三章 その漆
深夜。アユミは女の悲鳴で目を覚ました。何事かは判らなかったが、とりあえず寝間着の上に打ち掛けを羽織る。
「奥方様、ご無事ですか!」
「ええ。何があったの?」
息を切らして飛び込んできた側仕えに尋ねたが、彼女も全てを把握しているわけではないようだ。
「何やら野犬の群れが屋敷に入ってきたようです。今、警護隊が動いていますので、このままお待ちください」
側仕えが出て行って直ぐに、アユミは庭に面する障子を開けた。遠くから男たちの怒号や女の叫び、犬の吠える声が聞こえてくる。アユミの寝室のある棟にはまだ野犬の群れは来ていないようだが、それも時間の問題だろう。
「失礼します。奥方様、誘導致しますので避難をお願いします」
初めて見る顔だった。見上げるような長身に、警護隊の装いを纏っている。眼帯とひげで顔のほとんどは見えないが、アユミを真っ直ぐに見ている右目は優しかった。
「奥方様、一緒に逃げましょう!」
開けたままだった入り口からサキが入ってきた。珍しく藍色の小振り袖に黒の袴という地味な色合わせだった。
「わかりました。誘導をお願いします」
部屋を出ると、思ったよりも静かだった。人気のない廊下ばかりを進み、調理場の勝手口から外に出る。何かおかしいなと思い始めたアユミが連れて行かれたのは、庭師の作業小屋だった。
三人で小屋に入ると、警護兵は格子窓が閉じているのを確認してから蝋燭に火をつけた。木で作られた小さな椅子にアユミを座らせ、サキはその前に膝を着く。
「アユミさん。これからどうするかはこれを読んで決めてください」
サキが胸元に挟んでいた手紙を差し出す。震える手でそれを受け取ったアユミは、表書きの文字を見て目を見開いた。




