28 花冠
いざなわれた扉の先にあったのは、楽園だった。
ゆたかな草原に色とりどりの花が咲き誇っていた。こんな美しい光景は、なかなかお目にかかったことがない。華やかな色の洪水にのみこまれ、自然の息吹が頬をかすめる。
「これ、どうなってんだ」
セアルが首を傾げていた。
「どうしたのですか、セアルさん」
盲目の魔女が訊く。
「いまアタシたちが出てきた扉だけど、枠組みしかないんだよ。扉の枠組みだけが草原のまんなかに突っ立ってて、それ以外はぜんぶ消えた。扉の向こうにあった石畳も石造りの遺跡も、ぜんぶ消えちゃってるんだよ——あれ?」虚しくたたずむ枠組みの向こうに、セアルはなにかを見つけた。「どうしてあんな遠くに……」
「今度はなんですか?」
ふたたびヴェネフィカが尋ねた。
「生命樹が……生命樹がすっごい小さく見えるんだ。アタシたち、さっきまで王都地下街にいたはずなのに」
どうやら生命樹の麓にある王都地下街からだいぶ遠くへ飛ばされてしまったようだ。
ヴェネフィカが扉の枠組みを撫でている。
「ほほう。それは興味深いですね。この扉に、〝ある場所〟と、離れた〝別の場所〟を直結させる機能があるのでしょうか。それに、この材質は木でも石でもないですね。なにかしらの金属なのでしょうが、このような変わった肌ざわりの金属をわたくしは知りません」
クレメンタスが加わった。
「〈悪夢の地〉全体を一望できるところをみると、かなり標高のたかいところにいると思われます。右手にガルドール山嶺、左手に永遠の森が見えるので、ここはかなり北——〝辺境〟と呼ばれる地域に、われわれはいるのかもしれません」
「そうですか。だとすると困りましたね。〈悪夢の地〉にもどるにしても容易ではないです」
「ヴェネフィカ氏、これからどうしますか」
とクレメンタスは尋ねた。
「そうですね。とりあえず寝泊まりできるところをさがしましょう。今日はもうゆっくり休んで、今後のことについては明日じっくり話し合いましょう」
四人は花園のなかをすすんだ。花の薫りが鼻腔をくすぐる。よく見れば、さまざまな形の花が混在して自生していた。
世界にこんなにもおだやかな場所があっただなんて、とクレメンタスは思う。天国を題材にした絵画や本は、この花園をモデルにして描かれたのではないか、と空想してしまう。
クレメンタスは足元に咲く可愛らしい花をできるだけ踏まないように気をつけた。
「ん? なにか見えますね」
花園をすすんだ先に、家屋のような影がいくつかあらわれた。近づいてみると、それらはあばら屋で、壁や屋根が朽ちて崩れていた。そんな廃屋が十戸ほど点在しているところから推察するに、ここにもかつて集落とよべるものがあったのだろう。
四人は、廃屋のなかで一番まともなものを選んで、そこに寝床をつくった。
夕飯までまだ時間がある。クレメンタスは廃屋のデッキ部分に腰かけて、ぼんやりと風景を眺めていた。花摘みをしているロッカとセアルのすがたが見える。ここからふたりを眺めていると、〝竜人になりかけている少年〟と〝古代のからくり人形〟ではなく、ただの仲がいい男の子と女の子にしか見えない。
ヴェネフィカがやってきた。
「お隣よろしいですか」
「はい、どうぞ」
クレメンタスが横にずれて、ヴェネフィカが座れるスペースをつくる。
クレメンタスは、解明できずにもやもやしている謎を、この博識な魔女に投げかけてみたくなった。
「ヴェネフィカ氏、いくつか質問してもいいですか」
「もちろん。わたくしに答えられることだといいのですが」
「まず最初の質問ですが、地下街で見た巨人は本当にバアル王だったのでしょうか」
ヴェネフィカは、顎に手をあてて、
「そうですね……おそらく」
と答えた。
「だとしたら、バアル王は死んでいないということですか。鎖でつながれていましたが、いまも生きてどこかに囚われているのでしょうか」
「それはどうでしょう。生きているかもしれませんし、残留思念が幻を見せていただけかもしれません……はっきりとしたことはわかりません」
「そうですか。では、頭のなかに流れこんできた夢のようなもの——あれはバアル王の記憶ですよね。竜人族が種族滅亡の危険を冒してまで侵入を防ごうとしていた〝なにか〟は、神なのでしょうか」
「なぜ、そう思うのですか」
「竜人族が戦っていた相手は天使でした。白い羽毛の翼をもつ天使と、黒い蝙蝠の翼をもつ竜人族——あの光景は、聖典に出てくる〝天使と悪魔の戦い〟にそっくりです」
「天使が守護し、悪魔(竜人族)が阻止しようとしていた存在だから、神だと考えたわけですね。たしかに、人類の力では抗うことができないほど強大な存在だった、という意味で〝神〟と定義してもいいと思います。ですが、その神が〝〈教会〉が崇拝する神〟かといわれるとなんとも言えませんね」
「どうしてですか」
「あの存在はこの世界のものではなく、〝外なる神〟とでも言いましょうか、外界からきた存在だと感じました。それに、あの記憶はわたくしに、ヒト族に伝承される〝竜人族と宇宙蛇〈オルムル〉の神話〟を想起させます。この神話はご存知でしたよね」
「はい。子供のころ、おとぎ話としてきいたことがあります。世界を呑みこもうとした蛇を竜人たちが退治する話ですよね」
「ええ。もしかしたら、竜人族の神話も、聖典にある天使と悪魔の戦いも、バアルの記憶で見たあの戦いが元になっているのかもしれませんね」
クレメンタスはおもむろに木彫りの像を取り出し、
「あの……先ほど廃屋を探索しているときに、こんなものを見つけたんですが」
と言って、ヴェネフィカに木像を手渡した。盲目のヴェネフィカは、木像を撫でたりさすったりして、その造形をたしかめた。
「これは神を模ったものでしょうか。憤怒の表情——とても怖いお顔をしていらっしゃいますね。それにこの光輪は〝火焔光背〟ですね。猛々しい戦いの神でしょうか」
「私もおなじ感想をもちました。さらにいえば、もし〈教会〉の神を偶像化したなら、その神像のような怒りに満ちた姿になるのではとも思いました。〈教会〉は偶像崇拝を禁止していますが」
クレメンタスの話を受けて、ヴェネフィカも思い出すことがあった。
「そういえば、ヒポクリシス司祭が話してくれましたね。〈教会〉はもともと〝エル神〟ではなく〝ヤフ神〟という名の——世に知られていない——神を信仰していたことを。エル神の名を騙ったのもカモフラージュだと。わたくしもつねづね疑問だったのです。おなじエル神でありながら、われわれの知るエル神と、〈教会〉のエル神の姿があまりにも乖離していることに。〈教会〉が崇拝しているのはいまも昔もヤフ神だったのですね。
だから、クレメンタスさんは〈奇跡〉をあつかえなかったのではありませんか。クレメンタスさんはエル神への信仰が篤かったため、ヤフ神との契約が履行されなかったのです。ファルさんとフェンさんとの出会いがきっかけで、無意識に気づかされ、ヤフ神の〈奇跡〉ではなく、エル神の祈祷がつかえるようになったのですよ」
クレメンタスは、ファルとフェンの名前を耳にしただけで、目がしらが熱くなり、涙が溢れてきた。
「なるほど」ヴェネフィカは言った。「いま気づきました。この集落は、〈教会〉発祥の地なのですね!」
「発祥の地?」クレメンタスはピンときていない。
「ヒポクリシス司祭の言葉をおぼえていませんか? 彼は〝辺境の地にヒト族だけが住む卑小な集落があった〟と言っていました。そこが〈教会〉発祥の地だと。この神像も、クレメンタスさんのおっしゃった通り、ヤフ神像なのですよ」
クレメンタスは、ヴェネフィカに返された木像を見つめた。その顔は、周囲のすべてを威嚇するかのように歪み、そのくせ猜疑心に苛まれているような弱さも垣間見える、複雑な表情をしていた。
「最後にもうひとつだけお尋ねしたいことがあります」
「なんでしょう」
クレメンタスは言いにくそうに口を開いた。
「……ロッカ少年は、どうなってしまうのでしょう」
空洞になった胸のなかに心臓を埋めこんだバアルの記憶——クレメンタスがロッカの方に視線を向けると、セアルと摘んだ花でなにかをつくっているようだった。
「以前、チャルゥ様がこんなことをおっしゃっていました」
「チャルゥ——永遠の森の?」
「はい。チャルゥ様は〝ロッカは人として死に、別の何者かになって生き返ったんだ〟と——ロッカ少年がバアル王の分け身であることは、彼の身体の変容ぶりからしても確実でしょう。いずれ完全体となり、ロッカ少年の自我が消滅して、バアルの自我と入れ替わるときがくるかもしれません」
「そんな……」
クレメンタスは、ロッカの身に降りかかった残酷な運命に思いを巡らせた。惨たらしく殺され、生き返った先に自分の身体を乗っ取られるとは、自分ならどう感じ、どう思うだろうか——
ロッカとセアルがこちらにやってきた。ふたりの手には小ぶりな花束がある。それにセアルの頭に花冠が乗っていた。色や形のちがう花を織り交ぜて器用に編みこまれた冠だ。
「可愛い冠ですね。セアルさんがつくったのですか」
クレメンタスが訊く。
「いや、ロッカが……」
なぜだか気まずそうにセアルは答えた。
「ほう、ロッカ少年が! ロマンチストですね」
とクレメンタスが褒める。
ヴェネフィカがつづく。
「セアルさんは可愛らしいお人形さんなので、花冠はきっとお似合いでしょうね」
「そんなことないよ」
とセアルはぶっきらぼうに言った。
ロッカはセアルを見ながら吃音まじりに、
「ぎれいだうぉ(きれいだよ)」
と言った。
セアルは、なんて言葉を返したらいいかわからないのか、無言のままうつむいてしまった。
夜、ヴェネフィカがひとりで寝具を整えているとセアルがやってきて、ヴェネフィカにこういう質問をしてきた。
「アタシが生身の身体になる方法ってあるのかな」
と——




