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隠れるほうは、わたしにさせて 〜夜空へ還る王女と、名を呼べない侍女〜  作者: 鏡花


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2/2

スラファト

 その夜、隠れていた星が、三年ぶりに戻ってくる。


 星図の頁に、そう算えられていた。光がいちばん細り、そこから満ちはじめる夜。上がっている者を、呼び戻す夜だ。


 シェリアは塔の階をのぼっていた。


 衛兵の交代の隙を縫う必要は、もうない。書き換えられた国の記録に、儀の正しい形は残っている。添星(そえぼし)は二人一組。片方が上がって欠けた光を埋め、星が戻る夜に、地上に残った片方が名を呼ぶ。呼ばれた者は降り、呼んだ者が次に上がる。外されていた頁は(つづ)りに戻され、新しい名簿には、あの夜に生まれた娘の名がふたつ、並んで書かれている。


 階の途中で、祭儀長が待っていた。三年前よりさらに老いて、(しょく)を持つ手が細い。


「祝詞は、いかがいたしましょう」


「要りません。名前だけで、届きますから」


 老人は深く頭を下げて、階を譲った。


 頂の円い床に、風はなかった。決められた線は、もう引かれていない。


 シェリアは中央に立ち、空を見上げた。細りきった光が、頼りなく(またた)いている。かつて、自分はあの位置に立っていた。隣にもうひとつ星があると知って、呼ばれる日を数えながら待っていた。


 今度は、地上で数えた。


 息を吸う。


「——ラフィ」


 光が、揺れて、割れた。


 ひとつに見えていたものがふたつに分かれ、隠れていた星が姿を現す。降りてくる光へ、シェリアは両手を上げた。受け取るには、両手が要る。自分が、そうして受け止められたのだから知っている。


 掌に、重さが落ちてきた。人ひとりぶんの。


 膝が折れかけて、(こら)えた。腕の中であたたかいものが息をして、それから、(かす)れた声が言った。


「……交代、ずいぶんお待たせいたしました」


「三年ですよ」


「存じております。上から、数えておりましたので」


「あら。数えるなとは言っていませんけれど」


「はい。仰せつかっておりません」


 三年ぶりの憎まれ口だった。シェリアは腕の力をゆるめないまま、少し笑った。


「ちなみに、いくつになりました」


「千と、九十五でございます」


「わたしの数と、同じですね」


 地上と空とで、同じ数を数えていた。それがなんだか可笑しくて、ふたりぶんの肩が、同時に揺れた。


 それから、ふたりで床に座った。持ってきた包みを開く。焼いた木の実と、葡萄酒(ぶどうしゅ)。杯は、ひとつしかない。


「冷めていますよ、木の実」


「……冷めているほうが、ようございます」


「知っています。あなた、熱いのが苦手ですから」


 ラフィは何か言いかけて、やめて、木の実をひとつ口に入れた。それから杯に先へ口をつけ、「毒味でございます」と言って渡してきた。三年経っても、順番を間違えない娘だ。


「地上の報告をします。湖と、屋根と、畑と、祭り。ぜんぶ行きました。あなたと行った順のとおりに」


「存じております。上からは、よく見えますので」


「湖のほとりで手を振ったのも?」


「見ておりました。星は瞬くことしかできませんので、瞬いてお返しいたしました」


「祭りの夜、ひときわ瞬いた星がありましたね」


「さあ。……どうでしょう」


 空では、離れたふたつの星が、ゆっくりとまた近づきはじめている。次にどちらかが隠れる夜が来たら、上がるのは呼んだ者。わたしの番だ。


「次は、わたしですからね」


「……隠れるほうは、わたくしに」


「それは、わたしの台詞です。順番は綴りに書いてあります。書き換えては駄目ですよ、お互いに」


「……はい」


 返事まで、たっぷり間があった。この娘は、削られた三文字の窪みを、まだ指で覚えているのだろう。わたしが、写しの毛羽立ちを覚えているのと同じに。


「ラフィ」


「はい」


「あなたが上がっていた三年、約束は効いていましたよ。見上げても、寂しくなりませんでした」


「……仕込んだのは、わたくしではございません」


「同じ四つの夜でしょう。なら、半分はあなたのものです」


「……半分」


「ええ。半分だけ」


 ラフィは黙った。長く黙るときは、断っているのではなく、考えている。やがて、小さく言った。


「シェリア」


 半分ではない、全部の名前だった。呼び戻すためでも、儀のためでもなく、ただ隣にいる者を呼ぶ声で。


「はい」


「お帰りに、湖へ寄ってもよろしいでしょうか」


「ちょうど、誘うつもりでした」


 階を降りると、祭儀長がまだ頭を垂れていた。ふたりで礼を返し、燭の灯りの前を通り過ぎる。壁に、ふたりぶんの影が並んで落ちた。


 城の裏手の湖は、あの最初の夜と同じに黒かった。


 (みぎわ)に並んで膝をつき、水面をのぞきこむ。散らばった星のまんなかで、寄り添ったふたつの光が、ゆれて、崩れて、また集まる。


「ラフィ。見て、下にもありますよ」


「……存じております」


「知っているのと、見るのは違うでしょう」


「はい」


 今度は、渋られなかった。肩が触れる近さに、この娘はもういる。


「シェリア」


「はい」


「次にあなたが上がられる夜までに、ひとつ、支度(したく)をしておきます」


「なんです」


「見下ろしても寂しくならないように、しておきます」


「……人の真似ですね」


「はい。よい真似でございましたので」


 シェリアは水面へ目を戻した。笑うと、この娘に見られてしまう。


 黒い水の上で、ふたつの光が並んで、ゆれて、崩れて、また集まる。

 どちらが隠れる番でも、湖はきっと、ふたつとも映す。


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