実地試験に向けて
排水管の洗浄に成功したゼンイチは、次なるステップとして、自分の住んでいるマンション全体での“実地試験”を試みようと考えた。
「このまま応用できれば、結構いろんな家で使えるんじゃないか?」
とはいえ、勝手に配管に魔法を使うわけにはいかない。まずは管理人に許可を取る必要がある。
ゼンイチが管理人室の扉をノックすると、中から出てきたのは、いつも無愛想な中年ドワーフの男だった。
「ん、なんだ」
「配管の掃除をちょっと試したくて……マンションの設備で実験させてもらえないかと思って来たんですが」
管理人は眉をひそめ、面倒そうに腕を組んだ。
「俺はただの雇われだ。設備の改修やら試験やら、勝手に許可は出せねえよ。やるなら管理代表の許可をもらってこい」
「……代表?」
「ああ。2階の203号室、エルフの婆さんだ。名前は確か、ミリアさんだったか……ま、気難しいぞ。気をつけろよ」
ゼンイチは階段を登りながら、このマンションの構造について思いを巡らせた。
この建物は地上5階建ての集合住宅。1階には管理人室、玄関ホール、そして小さな集会室がある。住居スペースは2~5階で、各階に8部屋。自分の部屋は3階の角部屋、302号室だ。
3階と4階は国が買い上げた公務員宿舎になっており、比較的きれいに使われている印象がある。一方、2階と5階は民間人の所有で、築80年になるらしく、設備の劣化や清掃の雑さが目立つ。
203号室の前に立ち、インターホンを押す。しばらくして扉が開いた。
現れたのは、背筋をぴんと伸ばしたエルフの老婆だった。白銀の髪をうなじで束ね、年齢を重ねてもなお気品を漂わせるその姿に、ゼンイチは思わず背筋を正した。
「どなた?」
「302号室のゼンイチといいます。実は、配管の詰まりを解消する新しい方法を思いつきまして、マンションで実地試験をしたいと思っているのですが……」
老婆はしばし沈黙し、ゼンイチをじっと見つめた。
「お金は?」
「いえ、すべて無償でやらせていただきます。効果があるか確かめたいだけなので」
「……ふむ。なら、勝手に壊さないことを条件に、好きにしなさいな」
予想外にあっさりとした返答に、ゼンイチは拍子抜けした。
「ありがとうございます!」
「掲示板にちゃんと案内文を書いて、住民の了承を取るのを忘れないでね」
「えっと……全員の了承ですか?」
「ん? あんた、規約読んでないのかい? ……あぁ、国の人か……まったく、いい加減だねぇ。入居させる前に責任もって規約の説明するよう、担当者には言ってんだけど」
「申し訳ありません。すぐに内容を確認させていただきます。ちなみに、今回の工事だと、どれくらいの合意がいりますか?」
ミリアはゼンイチを品定めするように見たあと、静かに答えた。
「これくらいなら、半数でいけるだろう……9件の同意書を集めておきな。国を除けば8件だ」
「ありがとうございました。排水制限も必要になると思いますので、慎重にさせて頂きます。今後ともよろしくお願いいたします」
ゼンイチは丁寧にお礼を言って、その場を後にした。
その後、合意書を準備して、上の部屋から順に訪問を行った。結果として、不在の住戸も多数あったが、在宅の住戸10戸から合意書を得ることができた。
「じゃあ、材料の入手や加工の日程を加味して、3週間後にやろうか。案内文とか、ティアで書けたりする?」
「任せてください! 王立図書館の掲示文とかも私が書いてましたから!」
頼もしい笑顔を見せたティアが筆を走らせ、立派な案内文を仕上げてくれた。ゼンイチはそれをマンションの各部屋に配り、掲示板にも貼り出した。
「さて、パッキンの準備もしとかないとな……」
ゼンイチは冒険者ギルドでアルミラージの角を両手いっぱいに買い占めた後、工房に戻り、職人に声をかけた。
「テストに成功しました。量産化に向けた実地試験を行う予定なので、急ぎパッキンを作って欲しいんですが……」
「おぉ早いな! もう成功するとは、さすが異世界人だ!———何個くらい必要なんだ?」
「えっと、40個くらいあれば……」
「手作業で切り出すにはギリギリの数だな……これが上手くいけば金型を作らせてもらえるんだろ?」
「大丈夫だと思います。お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします」
「任せておきな!」