区分所有法
なんとかマンション管理士に繋げ・・・れてるのか少し不安。なかなか思うように進まないものです。
翌朝、王立図書館の静かな書庫の一角で、俺は一人、机に向かっていた。手元には何枚もの紙と鉛筆。思い出せる限りの知識を頼りに、仕事で覚えた区分所有法と標準管理規約を一から書き起こしていた。
この国の民法にも、共有財産に関する基本的な規定はある。だが、どうやらそれだけでは複数の世帯が同じ建物を共有するマンションには対応しきれていないようだった。そもそも、この国の都市構造は、魔物の脅威に備えて堅牢な壁で囲まれた「城塞都市」が主であり、都市の外に住宅を広げるという発想は現実的ではない。その結果、最近では空間の有効活用として、多層構造の集合住宅が急速に増えてきたという。
しかし、それに伴って住民間のトラブルも急増しているらしい。騒音、共有部分のルールなどのマナー関連の他、修繕費の分担や権利関係のルールも曖昧だ、……どれもお馴染みの問題だが、この国ではまだ適切なルールが整っていない。
だからこそ、自分の知識が少しでも役に立つのではないかと思った。
ただ、実際に書き起こす作業は想像以上に大変だった。条文の構成や文言はあやふやで、頭の中の記憶を何度もなぞりながら、何度も書き直しを繰り返した。表現の一部をティアに確認しながら、根気よく机に向かい続けた。最終的に、一応の体裁を整えた文書が仕上がるまでに、丸一週間を費やした。
完成したあくる日、作った法案と規約案を携えて、ティアと共に法務省を訪れた。大理石の床に背の高い書棚が並ぶ、荘厳な建物の中で、俺たちは担当官に面会した。ティアが軽く説明を添えながら書類を手渡すと、担当官は興味深そうにページを繰り始め、やがて目を見開いたまま手を止めた。
「これは……非常に体系的に整理されている。区分所有に関するこのような明確な定義と、住民による共同管理の原則をまとめた規定は、必要だとは思っていましたが……」
彼はそう言って、驚きと喜びが入り混じったような表情で書面を見つめた。
「これは、すぐにでも検討委員会を立ち上げるべき内容です。特別法として制定することも視野に入れて、前向きに進めましょう」
そう言った担当官――初老のエルフ男性は、何度も頷きながら文書の束を丁寧に抱えるように持ち上げた。ティアが軽く礼をすると、彼も立ち上がって深々と頭を下げてくれた。
「まさか、異世界からの来訪者が、ここまで実用的かつ現実に即した法案を示してくださるとは……私のような古い役人には、ちょっとした衝撃でした。ありがとうございます、ゼンイチ様」
「い、いえ……そんな、大したことじゃ……」
とっさに謙遜の言葉が口をついて出たけれど、胸の奥がじわりと熱くなるのを感じた。
誰かに感謝されること。
それも、前の世界で努力してきたことが、この世界で認められたことが、何より嬉しかった。
法務省の重厚な扉をくぐり抜け、白く磨かれた石畳の広場に出ると、午後の陽射しが高い塔の影を長く引いていた。俺とティアは、その影を踏みながら並んで歩いた。
「ゼンイチさん、すごいですね。あの方、あんなに目を輝かせて……ああいう反応、初めて見ました」
横を歩くティアが、少し笑いながら言った。
「まぁ、法律は俺が考えた訳じゃないんだけどね。区分所有法は仕事でも必要な知識だったし、試験勉強で覚えてただけだから」
「“覚えていただけ”……って、その“だけ”が、すごいんです」
ティアはそう言って、小さく肩をすくめる。
「私、異世界の方の話や記録を読むのが好きで……何人もの来訪者のことを調べました。けれど、“魔法”とか“剣技”の才を伸ばした冒険者のような、英雄譚ばかりが注目されていて、こうやって地道に社会の仕組みに影響を与える人って、実はあまりいないんです。私は、そういう方に出会いたかった」
その言葉に、不意を突かれて言葉が詰まる。
俺は別に、大それた志を持ってこの世界に来たわけじゃない。ただ、今出来ることをしているだけだ。
でも、ティアの目はまっすぐにこちらを見ていて――そのまなざしには、尊敬とも感謝ともつかない、何か特別なものが宿っていた。
「……ありがとう」
思わず、そう口にしていた。
するとティアは、にこりと笑って答えた。
「こちらこそ、ありがとうございます。ゼンイチさんと出会えて、本当に良かった」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
この世界で、自分が“ここにいていい”と思える瞬間。
それが、またひとつ増えたような気がした。