第86話 本物の小十郎さんは、俺さえいなければと言って斬りかかってきました
「お前さえいなければ!」
刀が振り下ろされた。
俺は動けなかった。
いや、本当に。
戦国時代へ来てから何度も危ない目には遭ったけど、危ない目に遭えば遭うほど体が勝手に動くようになる、なんて都合のいい成長はしていない。
怖いものは怖い。
刀は怖い。
死ぬのはもっと怖い。
だから俺は、迫ってくる刃を見ながら、ものすごく情けないことを考えた。
――あ、これ避けられない。
金属音が鳴った。
俺の目の前で、二本の刀がぶつかった。
「下がってください、拓真殿!」
今の小十郎さんだった。
「はい!」
俺は素直に下がった。
そのまま足をもつれさせた。
「うわっ!」
転んだ。
新八さんが怒鳴った。
「こういう時くらいまともに逃げろ!」
「逃げてるでしょう! 転びながら!」
「それは逃げるとは言わん!」
ひどい。
でも今は言い返している場合じゃない。
二人の小十郎さんが、刀を合わせていた。
同じ顔。
同じ声。
同じ構え。
でも、違う。
俺にだって分かった。
完全には同じじゃない。
本物を名乗る小十郎さんが一歩踏み込む。
今の小十郎さんが受ける。
刃が滑る。
すぐに返す。
それを相手が避ける。
速い。
俺には何をしているか半分も分からない。
ただ、二人とも相手の動きを知っているようだった。
次に何をするか。
どこへ足を運ぶか。
刀をどこから振るか。
まるで自分自身と戦っている。
「私の技を」
本物を名乗る小十郎さんが、息を荒らげながら叫んだ。
「盗んだな!」
今の小十郎さんの顔が変わった。
一瞬だけ。
怒った。
「違います」
刀を受ける。
「何が違う!」
「私は」
押し返す。
「私も生きたのです!」
男の刀が止まった。
ほんの一瞬。
今の小十郎さんが続ける。
「この半年!」
「……」
「殿に仕え!」
「……」
「戦い!」
「……」
「迷い!」
「……」
「拓真殿に振り回され!」
「そこ入れます!?」
思わず口を挟んだ。
二人の小十郎さんが同時に怒鳴った。
「黙っていてください!」
「だからそこまで同じなの怖いんですよ!」
新八さんが俺の襟首を掴んで、柱の陰へ引っ張った。
「お前は本当に黙れ」
「でも話は聞きます!」
「勝手に聞け!」
◇
「お前が来なければ!」
本物を名乗る小十郎さんが叫んだ。
また俺。
どうして最近、最後は大体俺に戻ってくるんだろう。
「未来人が来なければ!」
刀と刀がぶつかる。
「殿は天下など目指さなかった!」
政宗の眉が少し動く。
「伊達家は狂わなかった!」
今の小十郎さんが歯を食いしばる。
「私の場所も!」
男の声が割れた。
「奪われなかった!」
俺は。
そこで。
少しだけ。
引っかかった。
「誰に言われたんです」
二人の刀が止まる。
新八さんが俺を見る。
「黙れと言っただろう」
「今、大事なところです!」
俺は本物を名乗る小十郎さんを見る。
「誰に言われたんですか」
「何を」
「俺が来なければ、あなたは今も政宗様の隣にいたって」
男の顔が固まった。
分かった。
誰かに。
言われた。
「捕まっていた時ですか」
「……」
「白面衆に?」
答えない。
それが。
答えだった。
「何度も言われたんですね」
「黙れ」
「未来人が来た」
「黙れ!」
「政宗様が天下を目指す」
「黙れ!」
「伊達家が壊れる」
「黙れと言っている!」
「神谷拓真が来なければ、お前は今も片倉小十郎だった」
男が。
止まった。
目が。
揺れる。
俺は。
怖かった。
でも。
続けた。
「そう言われたんでしょう」
「お前に」
男の声が震えた。
「何が分かる」
「分かりません」
即答した。
男が。
少し。
戸惑った。
「十年仕えて」
俺は続ける。
「殿を守って」
「……」
「ある日、全部なくなって」
「……」
「帰ってきたら、自分の場所に別の自分がいる」
「……」
「分かるわけないです」
男の顔が歪む。
「なら黙れ!」
「嫌です!」
俺も叫んだ。
怖い。
でも。
腹が立った。
「俺を恨むのは自由です!」
「……」
「殴りたいなら、できれば嫌ですけど、まあ話は聞きます!」
新八さんが。
「何だその情けない譲歩は」
と言った。
「死にたくないんですよ!」
でも。
続ける。
「だけど!」
俺は男を見る。
「自分の十年を、俺一人のせいにしたら」
男の目が鋭くなる。
「その十年まで、俺に渡すことになりますよ!」
「何を」
「あなたの十年でしょう!」
声が出た。
思ったより。
大きく。
「政宗様のそばにいたのも!」
「……」
「戦ったのも!」
「……」
「泣いたのも!」
「……」
「守ったのも!」
「……」
「あなたでしょう!」
男の手が震える。
「それを全部」
俺は。
少し。
息を切らしながら。
言った。
「神谷拓真のせいで壊れた、で終わらせたら」
「……」
「あなたの十年が、俺の物になるじゃないですか」
長い沈黙だった。
本物を名乗る小十郎さんは。
刀を構えたまま。
動かなかった。
「偉そうに」
低い声。
「はい」
「奪われたこともないくせに」
「そうですね」
「なら」
「でも」
俺は。
少しだけ。
声を落とした。
「俺も、自分が悪かったことを、誰か一人のせいにしたかったことはあります」
田中さん。
美月さん。
会社。
佐々木。
俺。
誰か。
一人。
悪い奴がいれば。
楽だった。
「俺は田中さんを助けなかった」
「……」
「でも会社が悪かったって言えば、少し楽だった」
「……」
「上司が悪かったって言えば、もっと楽だった」
「……」
「美月さんが俺を恨んだことを、おかしいって言えば」
少し。
喉が痛くなる。
「俺は自分を見なくて済んだ」
男が。
俺を見る。
「だから」
「……」
「誰か一人のせいにしたい気持ちは、少しだけ分かります」
「少しだけか」
「全部分かるって言う奴、信用できないでしょう」
男の口元が。
ほんの少しだけ。
動いた。
笑ったのか。
怒ったのか。
分からない。
◇
「もうよい」
政宗が言った。
二人の小十郎さんが同時に振り向く。
政宗は本物を名乗る男を見る。
「お前の十年は」
静かな声だった。
「俺が覚えている」
男の目が。
大きくなる。
「殿」
「右目を失った夜」
「……」
「お前はいた」
「……」
「輝宗を失った時も」
「……」
「戦場でも」
「……」
「お前はいた」
男の刀が少し下がる。
「では」
声。
震える。
「なぜ」
政宗が続けた。
「だからこそだ」
「……」
「今の俺を見ろ」
男が。
止まる。
「お前が守っているのは、昔の俺だ」
「違います」
「違わぬ」
「殿は」
「俺が狂わぬと言ったな」
男は。
何も言えない。
「なぜ言い切れる」
「それは」
「俺は人だ」
政宗が。
片目を細める。
「間違う」
「……」
「怒る」
「……」
「欲に負ける」
「……」
「人を殺す」
「……」
「だから」
今の小十郎さんを見る。
「止める者が要る」
本物を名乗る小十郎さんの顔が。
崩れた。
「では」
かすれた声。
「私は」
誰も。
答えない。
「私は何者です」
政宗が。
少しだけ。
目を細めた。
そして。
言った。
「それを俺に聞くな」
男が。
呆然とする。
「自分で決めろ」
俺は。
思わず。
「今いいこと言いましたけど、昔は俺に全部決めさせてましたよね?」
政宗が。
「黙れ」
と即答した。
「ほら!」
紬が。
小さく笑った。
今の小十郎さんも。
少し。
笑った。
本物を名乗る小十郎さんも。
ほんの一瞬。
笑いそうになった。
その時だった。
「ぐっ」
男の体が。
揺れた。
刀。
落ちる。
膝。
つく。
口元。
血。
「何!」
俺が叫ぶ。
今の小十郎さんが。
最初に動いた。
相手を支える。
さっきまで。
殺し合っていた。
でも。
支える。
「触るな!」
男が。
振り払おうとする。
でも。
力。
ない。
「毒です!」
楓が。
走り寄る。
薬師も。
すぐ。
来る。
男。
口から。
さらに。
血。
「いつ飲んだんです!」
俺が聞く。
男が。
苦しそうに。
首を振る。
「知らぬ」
「覚えてない?」
「……ああ」
楓が。
腕。
目。
舌。
見る。
「今飲んだものじゃない」
「じゃあ」
「少しずつ」
楓。
顔。
険しい。
「長く飲まされてたのかも」
捕らわれていた。
半年。
食事。
水。
薬。
少しずつ。
毒。
殺しに失敗したら。
死ぬ。
いや。
最初から。
生きて戻す気。
なかった。
「治療を!」
俺が言う。
でも。
男が。
拒んだ。
「いらぬ」
今の小十郎さんが。
顔を上げる。
「何を」
「偽物に」
男は。
苦しそうに。
笑った。
「助けられるくらいなら」
「……」
「死んだ方がましだ」
今の小十郎さんの顔が。
変わった。
本気で。
怒った。
「では死んで逃げるのですか!」
全員。
止まる。
男も。
目を見開く。
「何を」
「私を偽物と申すのでしょう!」
「そうだ」
「なら!」
今の小十郎さんが。
男の胸ぐらを掴む。
「せめて本物らしく生きて責任を取れ!」
男の目が。
揺れる。
「あなたには十年があるのでしょう!」
「……」
「殿を守った十年が!」
「……」
「私にはない!」
声。
震える。
「だから!」
初めて。
今の小十郎さんが。
泣きそうな顔。
「その十年を持ったまま、勝手に死ぬな!」
男。
何も言えない。
楓が。
静かに。
「助けたいなら早くして」
二人。
同時に。
楓を見る。
「毒は待ってくれない」
本物を名乗る小十郎さんが。
目を閉じた。
そして。
小さく。
言った。
「……頼む」
今の小十郎さんが。
手を離す。
楓と薬師。
動く。
俺は。
息を吐いた。
まだ。
助かる。
たぶん。
絶対。
言えない。
でも。
助ける。
◇
その時。
捕らえていた白面衆の男が。
笑った。
本当に。
嫌な。
笑い。
「何がおかしい」
新八さんが。
刀の柄へ手を置く。
男は。
二人の小十郎を見る。
「どちらが本物でも」
「……」
「関係ない」
俺の胸。
嫌な予感。
「本当に殺すべき小十郎は」
少し。
間。
「三人目だ」
俺は。
頭を抱えた。
「だからもう増やすな!」
男が。
俺を見る。
笑う。
「三人目は」
「……」
「輝宗の死に直接関わった」
政宗の顔から。
完全に。
表情が消える。
「誰だ」
低い。
声。
男が。
続ける。
「今も」
「……」
「政宗の一番近くにいる」
全員。
互いを見る。
愛姫様。
新八さん。
今の小十郎さん。
本物を名乗る小十郎さん。
紬。
楓。
俺。
男が。
ゆっくり。
指を上げた。
そして。
指した。
俺を。
「……は?」
男が。
笑う。
「三人目の片倉小十郎は」
俺の胸。
止まる。
「お前だ」
俺は。
自分を。
指差した。
「俺?」
「そうだ」
「神谷拓真ですよ?」
「違う」
男の笑み。
深くなる。
「お前は」
少し。
間。
「片倉小十郎になる前の、神谷拓真だ」
俺は。
何も。
言えなかった。
だって。
最近。
俺。
政宗にもなった。
今度。
小十郎?
もう。
本当に。
何者なんだ。
俺。




