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明治純愛フィロソフィア  作者: 猫塚ルイ


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第13話

叔父様が去った後の九条家は、嵐のあとの静けさに包まれていた。


伊織様は「気にするな」と言って、いつものように地下室で古書に向き合っているけれど


その背中にはどこか無理をしているような、重い緊張感が漂っている。


(伊織様は、私のために全てを捨てると仰ってくださった。…私にできることは、何かないかしら)


私は自分の部屋で、慣れない針仕事に没頭していた。


作っているのは、小さな「守り袋」だ。


母から教わった、不器用な刺繍を施した、ありふれた木綿の袋。


「……いたた」


何度指を刺したか分からない。


けれど、伊織様がいつも持ち歩いているあの古い栞や、彼が大切にしている「知」の世界を守れるような、そんなお守りを作りたかったのだ。



◆◇◆◇


その夜


地下室の重い扉を叩くと、ランプの灯影の中で伊織様が顔を上げた。


「紬か。……こんな夜更けに、どうかしたのか?」


「あの、伊織様。……これ、つまらないものですが」


私は、真っ赤な顔でその守り袋を差し出した。


よく見れば縫い目は歪んでいて、花のかたちも少し不格好。


帝都の百貨店に並んでいる豪華な品々とは、比べるべくもない。


「……これは?」


「お守りです。…伊織様が、大切なものを守り抜けるように。……それから、あのお仕事の邪魔にならないように、指先を怪我なさらないようにと……」


伊織様は、その小さな袋を掌に乗せ、じっと見つめた。


沈黙が流れる。……ああ、やっぱり。


こんな子供騙しのような贈り物、遊び慣れた伊織様には失笑されてしまうわ。


「……申し訳ございません、こんな不恰好なもの。お捨てになって構いませんから……!」


私が慌てて取り返そうとした、その時だった。


「……っ!!」


伊織様の手が、激しく震え始めた。


彼はその守り袋を、壊れ物を扱うように両手で包み込み、そのまま自分の額に押し当てたのだ。


「…捨てるわけがないだろうが…こんな……こんなに温かいものを……」


「伊織、様……?」


顔を上げた伊織様の瞳は、潤んでいた。


余裕たっぷりに女性たちを侍らせていた「帝都の蝶」が


たった一つの、不器用な手作りの守り袋に、今にも泣き出しそうな顔をしている。


「……紬。君は、自分がどれだけ酷いことをしているか分かっているのか」


「ひ、酷いことですか!?」


「ああ、酷い。……こんなものを贈られたら、俺はもう、君以外の何も見えなくなる。君のために、命を投げ出すことすら、喜びになってしまうじゃないか」


伊織様は立ち上がり、私を力いっぱい抱きしめた。


胸のポケットに、今しがた贈ったばかりの守り袋を、何よりの宝物のように大切にしまい込んで。


「……今の言葉とてもかっこいいです、伊織様」


「……また、それか。…今の俺のどこに、尊敬される要素があるんだ。ただの、情けない男だろう」


「いいえ。……だって、こんなに、たった一つの小さなお守りに、これほどまで心を震わせてくださる」


「地位も名誉も持っていらした方が、私の真心だけを、何よりも重たい価値だと言ってくださる…その、汚れのない魂……私、心から、尊敬します!」


「…………ああ、もう!!」


伊織様は叫ぶと、顔を真っ赤にして私の肩に額を埋めた。


「余裕ゼロ」どころか、彼はもう、私の前ではただの「妻に恋い焦がれる一人の男」でしかなかった。


「……覚えておけよ、紬 ……このお守りがある限り、俺は君から一生離れてやらない……絶対にだ」


不器用な贈り物が生んだ、あまりに熱い誓い。


伊織様の耳は、地下室のどんな炎よりも赤く


熱く、燃え上がっていた。

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