになったシラヴィルは、慌てて治療の済んだ肩を確認するふりをして顔を伏せる。

 部下に小娘と呼ばれる魔王、そして愛くるしいカラスを眺められるのならば、痛む傷もそこまで悪いものではないかもしれないと。

にやつくシラヴィルだが正直、一見してしまった傷口は気味が悪かった。

現在包帯で隠された刺傷は、血が出ている訳でも赤く腫れている訳でもない。問題は軽く腕を動かした際、開いた傷口の隙間から覗いた薄い赤に混じる黒。本当にこの身体は影で出来ているのかもしれない、と思った瞬間である。


「因みにそれ、成分は……」

「愛情ダ」


 傷薬を視線で指すノラへと、カラスが用意していたかのような言葉を返す。

 直視してはいけないものを見てしまっていたシラヴィルは、二者の会話を耳にしつつ、脳裏に焼き付いた傷の有様を忘れようと数回頭を振った。


「愛情……誰の?」

「シかし、コウして見ると魔王サマは本当に人と変わりませんネ」


 小さく落とされたノラの声。カラスから視線と共に向けられた言葉。

 治療の終わった肩をしまいながら、シラヴィルは戻した意識の向ける先に悩む。


「いや……まぁそうかもしれないな」


 結局選んだ曖昧な言葉は、カラスへの答えになったらしい。

 シラヴィルが濁すように返した先、愛らしい魔物は机の上で治療道具の整頓を始める。


「不思議な感覚デス。外見は人、ケれど本質は王の名を持つに相応シイ魔……」

「そう、だな」


 語尾が疑問形にならぬよう返したシラヴィルは、内心首を捻っていた。

 カラスの言う『王の名を持つに相応しい魔』とやらに浮かぶ印象は今、目の前で読書に勤しんでいる魔王の姿に合致しない。

 そもそも魔王としての彼を見たのは初日だけ。王の名を頂くに値するかを知るにはそもそも比べる相手もいない、なんて軽い回想を行っていたシラヴィルは、ふと思いつき、多少の意地悪さと共に当人へと声をかけてみる。


「……お前は魔の王とは、どのようなものだと思う?」

「他のどの魔より力が強い存在、ではないのかしら」


 しかし案外あっさりと返されてしまい、シラヴィルは何処か拍子抜けした。

 それにしてもやはり、しっくり来ない。魔王のその知識量と聡明さは認めざる負えないが、魔としてどれほど優秀かなど分からない。

 けれどカラスは、それに深く頷く。


「その通りダ。……そう、ソノ通りだと思うのでス。なのデ、ドレほど人に近かろウと何ら問題は無イと思うのデス。そして、力と言う絶対さえ変わラなけれバ……」


 濁された語尾。そこに来る言葉が想像できずシラヴィルは首を傾げた。

 まさかあまりにも最近調べものに没頭してしまっていた為、魔王としての力を疑われ始めているのかと。一拍後に推測してシラヴィルが速やかに視線をやった先、ノラは静かにカラスを見つめていた。


「……時に魔王サマ」


掛けられた声にシラヴィルは一つ瞬きをした。ノラが何やら口を開きかけていた様な気がするも、それより先に言葉を紡いだカラスへと視線を戻す。


「魔王サマは、何かを悩んだコトはございますカ?」


反射的にノラの方へと流しかけた横目を押し留めながら、シラヴィルは思考を速やかに回転させる。


「……何故そのようなことを聞く?」

「魔王サマは普段かラ、人の形をシテいらっしゃる。性質としてモ人に近イのかと思いまシテ」

「魔物だろうと人だろうと、悩む時は悩むだろう。ただ……悩んだところで何も変わらんとは思うが」

「そうでしょうカ?」


 普段と何一つ変わらない調子で、けれど短く切り返され、シラヴィルは僅かに目を見開いた。

 治療道具の入った皮袋の上で、嘴を伏せているカラスは何を考えているのか。己自身の足元の影をじっと見つめている魔物の様子に、シラヴィルは胸の奥のどこかを掻き毟られたかのように感じる。


「我ハ、悩みこそが変化の原因であるヨウ感じマス。悩みコソが……」

「……お前、何か悩み事でもあるのか?」


 不安なのか、焦燥なのか。

 顔を上げないカラスの様子に、シラヴィルの胸のうちがまた少しざわつく。

 いつも元気良く、二つ返事で令をこなしてくれる魔物の元気無い様子は、非常に心配だった。


「聞いてくださるのですか?」

「ああ、聞く」


 二つ返事で了承を吐けば、ようやくカラスの顔が上がる。


「魔王様は、変わラレましたネ」


 呟いたカラスの瞳は、どこか見覚えのある色をしていた。

 けれど何処で見たのか分からない。夕焼けを見る瞳の色に似ている。

 そんな胸を指す反射的な感覚によって言葉を止められたシラヴィルの前、カラスの足元にある皮袋が濃いしわを寄せ、開かれた嘴から細い息が漏れた。


「……コのカルバスの王女、これかラ先どう扱ウ御積もりデ?」


 見上げてくる黒鳥の丸い瞳にシラヴィルは息を詰めた。


「特に……考えていない」


 二度の瞬きの後、記憶に残っていた台詞をシラヴィルは反復する。

 緊張に息が浅くなるが、元々それは魔王自身が発した言葉。

 問題は無いはずだと自身に言い聞かせれば、カラスは存外あっさりと頷いた。


「なラば消シテも問題なイですネ」


 酷く安心したかのような声の響き。耳には入るも理解できなかったカラスの言葉に、シラヴィルの思考が一瞬止まる。

 その間に向きを変えたカラスの視線の先、古書に添えられた指を這いあがる影。

 王女の細い首へと速やかに巻き付いた影を目に、シラヴィルは咄嗟の声を上げた。


「待――っ」


僅かに細められたノラの瞳。

 それと同時、机上に上がった火柱。

 カラスと魔王との間に生まれた鮮やかな炎に、積まれた古書が吹き飛んだ。反射的に手を目の上に翳したシラヴィルは、見慣れたものとどこか違う火柱の中心、走る乳白色に虚を突かれる。


「全く、貴殿は何をしているのじゃ」


 半眼のヤモリが炎の中で鎌首を擡げていた。

 その呆れたかの様な声調に反し、カラスに向けられた視線は鋭い。


「ソこをどケ」

「いやじゃ」

「何故ソノような小娘を庇ウ?」

「貴殿は何も分かっておらぬ」


 カラスの元へ、泥のような闇が収束する。かと思えば本来ありえない重量感をはらんだ黒が、一瞬にして数多の棘と化し煌々とした火柱を貫く。

 しかしそれは王女の身体に到達する前に、鎌首をもたげたヤモリの炎に飲み込まれ霧散した。


「何も分かっテいないのはソナタの方ダ、何故その小娘を生かス?」

「逆に何故この小娘を殺すのじゃ」

「そヤツが全テの原因だからダ、我は理解しタ、その娘が来てカラ魔王様は変わっタ!」


 カラスの言葉にシラヴィルの肩が竦む。炎を払うよう広げられた黒い片羽根に、闇の境界が揺れる。


「我に労わりの言葉をカケて下さる、些細ナ声に言葉を返シテ下さる……しかシそれは、我の知る魔王サマではナイのダ!」

「貴殿、それは……」

「主殿が分からなイ、我は変化を理解できナイ! 先日ソナタが言ったトオリだ、チカラさえあれば良いと思えなイ!」


 引き寄せられる傍から渦巻くような塊と化す闇に、ヤモリの炎が揺らぐ。


「……っ、変化せぬものなど、世には無いのじゃ!」

「確かにあったモノがそこに無イ、やはり我はソレを享受できナイ!」


 押し合う魔物達の口調が激しさを増した。


「共に過ごシた時間に苦シめられる気持ちがソナタに分かるカ!」


 炎に焼かれる古書のページが灰も残さず消えていく。

 消失する文献をシラヴィルが自我呆然と眺める前、カラスの怒声にヤモリの火柱が膨れ上がった。


「ならば貴殿を苦しめるのはこの小娘ではない、主殿じゃ! 娘を始末したところで何になるのか言って見やれ!」

「ヤハリ何も分かっていないのはソナタの方だっ! 何が起きようとワレが、我が……魔王様に手を掛けラれる筈がなイ……」


 ぐらり、と形を崩したかと思えば溶けるように消え去った闇。嘴を振ったカラスの足元に、静かに影が引き戻されていく。

 拮抗していた力の一方が消失し、変化に勢い余ったヤモリの火が大きく揺れた。

処々に飛んだ火が一つ、一つと消えて行き、やがて元のランプ一つの暗がりへと返った部屋。


「頭悩ます存在を消せぬのなら、何のための力なのじゃ……」

「……我の力は迷いに奪われタ」


 弾け飛んだ感情の、落とす寂寥感。

 小さく交し合った魔物達の声を最後に無音の時が流れる。

 紙の破片が枯葉のように舞う向こう、魔王は目を伏せ閉じた古書に手を添えていた。








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