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三章 その陸

 今日の夕食はレイたちも同席していた。そこで、アユミは自分が数日中に別邸に行くことと、レイたちが明日の午後には屋敷から旅立つことを知らされた。

 まだコクの見事な芸が見られると思っていたアユミは残念に思ったが、口には出さなかった。サキとの何気ない会話にも、側仕えたちとのそれとは違う安らぎを感じていた。

 ほとんど話をしないままに食事を終えて部屋に戻ると、今晩は仕事があるので先に休んでいるように、とのミツアキからの伝言を聞かされた。湯浴みを済ませ、側仕えが濡れ髪を梳いているのを感じながら、アユミの心は二年前に戻っていた。

 この数日、気を抜くと二年前のことばかりを思い返している自分にアユミは気付いた。


 兄と二人で帰雁台きがんだいの頂上にたどり着いたアユミは、黒真珠卿の私兵に囲まれていた。背中で波の音を聞きながら、右手に感じる兄の体温以外はどこか夢のようだと思っていた。兵たちの後ろから出て来たのはテツヤだった。

「アユミ様。今すぐお帰りになってください。明日は早朝から結婚式の支度ですから」

 いつもと変わらないテツヤの口調に、アユミは気味の悪さを感じた。

「困りましたね、ソウスケさん。このようなことをされては、こちらも何もしないわけにはいかないのですよ」

「やめてください。わたしが兄に頼んだんです!」

「アユミっ!」

 テツヤの隣にいた兵が弓を構えた。兄の手に力が入る。荒い息の音にアユミが気付いて隣を見ると、ソウスケは右の脇腹を手で強く押さえていた。

「そうですね。アユミ様が予定通りにミツアキ様と結婚されるとおっしゃるなら、この矢は放ちません」

「……本当ですか?」

「はい。ただし、ソウスケさんにはこのまま児玉郷を離れてもらい、二度と戻らないと約束していただきます。お互いが大事なら大したことではないですよね?」

 アユミはぎゅっと左手に力を込めてから手を離した。

「アユミ……駄目だ、行くな」

「兄さん、ごめんね。……ありがとう。元気でね」

 握りしめた左手を右手で覆いながら、アユミは兄に背を向けた。気持ちが揺るがないようにと、決して後ろは振り向かなかった。

「では、帰りましょうか」

 テツヤに指示された兵二人に支えられるようにアユミは坂を下り始めた。

「──を─────だ。わかったな」

「……承知致しました」

 波の音に紛れて一部分しか聞こえなかったテツヤの言葉に答えた兵の声は、何故か掠れていた。

 坂を下り終えると馬車が付けられていた。乗り込む直前、兄に呼ばれたような気がして振り向くと、大きく波音が乱れた。いやな予感がしてまた頂上に向かおうとしたアユミを止めたのは、やはりテツヤだった。

「どうかされましたか? 今晩は屋敷に泊まっていただきます。ご両親にも来ていただいていますので、ご安心を。それともう一つ。今宵のことはミツアキ様はご存じありません。口外されませんように」

 両親の顔が思い浮かぶ。アユミは馬車に乗ることしかできなかった。

 結婚式から五日後。ソウスケが秋津国に向かうために乗った船が事故に遭い、捜索はしたが遺体が見つからないまま死亡が確定されたと聞かされた。



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