満天之、一 悲しみの号砲
玄天に浮かぶ輝き満つる盈月を、星の大河たる銀漢が、かすみ草の如き淡い白粉をはたいている。
日中はまだ暑い日が続くというのに、今宵は気の早い秋の虫が鳴いていた。
戌の刻(20時頃)夕食を済ませ誰もが暖かな団欒の中で憩いの時を過ごしていると、それは光喜野郡満月の郷に響き渡る一発の轟音から始まった。
その音は魔導人形が肩に担いだ大竜筒の放つ音だ。
単発式の携行大砲である。
丁ろ-参号、愛称軽烙はその機体の軽さゆえ、反動で砲身を持っていかれる。
弾頭は榴弾だ。
着弾すれば爆発する。
多くの家々が、そして命がその一発で失われる。
民の殺傷、それは本意ではないはずなのである。
少なくとも部下たちはそう聞いていた。
しかし、大佐の大豆俵源五郎丸はなぜか民の死を見て歓喜していた。
「死人の出ない戦など戦ではないわーっ、がっはははは」
軽烙は軽量で、部位ごとの分解と組み立てが容易なため、遠征など長距離運搬に適した魔導人形だ。
満月の郷の民は誰もが南方の大島、八重乃州の進軍に違いないと確信していた。
畑いじりしか能のない小男は十五夜の明かりに照らされた、中隊編成を見たと言い、触れ回った。
小男の言葉に驚かされたのは、つけたされた続きだ。
「その中隊は八重乃州軍ではなく松木田公儀軍だった」
公儀とはいわゆる政府だ。
天下統一を果たした松木田豊山が、今更内地を襲う理由などないはずなのだ。
小男の話を聞いた別の男が確かめに行くと、確かに公儀の軍務寮、軍部の中隊旗が掲げられていた。
だが肝心の松木田公儀の軍旗は見当たらなかったと言う。
一体どういう事態で何が起きているのか…………
郷の民はただ混乱するばかりであった。
光喜野藩軍は昼寝か宴会でもしていたかのような、実に遅い出陣であった。
光喜野藩藩主、馬場園平山は武功で名を馳せた武家大名だ。
月天房(帝室)の主たる鏡月帝寄りの貴族大名ならいざ知らず、公儀といさかいを起こすなどあり得ないはずなのだ。
満月の郷は混乱のさなか刀を振り回す足軽たちから、ただ逃げ惑うだけだった。
しかしながら、足軽たちに殺す気はないようにも感じられた。
郷の民たちは一様に思う。
今頼れるものは何か、信じられるものは何なのか、光喜野藩軍……それとも……
一昔前であれば迷わずこう思っただろう。
満月大鬼神聖天宮だと。
しかし今の満月の宮に祈る価値はあるのだろうか……
あの宮主に何が出来るというのか……
先の戦でも見て見ぬ振りを貫いた宮主だ。
今の満月に手を合わせる者などいない。
信仰など腹の足しにもならないと、満月の宮は民に教えてくれたのだ。
逃げ惑いながら、彼らの中に不満や怒りが込み上げてきた。
満月大鬼神聖天宮にも轟音は届いていた。
「今立たずしていつ立つのですっ!」
満月大鬼神聖天宮、俗称を満月の宮の有権者であり象徴である月姫の前貫彩芽は端麗な容姿に似合わぬ太い声で、直会殿に集まる神職たちに檄を飛ばした。
「我らの存在意義を考えよ。宮はなんのためにある」
魔道具から魔導人形まで魔導を取り仕切る、魔導工房の魔匠頭如月蓮行が声を張り拳を握る。
「とても叶う数ではない、死にに行くようなもんだ」
全員で洞に逃げようと言う宮主前貫浅次郎は、蓮行と彩芽に苛立ちをぶつけた。
洞とは様々な細工を施した防空壕だ。
「臆病者は黙れっ!郷の民を守らずして生き延び、なんのための天宮かっ!先の戦で大鬼神満月がどれだけ苦しみ、悲しんだか、信仰のないおまえには分かるまいがっ!」
彩芽の言葉はあまりに的を射ているため、浅次郎は奥歯を鳴らすしかなかった。
「知っての通り先の戦いで宮の信頼は失墜した。あれほどいた参拝客は激減、郷で顔を合わせてもお愛想すらしてもらえん。これでもまだ無様を晒す気か」
蓮行は神職たちに語りかけた。
座して耳を傾けていた彼らは、これまでの屈辱に肩を振るわせた。
宮は、満月の宮は、郷の者たちの差さえでなければならない――――
好機と捉えた月姫彩芽は声を上げた。
「向かうものは立ち上がれっ、そしてこの彩芽に、蓮行に続けっ!」
まず巫女娘たちが立ち上がり刀を手にした。
巫女娘が刀を手にすることは極めて珍しいが、ここ満月の宮では違っていた。
続いて宮において武士を務める禰宜が半数以上立ち、魔匠は迷わず全員が立ち上がった。
魔匠頭の如月蓮行は刀を腰に差し、月姫前貫彩芽は鴨居の薙刀を手にした。
二人は目を合わせると、固い絆で結ばれた夫婦のように見つめ合い、小さな眉間にシワを寄せ、正座で皆を見上げる六歳の如月蓮乃に目を送り、笑みを浮かべた。
それを横目に宮主前貫浅次郎ははらわたを煮え立たせ、顔を歪めた。
「いざ行かんッ!――――」
蓮行は人に勇気を与える勇ましい声で、皆を鼓舞した。
「ならんっ」
怒りしか感じぬひね鶏のような声で宮主の浅次郎が、声の限りに叫ぶ。
「宮主はわたしだ!命令できるのはわたしだけだ!この宮の責任はわたしにあるのだぞ!」
「貴様はこれまでどんな責任をとってきたというのだ」
蓮行は浅次郎を睨み付ける。
「ならんっ、出陣した者は破門だっ!二度と境内を踏むなっ!」
浅次郎は子供のように地団駄を踏んだ。
「おまえはそこまでして民のために命を張りたくないのですか、己が命が惜しいのですか、とことん哀れな男」
月姫彩芽は蔑むように浅次郎を見下した。
蓮行と彩芽が境内に躍り出ると皆が後に続いた。
「おい待て、本気だぞっ!顔は覚えたからなっ!」
叫ぶ浅次郎を一瞥し、皆わらじの紐を固く結わいた。
「この臆病者が」
禰宜の独りが浅次郎を横目に吐き捨てた。
膝から崩れる浅次郎に、息子の前貫浅桐が駆け寄った。
「親じ殿大丈夫でございますか」
「やかましいっ!」
浅次郎は浅桐を払いのけると、残った禰宜たちを集めた。
境内では蓮行が的確な指示を出していた。
「人形は八両全て出す。武装は倉庫から持って行け、亥吉ぃ指示を頼む」
魔匠頭代行の明石亥吉に倉庫へ向えと言う。
明石に従い禰宜見習いの権禰宜たちが続く。
八人の禰宜は巫女娘を連れて魔導人形の元へ向かった。
楼門の前に残りが集結しその前に蓮行と彩芽が立ち、決起の声を上げた。
「今こそ長年の汚名を払拭する時、郷を救うという我らがお役目に身命を賭す時だ」
蓮行は神職たちを見渡した。
「これは大鬼神満月の望む聖戦、正義と勝利は我らにあり」
月姫彩芽は薙刀を振りかざした。
神職たちは昂揚した。
ガコンッ!
楼門に太い閂をかける音がした。
宮のあちらこちらで同様の音がする。
神門全てが閉じられたのだ。
楼門の前で浅次郎は抜剣し切っ先を蓮行らに向けた。
「この先は通さん。通ろうとするものは斬る」
他の賛同しなかった禰宜たちも抜刀した。
「我らと戦うなら、宮の外にいるものと戦えっ」
蓮行は呆れた。
「我ら正義を果たさんとする者の行く手を阻むは、何人たりとも邪魔はさせん」
彩芽は薙刀を構えた。
「夫に刃を向けるのかぁーっ」
浅次郎は狂ったように叫ぶ。
「夫?…………」
前貫彩芽は鼻で笑い刃を振り上げた。
浅次郎は禰宜の後ろに身を隠す。
「掛かれぇーっ」
ほんとに仲間同士で斬り合うのか?この状況で?人数では圧倒的に負けている。
浅次郎についた禰宜たちは困惑した。
「おまえたち、責めたりはせん。納刀してそこを通してくれればよい。さもなくばやがて宮も標的にされるぞ」
蓮行は穏やかな声で説得する。
「ならんっ!宮を守るために力を温存するのだ」
浅次郎は引けた腰で刀を構えた。
「我妻月姫彩芽にもしもの事があったらどう責任をとる」
「そんな事だから参拝者が減り、皆に干塩と米しか食わしてやれんのだろうが」
蓮行は神職たちの怒りをぶつける。「宮一つ回せんで宮主とは笑わせる」
「私にもしもの事があれば娘がいます。そのための娘です」
彩芽は鋭い眼光を浅次郎に向けた。
「あの子はまだ十二だぞ」
「私は十で月姫になりました。さっさとどきなさい、この腰抜け風情が」
不毛な言い争いとにらみ合いが続く。
直会殿で座してその様子を眺めていたのは、蓮行の六歳になる息子如月蓮乃である。
眉一つ動かさず事の成り行きを見守っていた。
「蓮乃さんそろそろ洞へ参りましょう。弟浅桐も参りました」
前貫浅次郎と前貫彩芽の長女伊桜莉が小さな背中に声を掛けた。
「僕は出陣する」
「え?」
「郷のために戦う。苦しむ者を見過ごせるほど呑気な男ではない」
六歳も年下の少年がとても大きく感じられた。
これだから好きなのだ、伊桜莉の憧れの人…………
出陣すれば恐らく死ぬ、母月姫もその覚悟なのだ。
自分はなんて無力なのだろうか…………
伊桜莉は蓮乃の横に座して無言で手を取った。
「らちがあかん」蓮行は腹づもりを決めた。「全員抜刀!」
無数の刃の輝きに浅次郎たちは後ずさった。
馬のいななきが聞こえ、蓮行は舌打ちをした。
「もう来たか…………」
破城槌で門を激しく叩く音がした。
浅次郎は身をひるがえすと慌てて彩芽の背後に身を隠した。
ドーンッ!……ドーンッ!と破城槌が叩くたび、門が揺れ閂が軋む。
神職たちは息を飲み見えぬ脅威に刀を構えた。
浅次郎は刀を放り出し洞へと駆け出した。
如月蓮乃は脇差しを構え立ち上がった。
「蓮乃さん行かれるのですか……」
幼き勇者に男を感じた。
「郷のために戦うは宮に産まれた者の務め。伊桜莉、おまえは次の月姫と言う大事なお役目がある。洞へ行け」
伊桜莉は懐から火打ち石と火打ち金を取り出すと、火打ち石に火打ち金を打ち付け切り火を散らした。
「必ず戻って来て下さいませ……心よりお慕い申し上げております」
伊桜莉は頬に紅を注ぎ、潤んだ瞳に小さな戦士を映した。
その目は十二歳の少女ではなく、男の帰りを待つ女のそれであった。
「うむ、行ってくるぞ、伊桜莉」
一人の武人として境内に駆け出して行った。
蓮行と彩芽は先頭に立つ蓮乃を見て、腰を抜かすほど驚いた。
「蓮乃おまえは洞へ入れ」
「蓮乃さん、お願いですから戻ってくださいな」
二人は切に願った。
如月蓮乃は二人にとってという意味を超え、月姫以上に大事な存在なのだ。
「男として産まれ今戦わなければ、生涯後悔致します。わたしにそんな惨めな人生を送れとおっしゃるのですか、とと様、月姫よ」
蓮乃は背中越しに六歳の生き様を解いた。
蓮行と彩芽は眉を寄せながらも、見つめ合ってくすりと笑い合った。
少し大きく見えた小さな背中を、頼もしくも思い複雑な心境で眺め、この子は絶対に守ってみせると、蓮行と彩芽は心に刻んだ。
門外に集う敵の武士たちは大勢いた。
数では圧倒的に負けていた。
門が破られれば流れ込んできた武士たちに押しきられてしまうだろう。
八両の魔導人形の調整が終わった。
操縦座に座る竿師の禰宜が背後を向いて口を開いた。
「頼んますよ」
後ろの床の間に正座する巫女娘は前歯の欠けたその顔に、くすりと笑う。
「勘弁してくださいよ」
竿師は赤面した。
短気な男で、喧嘩の際に前歯を折られたのだ。
「では参ります」
巫女娘は、正面にぶら下がる紅白の綱を編んだ鈴緒の根元の鈴を、シャンシャンと鳴らし、精神統一すると瞼を開いた。
「灯します」
巫女娘の霊力が鈴緒を通して魔導人形に行き渡る。
壱輪華蓮行、訳あって伏せているが如月蓮行の本名である。
その壱輪華が設計した名機、乙ろ-壱号愛称朱雀の双眼が黄色く光り、ヴィィィィィーンと起動音が格納庫に響いた。
朱雀は高いが機動力に長けバランスの取れた、人気の機種だ。
関節の可動域も広く、パワーも申し分ない。
その乙ろ-壱号、朱雀、八両がついに動き出した。




