第1話 お前は、もっと挑戦する気はあるか?
最後の一撃が、魔王の胸を貫いた。
画面いっぱいに黒い光が広がり、巨大な敵の身体が崩れ落ちる。砕けた鎧が床に散らばり、玉座の間を覆っていた赤黒い霧が、嘘のように消えていった。
『――QUEST CLEAR――』
白い文字が表示された瞬間、俺は椅子の背もたれに身体を預けた。
「……っしゃあ!」
思わず拳を握る。
長かった。
何度挑戦したか、もう覚えていない。初見では即死。二度目は回復薬が尽き、三度目は最後の最後で隠し攻撃を食らって全滅。敵の行動パターンを記録し、攻撃の予備動作を覚え、装備を組み直し、無駄な動きを一つずつ削っていった。
そして、ようやくクリアした。
難関アクションRPG『エンド・オブ・エルディア』。
理不尽だと評判のゲームだが、理不尽には必ず理由がある。少なくとも、俺はそう信じて攻略してきた。
敵の攻撃が速すぎるなら、動きを観察する。防御が硬すぎるなら、弱点を探す。正面から勝てないなら、別の方法を考える。
勝てない相手を、勝てる条件に変えていく。
それが俺のゲームの楽しみ方だった。
「さて……エンディングはどうなるんだ?」
スタッフロールを眺めながら、冷めかけた飲み物に手を伸ばす。
窓の外は暗い。部屋の中にある光源は、モニターとデスクライトだけだった。
明日、何か予定があっただろうか。
考えかけて、やめる。
今はクリアの余韻に浸りたい。
スタッフロールが終わる。
画面が暗転した。
普通ならタイトル画面に戻るか、クリアデータの保存を促されるはずだ。
だが、中央に現れたのは、見覚えのない文字列だった。
『お前は、もっと挑戦する気はあるか?』
「……なんだ、これ」
俺は画面に顔を近づけた。
追加シナリオの告知か。それとも、隠しルートへの分岐か。
このゲームは、プレイヤーが見つけていない要素をいくつも残している。攻略情報が充実した今でも、開発側が意図的に伏せている仕掛けがあると噂されていた。
その一つかもしれない。
画面の下には、二つの選択肢が表示されていた。
『YES』
『NO』
あまりにも単純だ。
しかし、単純だからこそ気になる。
「ここでNOを選ぶ理由はないよな」
俺はマウスを動かし、迷わず『YES』をクリックした。
その瞬間。
画面が白く染まった。
「は?」
モニターの故障かと思った。
だが、光は画面の中に収まらなかった。目の奥に直接差し込んでくるような眩しさが広がり、部屋の輪郭が溶けていく。
耳鳴りがした。
身体が椅子から浮き上がったような感覚。
手を伸ばそうとしたが、指先が動かない。
「おい、ちょっと待て……!」
ゲームの演出にしては、妙に生々しい。
視界が回転する。
床も天井も、机も壁も、すべてが遠ざかっていく。
最後に見えたのは、白い画面に浮かぶ黒い文字だった。
『選択を確認しました』
そして、意識が途切れた。
◇◆◇
最初に感じたのは、冷たさだった。
背中に硬いものが当たっている。頬にはざらついた感触があった。
俺はゆっくりと目を開けた。
「……どこだ、ここ」
天井が高い。
視界に入ったのは、巨大な石柱と、壁一面に刻まれた奇妙な紋様だった。足元には円形の模様が描かれ、その周囲をいくつもの文字が取り囲んでいる。
ゲームのイベントシーン。
そう思った。
いや、そう思いたかった。
石の床は冷たく、服越しにも硬さが伝わってくる。空気には、湿った土と古い石の匂いが混じっていた。
俺は肘をつき、上半身を起こした。
自分の手が見える。
いつもの手だ。指を曲げ、開く。痛みもある。爪の先まで、妙にはっきりと感覚があった。
服装も変わっている。
部屋着ではない。黒い布の上着に、革のベルト。腰には小さな袋が一つ下がっていた。
「……本気かよ」
周囲を見回す。
祭壇のような空間だった。
壁際には火のついていない燭台が並び、正面には人の背丈ほどもある石板が立っている。石板の表面には、見覚えのある紋様が刻まれていた。
『エンド・オブ・エルディア』の古代遺跡に出てくる意匠に似ている。
似ている、というより――そのものだった。
「まさか、ゲームの中……?」
口にした途端、自分でも馬鹿げていると思った。
そんなことがあるはずがない。
VR機器を使ったわけでもない。俺は自分の部屋で、普通のパソコンを操作していたはずだ。
夢だ。
そう結論づけようとしたとき、背後で誰かが息を呑んだ。
「……ここは、どこ?」
女性の声だった。
振り返る。
俺から少し離れた場所に、三人の男女が倒れていた。
一人は、二十代後半くらいの男性。がっしりした体格で、表情には困惑と警戒が入り交じっている。
もう一人は、若い女性だった。周囲を観察する目つきが鋭く、状況を理解しようとしているように見える。
最後の女性は、すでに立ち上がっていた。自分の手足を確かめ、石柱を叩き、露骨に顔をしかめている。
そして、少し離れた場所に、もう一人。
長い髪の女性が、壁に刻まれた文字をじっと見つめていた。
俺を含めて五人。
全員が、見知らぬ場所にいる。
「おい。あんた、何か知ってるか?」
体格のいい男性が俺に尋ねた。
「いや。気がついたら、ここにいた」
「全員、同じか……」
女性の一人が小さく呟いた。
そのとき、祭壇の中央に光が灯った。
空中に、黒い影が浮かび上がる。
人の形をしている。
全身を覆う黒衣。顔は深いフードに隠れ、目の位置さえわからない。
そいつは、床に足をつけることなく、俺たちの前に静かに立った。
『選別者、五名。到着を確認』
声は低く、男とも女ともつかない。
「選別者? 何の話だ」
体格のいい男性が一歩前に出る。
黒衣の存在は答えなかった。
『これより、職業を選択する』
空中に、五つの文字が浮かび上がった。
戦士。
魔術師。
精霊使い。
武闘家。
そして――ネクロマンサー。
俺は息を止めた。
見慣れた言葉だった。
ゲームの世界で、プレイヤーの生き方を決める五つの職業。
だが、どうして今、それが目の前に表示されている?
黒衣の案内人は、俺たちの困惑など意に介さない様子で告げた。
『選択を開始する』
五つの職業名が、静かに輝いた。
その中の一つが、俺たちの誰かに選ばれるのを待っている。
このときの俺は、まだ知らなかった。
ここでの選択が、ゲームのように何度でもやり直せるものではないことを。
そして、最後に残された職業が、俺の人生を根底から変えることになるのを。
空中の五つの文字が、いっそう強く光った。




