1 不死の少年
あつい雲におおわれて星も月も見えない夜の闇のなか、バアル平原にあるひとつの集落だけが煌々と光をはなっていた。
炎だ──
木造の家屋や小屋が燃えて、あかい火の粉が飛んでいる。周囲にたちこめている人肉の焼けるにおいは、なかにとじこめられた人びとのものだろう。
炎に照らされて、広場に立てられた何本もの杭がうかびあがる。杭には、磔にされ脇腹をえぐられた死体が、しばりつけられていた。
女子供の死体をあえて見せびらかすように木々から吊るしているのは、のちのちこの集落にやってくるであろう〈教会〉の人間たちの感情を煽るためだ。
しかし殺戮者も大人数を殺すことにあきたのか、のこりのものたちは掘られた大穴のなかにてきとうに捨てられていた。いくつかの死体は、胸の中央に穿ったような空洞ができていた。おそらくグールによって──卑陋な種族であるグールはヒト族の心臓が好物だった──えぐりとられたのだろう。
大穴に捨てられた老若男女の死体の山のてっぺんに少年の死体が仰向けによこたわっていた。まだ十代なかばほどだろうか、少年の胸も空洞になっていて、深淵の闇がひろがっていた。
真夜中もすぎたころ、神秘とも怪奇ともいえる不可思議なできごとがおきた。
夜空の漆黒のなかから一本の巨大な腕があらわれたのだ。
腕は地上にむかってまっすぐのびていく。五本の指のさきには肉食獣のような黒光りする鉤爪があり、人さし指と親指の鉤爪のさきでなにかを大事そうにつまんでいる。
心臓だ──
そのちいさな心臓は、ドクンドクンと鼓動を打っていた。
天空からのびた巨大な腕は、大穴に捨てられた少年の死体にむかっておりていく。そして、少年にふれられる距離までくると、速度をおとし、ゆっくりと慎重に、胸の空洞の闇のなかにつまんでいた心臓をおさめた。
空になった手は、天空へすいこまれるようにもどっていき、やがて虚空にきえた。
ドクン、ドクン、ドクン──
鼓動がきこえる。
ドクン、ドクン、ドクン──
少年の身体のなかから、生命が吹きかえす音がきこえる。
少年が、歯を喰いしばり、全身の筋肉を引き攣らせた。手足が突っ張り、身体がのけぞった。その後、はげしく痙攣して暴れまわると、唐突にぐったりと脱力した。
胸にあいた空洞はいつのまにかふさがっていた。
少年は、「ひゅううッ」と、のどの奥をならして空気を肺に送りこむと、胸部がふくらんだ。そして一瞬うごきを止めてから、「はあああぁぁ」とながく息を吐いた。
死体の山のうえで少年はふらふらと上体をおこした。
少年は、日常のときのように、寝ぼけまなこのまま大きなあくびをひとつした。
目をこすってまわりを見ても、死体のうえにすわっていると認識できていないようだ。少年はよろよろと四つん這いになると、ほかの死体を踏み台にして、大穴から這いでようとあがいた。
血にすべって何度もころがりながらもなんとか大穴から這いでると、少年はたちあがり、おぼつかない足どりで歩きはじめた。
ひどい臭気があたりにただよっていた。少年自身も血と汚物にまみれている。
朦朧とした意識のまま、ふらふらとすすんだ先で、グールの野盗にでくわした。野盗どもは死体から衣服を剥ぎとっている最中だった。
少年の存在に気づいた野盗のひとりが言った。
「おい、見てみろ。まだ生きてるのがいるぞ。しかもガキじゃねえか」
「こりゃツイてるぜ。新鮮な生肉が喰えそうだ。オレは心臓と肝臓が喰いてえ」
「ふざけんじゃねえ。オレだって喰いてえんだ」
と野盗たちは言いあらそいながら少年にちかづくと、手にもっていた直剣で無造作に少年の首を刎ねた。少年の頭が地面におちてころがった。頭がなくなった胴体の頸部から噴水のように血しぶきが舞った。
野盗たちはケラケラとおもしろそうに笑っていたが、その笑い声はすぐに消えた。なぜなら、首のない身体がそのままうごきつづけたからだ。身体は地面にころがった頭を拾うと首のうえに乗せた。すると首と胴体がくっつき、首の切り傷も消えてしまった。
野盗たちの顔が恐怖に引き攣った。野盗のひとりが恐ろしさのあまりパニックをおこし、手にしていた短刀を少年の肩に突きたてた。と同時に、少年の左手が野盗の胴体を貫き、風穴をあけていた。野盗の背中につき出た少年の指先には黒光りする鉤爪がついていた。
少年は野盗をふりはらうと、肩に刺さった短刀をひき抜き、右手に持った。このときの少年は意識がはっきりとしておらず、じつのところ、少年ではないべつの意識が彼の身体をうごかしているようだった。
少年は野盗どものなかへ飛びこむと、人間離れした体捌きで攻撃を避け、短刀と鉤爪でグールたちをあっというまに皆殺しにした。
少年は血をながしすぎたようだ。戦闘終了直後に気を失って、その場に倒れてしまった。
まだ顔を見せていない太陽が空を紫色に染めるころ、ひとりの老婆が驢馬を引きながら、この集落にやってきた。
老婆は、森でとれた収穫物を売りにきた、呪い師だった。この日も取引のために朝はやく集落をおとずれたのだが、それがこの惨状だ。
すでに火は消えていたが、焦げ臭さと生臭い血のにおいに、呪い師は鼻をおさえた。
「なんとむごい……」
顔見知りの死体もある。恐怖と哀しみの入りまじった感情が呪い師の心を呑みこんだ。
そのときだ、グールの死体のよこで短刀をにぎったまま倒れている少年を見つけたのは。
──まだ息がある!
呪い師は、少年の身体をなんとか持ちあげて驢馬の背中に乗せると、いそいで集落から立ち去った。
少年は、驢馬の揺れに起こされ、一瞬だけ意識をとりもどした。
驢馬のぬくもりと揺れが心地よい。
しかし、その心地よさも気怠い眠気にすぐさま掻き消された。それは底なし沼にひきずりこまれるように抗いがたく、少年はふたたび意識を失った。




