014.午段瑪
まだ夜も明けきらぬ前、空には僅かに顔を出し始めた朝日を浴びて薄紫色に染まる雲が棚引く。昼間に比べる冷え込んだ朝の空気は清浄さを孕んでいた。
真太は身支度を整え、側仕え用の小部屋を後にする。
昨夜は久方ぶりに湯浴みをすることができ、使い古しだが清潔な衣服も与えられた。既に何度か水を通していると分かる衣服は、暗に細工をしていないことを示している。
(ご丁寧なことで……)
この借りをどのように返却しなくてはいけなくなるのかと考えると頭が痛いが、最終手段として遁ずらしてしまえばいいかと問題を先送りする。
その前に考えなくてはならないことは山ほどあるのだ。
術式による監視の目は緩んでいる。人の目という物理的な監視はまだ続いているが、術式の監視が無くなったことで、陰陽師の保有人数が少なく、此方に充てられるのが一人くらいなのだろうと推測できた。寝る前までは確実に術式の気配が漂っていたから、もしかすると件の陰陽師は朝が弱いのかもしれないとほくそ笑む。
ちなみに、昨夜、湯浴みの際に荷物を漁られるかと覚悟していたが、動いた様子はなかった。様子見という言葉がチラつくが、信頼の証と無理やり前向きにとらえることにする。
(いや、触れなかったのかもしれねぇけどな)
山賊騒ぎの際、選ばれなかったことを小太刀は自覚したのだろう。親切心か腹いせか、穏波羅からこっち佳晴に絡む術式や執着が強化されていることに気付いた。小太刀と佳晴を繋ぐ術式はあからさまで、自分よりも感知力の高い陰陽師ならば触るなと注進すること請け合いだ。自分の荷物も混ぜて一塊にしておいた甲斐があったというものだ。
音もなく静かに廊下を進む。奥からは下女下男たちの話す声が聞こえてきた。随分と行儀が良いようで、だいぶ静かだが声と生活音は拾えた。
(手水用の水を貰う……従者ならば自然な行動だ)
下女下男相手ならば、少しくらい表情を崩して親しみやすくした方が口を軽くしてもらえるだろう。なんせ情報が足りないのだ。少しでも手持ちを増やしたかった。
そう考えたところで、ピタリと足を止める。
「何方へ?」
目の前の襖が音もなく開き、長い黒髪を無造作に一つに結わえた水干姿の少年が真太の前にいた。歳は自分たちとさほど変わらなさそうに見えるが、纏う心力の強さで分かった。陰陽師だ。
「主人の手水の支度を、と」
にこやかに答える。相手に敵意は見えなかったが、端から監視されていたのだ。真太としては、罠だとしても納得こそすれ、驚くことはない。
(監視の緩みは意図的だったってわけか……読みが外れたな)
表情は変えずに、内心は一杯食わされたと臍を嚙む。
「当家の者が采配いたしましょう」
陰陽師から淡々と言葉が返されたのを受けて、真太は白旗を上げた。
(此処は引いた方が良さげだな)
どのみち、拾えればめっけもんと思い立ったが故の行動だ。下手に刺激するよりも、引いた方が良い。
「それでは、お手数をおかけしますが、お願いしてもよろしいでしょうか」
真太は人の良い笑みを浮かべて、申し訳なさそうにお願いする。
「無論。客人の手は煩わせません」
余計なことをするなと釘を刺された気がした。
戻る道すがら、監視の視線が強まったことを感じ、少々早まったかと思ったが、ギリギリまだ子供と言い張れる年齢を盾に好奇心で片付けてやろうと匙を投げる事にする。
どうしようもなく上手くいかない。
(あんま良くねぇ流れだ……)
側仕え用の小部屋に戻り、一つ息を吐く。
本嶺山からの下山の際、貞宣から聞きだした話では、富志箸を鍛冶集落と言っていた。
なのに、この屋敷は静かすぎる。通常ならば、鍛冶集落が街場に置いてる屋敷というのは、商人との窓口になっていることが多く、朝早くから商人の訪れが絶えないことが多い。
なのに、息をひそめるような静かな声しか聞こえないなど、在り得るだろうか。
情報が足りない。真太は切実にそう感じていた。
だが、現状、それを補う手段が見つからない。
それがもどかしくて仕方がなかった。




