18
その夜。
家で寛いでいると携帯が振動し、着信を知らせた。画面を確かめると発信元に母と表示されている。画面をスクロールし携帯を耳にあてた。
「もしもし、お母さん?」
『もしもし、冬希?久しぶりね。元気にしているか気になったのと最近はどう過ごしているかと思って。』
「元気にやってるよ。丁度今日が体育祭だったんだ。」
随分久しく感じる母との会話に目を細めながら近況を語る。冬希の声から充実した高校生活を送れていると分かったのか、母の声にも笑みが浮かぶ。
『そう、友達もできたのかしら。楽しんでいる様で何よりだわ。』
「うん。お母さんには本当に感謝してるよ。こっちに来させてくれてありがとう。」
冬希の感謝にハッと息を呑む音が聞こえた。
『いいのよ。ここにいた時よりも今の冬希の方が私も安心できるから。』
「お母さん…」
『ずっと苦しんでいたでしょう。あの時から。』
目を伏せて、電話を持つのと反対の手でホイッスルを弄りながらフッと口角をあげる。
「苦しんだのはお姉ちゃんの方だよ。僕は何もしなかったから。」
言い捨てた冬希に、電話の奥で沈黙が流れる。
『…そんな事ないわ。冬希のせいじゃないってお姉ちゃんも分かってる。』
「そんなの」
『お母さんも!お父さんも分かってるから。だから、無理に帰ってこなくてもいいから、元気に楽しく過ごして欲しいの。』
力強い反論に声が出なくなった。ソファの下に座り込み、顔を足に埋める。
すると、向こうで物音のあとに、馴染みのあるこちらも久しぶりな声が途切れ途切れに聞こえてきた。
『ただ…ま…えっ、ふゆ…んわしてるの?私にも代わって!』
『分かったから荷物置いて。冬希?風花が帰ってきたから代わるわね。』
『もしもし冬希?元気にしてる?学校には慣れた?友達は?』
遠くで聞こえていたのが急に耳元でクリアに鳴った。姉の風花が帰宅するタイミングと被ったらしく、メールでやり取りしているにも関わらず怒涛の質問が飛んできた。
「もしもし、元気だよ。メールでもそう送ってるでしょ。」
『そうだけど、実際に聞いてみないと分かんないでしょ。冬希はよく隠すからね。』
さらりと言われた言葉に、そんなつもりはないんだけどなと苦笑した。
「お姉ちゃんも元気そうで良かったよ。」
『もう元気元気!そうだ、今度ご飯とか作ってもらおうかな!』
「あんまり美味しくないよ。」
『それでもいいの!ところで、冬希。』
雑談を挟んだところで一旦区切り、トーンを落とした。
『ホイッスルはまだ持ってる?』
「…うん。持ってる。」
『そ。なら大丈夫だね。じゃあ体に気をつけて頑張るんだよ。』
風花の声に明るさが戻り、大丈夫というフレーズに確信めいた響きを感じた。母ともう少し話してから電話を切った。
耳にあてていた腕をだらんと下げながら、ソファに頭を預けて目を瞑る。
ほら、雪の降る音が聞こえる。
ーお姉ちゃん!お姉ちゃんどうしよう、怪我してるっ…ー
ー落ち着いて、冬希。大丈夫だから。ー
「っ…!」
がばっと体を起こし、手探りで床とソファを確かめる。机、台所、テレビ、観葉植物。灯りがついた普段と何ら変わらないリビングだ。雨が降り始めたのだろうか。窓の外がザーザーと騒がしい。
荒く息を吐きながら落ち着くのを待っていると、玄関でドアを開ける音がした。
「ただい、何かあったのか?顔色が悪いぞ。」
「おかえり、お父さん。お母さんと電話してたら…」
帰宅したばかりの父が異変に気づき、問いかけてきた。冬希の言葉足らずな説明でも状況を把握したのか、納得したように頷いた。
「あ、ごめん。ご飯の支度できてないや。」
「ん?気にせんで良いぞ。今日は体育祭だったんだろ?疲れてるだろうしな。」
料理された痕跡のない乾いた台所に視線を向けて、上着を脱ぎながらからりと笑った。
「折角だし、お父さんが振る舞ってあげよう。いや、出前をとった方が味の保証はされるな。どっちが良い?」
「お父さんの料理食べたい。」
「よーし、任された!苦情は受け付けないからな。」
快く承諾し、腕捲りをしながら台所に向かう父の背中を見つめる。
「お父さんは、僕が一緒に行きたいって言った時どう思った?」
「んー?そりゃ嬉しかったさ。一人より断然賑やかだし、家の事もやってくれるしな。」
「うん。」
きっとそれは半分本当で、半分嘘なのだろう。眉尻を下げて困ったように笑っていたから。その瞳に心配の色が滲んでいたのを知っている。
なのに、今も知らないふりをしてくれている。何かが急に胸に込み上げ、冬希は無性に泣きたくなった。
「お待たせ。見た目は不恰好だが大事なのは中身だからな。ほら、食べよう。」
「ありがとう。いただきます。」
「おう。どうだ?」
目の前に置かれたオムライスは確かに卵が所々破れ、ケチャップライスも焦げているが、湯気を立ち昇らせながらとても香ばしい香りを漂わせている。
手を合わせてから一口頬張ると、野菜の甘みとトマトの程よい酸味と共に、お焦げというには行きすぎた苦味を感じる。
「ちょっと苦い…」
「まあ、大事なのは食べれるかどうかだからな。」
「お父さん、ありがとね。」
父の目を見て伝えると、虚をつかれたように目を瞬かせ、優しく顔を綻ばせた。
どうした急に、と笑いながら頭を豪快に撫でられる。何となく、と首を振りながらもう一口と食べ進める。
父作のオムライスは不恰好で、苦くて、それでもすごく美味しくて、暖かかった。




