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明治純愛フィロソフィア  作者: 猫塚ルイ


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第4話

「……旦那様は、またお出かけですか?」


嫁いできて数週間。


伊織様は相変わらず、夜になると「夜会だ」「付き合いだ」と言って、華やかな格好で出かけていく。


でも、最近の伊織様はどこか妙だった。


玄関を出る際、必ず私の方をチラリと見て


何かを期待するような、あるいは怯えるような複雑な顔をするのだ。


(やっぱり、私の至らなさが旦那様を疲れさせているのかしら……)



◆◇◆◇


しかし、そんなある日の午後──


お屋敷の掃除をしていた私は、北側の廊下の突き当たりに、小さな階段を見つけた。


「ここは地下の書庫ですよ。埃っぽいから近寄らないようにと旦那様が仰っていました」


使用人の言葉を思い出したが、階段の下から、微かに「トントン」と規則正しい音が聞こえてきた。


(……泥棒かしら!?)


私は箒を武器のように構え、抜き足差し足で階段を降りた。


重い扉の隙間から漏れていたのは、ガス灯の青白い光ではなく、温かなランプの灯火だった。


「……よし、これで角が揃ったな」


聞き慣れた声に、私は思わず扉を押し開けた。


「伊織様!?」


「っ!? ……つ、紬!?」


そこは、壁一面が本で埋め尽くされた秘密の小部屋だった。


中央の大きな机の上には、バラバラに解体された古い和綴じの本や


見たこともないような細い筆、そして透明な糊の瓶。


夜会で見せる完璧な装いとは違い、伊織様はシャツの袖をまくり


眼鏡をかけ、真剣な眼差しで紙の端を修復していた。


「……まさかこんな早くにバレるとはな…」


伊織様はあからさまに嫌そうな顔をして、作業中の本を隠すように覆い隠した。


「あ、あの…伊織様…これは……」


「……笑えばいい。帝都の『遊び人』が、地下にこもって埃まみれで地味に古本をいじっている。……格好悪いと思っているんだろう」


伊織様は自嘲気味に笑い、眼鏡を外して投げ出した。


「笑う気もないならさっさと上に戻れ」


冷たく突き放す言葉。


でも、私の目には、その机の上が宝の山に見えていた。


「……いえ、凄くないですか?」


「え?」


「それによく見たらこれ!鎌倉時代の写本ではありませんか? こんなに脆くなった紙を、一枚一枚、跡も残さず繋ぎ合わせるなんて……!」


私は吸い寄せられるように机に歩み寄った。


「この糊の配合も、紙の性質に合わせて変えていらっしゃるのですね。……信じられません。こんなに繊細で、気の遠くなるようなお仕事を、お一人で……」


「……何、を…」


「伊織様、私、今まで旦那様のことを『ただの綺麗な方』だと思っていました。ごめんなさい。……こんなに学問と芸術を愛し、失われゆく知恵を守ろうと闘っていらしたなんて。……私、感動いたしました!」


私は思わず、伊織様の大きな手を両手で包み込んだ。


修復作業で少しインクの汚れた、働く男の人の手。


「遊び歩いている方だなんて思って損をしました。私は、こんなに一生懸命な方だとは思わなかったので、尊敬してしまいます!」


「…………っ!!」


伊織様は、雷に打たれたように硬直した。


私の手の中にあった彼の指先が、目に見えて震え始める。


「……紬。君は、自分が何を言っているのか、分かって……」


「分かっておりますよ!私、こんなに素晴らしい旦那様を持てて幸せです!」


「…………あー、もう!!」


伊織様は突然、顔を真っ赤にして叫ぶと、自分の頭をガシガシとかきむしった。


そのまま椅子に崩れ落ち、机に突っ伏してしまう。


「……降参だ。…もう、勝てる気がしない……」


「伊織様? どこかお加減でも?」


「……うるさい。……そんな瞳で、俺を見るなと言っているんだ……」


伏せられた腕の間から見える伊織様の耳は、地下室のどんなランプよりも赤く燃えていた。


私は不思議でたまらなかった。


こんなに立派なことをしているのに


どうして伊織様は、こんなに余裕がなさそうにしているのだろう。


でも、確信した。


私の旦那様は、世界で一番かっこいい


「フィロソフィア」なのだと。


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