王との謁見
封筒を開け、中の手紙に目を通す。
内容は簡潔だった。異世界からの来訪者であるあなたは、エルフ王国によって保護されており、間もなく案内役が訪れるので、恐れずに待つように――と。
「冗談じゃなければ……マジで異世界ってことか……?」
独り言が部屋の中にぽつりと落ちる。
心のどこかで現実だと認め始めているくせに、口調はまだ他人事のようだった。
そのとき、木製のドアが、コンコンと優しくノックされた。
「失礼します。ご気分はいかがですか?」
扉の向こうから、穏やかでよく通る女性の声がした。
反射的に「どうぞ」と返すと、ドアがゆっくりと開き、ひとりの人物が静かに足を踏み入れた。
細身で長身、真っ直ぐに伸びた銀髪を背中で編み込みにしている。
控えめな装飾のローブをまとい、耳は長く尖っていた――エルフだ。
「お目覚めになられて何よりです。私はティアと申します。あなたをここへ導いた者の一人であり、これからしばらくのあいだ、案内を務めさせていただきます」
彼女は丁寧に一礼した。言葉は完璧な日本語だった。
なまりもなく、言い回しも自然で、むしろ上品にすら感じられた。
「えっと……オレ、日本語しか話せないんだけど……どうして?」
「ご安心ください。日本語は、我々にとって共通語です。
かつてこの地に来訪された方々の知識や文化が、今のこの国を形づくってきました。
その流れの中で、日本語は最も広く使われる言語となったのです」
「……本当に、異世界なんだな……」
ようやく口にした言葉に、ティアは少しだけ緊張を帯びた笑みを浮かべた。
「はい。……ちなみに、来訪者様が現れたのは、十年ぶりのことです。私にとっても初めての案内役の任務でして……まだ至らぬ点もあるかと思いますが、精一杯お支えいたします」
控えめながらもまっすぐなその言葉には、誠実さと好意がにじんでいた。
どうやら彼女は、異世界人の存在に強い興味と敬意を抱いているらしい。
「異世界の文化や技術にはずっと憧れてきました。
本来は文化研究を主にしていたのですが……今回、はじめて“本物”の来訪者様にお会いできて、本当に光栄です」
若干興奮を隠しきれない様子が、逆に彼女の人間味を際立たせていた。
妙な堅苦しさがないのが、彼にはちょうどよかった。
「……よろしく、ティアさん。オレも、正直わけわかってないけど。案内、頼むよ」
「はい、喜んで!」
ぱっと笑みを咲かせた彼女に促され、彼はベッドから立ち上がった。
スーツのままだったが、動きに支障はない。窓から差し込む光が、やけに清らかだった。
最後にもう一度、机の上の手紙を見てから、彼は静かに部屋を後にした。
ティアに導かれて、ゼンイチは静かな廊下を歩いていた。床は磨き抜かれた木材で、廊下の両脇には色あせない植物や金属細工が飾られ、自然と人工の融合を感じさせる。
それはまるで“洗練された森”とでも言いたくなる空間だったが、ゼンイチの胸には、妙な緊張感が残っていた。
「これから王にお会いします。失礼のないように……とは言いません。
どうか、いつものあなたのままでいてください」
ティアのやや不安げな微笑みに、ゼンイチは小さく頷く。
だが内心は落ち着かない。自分の身に起きたことはどう考えても突飛で、説明を聞かなければ納得などできるはずもない。
扉が開かれ、広間に通された。
高い天井。荘厳な柱と、壁に刻まれた幾何学模様の装飾。
玉座には、一人の男――いや、王が座していた。
彼の姿は実に整っていた。長い金髪は清流のように滑らかで、衣には精緻な刺繍が施されている。
だがその目は、まるで何も映していないかのように冷たく、感情の温度が感じられなかった。
「……来訪者か。久しいな」
王の声は澄んでいたが、感情のこもらない抑揚だった。
ゼンイチは、やや戸惑いながらも軽く頭を下げた。
「高田善一――日本から来ました。色々と状況を……」
「名前は聞いた。話すべきことも少ない」
王はその言葉で、ゼンイチの言葉を遮った。
「お前は我が国にとって、有用な存在である可能性がある。よって盟約に基づき、保護しよう。
既に必要な生活費は支給されている。案内役もつけた。数日以内に城を出て、自分の道を歩むがよい」
「いや、ちょっと待ってください」
ゼンイチは一歩踏み出す。声を荒げたわけではないが、その中には戸惑いと抗議の色が混じっていた。
「こっちは突然こっちの世界に来て、何もわからないんです。そもそも、なんで俺なんですか? なんでこの部屋に、あのタイミングで?」
王の眉が、わずかに動いた。
「異世界の扉が開かれたとき、我が国の結界がその波動を察知し、来訪者を導いた。それだけのことだ」
「じゃあ、他にも異世界から来た人間はいるんですね?」
「……過去にはな。だが十年は現れていなかった」
「その人たちは、どうなったんですか?」
その問いに、王は一瞬、視線を逸らすように見えた。だがすぐに冷たく言い放つ。
「それぞれの生を選び、生きた。それだけのことだ」
その言い回しに、ゼンイチは小さく眉をひそめた。何か、含みがある――。
だが、さらに問いを重ねようとしたとき、王は視線を逸らし、まるで打ち切るように言い捨てた。
「異世界人は貴重だ。我らの技術にない知識を持ち、時に国の利益となる。
だがその価値は“使えるかどうか”だ。使えぬ者を引き留めるほど、私は甘くはない」
その言葉に、ゼンイチの胸に冷たい何かが落ちた。
歓迎でもなく、対話でもなく――“道具”としての評価。
「……なるほど。こっちでも、そういう扱いを受けるのか」
ゼンイチは皮肉めいた笑みを浮かべたが、王は何も返さなかった。
「ティア」
王はゼンイチに背を向けたまま、彼女に声をかけた。
「案内を怠るな。使えるならば、使えるように育てよ。無駄ならば……放て」
「はっ……、仰せのままに」
ティアは一礼し、ゼンイチの袖をそっと引いた。
無言でうながされるままに、ゼンイチは広間を後にする。
背中に残る、あの冷たい視線。
“異世界”という幻想の裏にある、国家と現実の匂い。
「……すばらしい王様だったな」
廊下に出てからゼンイチが嫌味っぽくつぶやくと、ティアは苦笑を漏らした。
「でも……あなたは、他の誰とも違います。私は、そう信じています」
その言葉に救われたわけではない。
だが確かに、王の玉座よりも、ティアの笑顔の方が、この世界に“温かみ”を感じさせた。




