妻を離しはしない。
旦那様サイド。
目の前のフェローのドレスに花が咲き乱れ、ワインで汚れたところは花で隠れた。
そしてフェローにワインをかけた女性は、泥水を被った。
フェローは、精霊の愛し子だった。
衝撃だったけど、納得出来るところも確かにあった。
フェローと精霊祭りに行った時の精霊の祝福、フェローが来てから晴れが続いたこと、たまに庭の花が咲き乱れたこと、そして何より、フェローの事を精霊が僕に勧めたということ。
精霊が罰を与えるにしても、人間を引き合いに出したことはない。フェローを嫁にしろと言ったのはつまり、精霊がフェローの事を認知しているということだ。
フェローのことを気にかけていると言うことだ。
そこまで考えていれば、フェローが精霊に好かれていることなんてすぐに分かったはずだ。
そこまでの考えに至れなかった自分が悔しい。
何よりそのせいで、大勢の前でフェローの事が知れてしまった。
「…まさか、本当に精霊の愛し子だと言うの?」
信じられない、って顔で呟くドルーガ公爵令嬢。
自分が下に見ていた相手が、まさか精霊の愛し子で怒らせてはいけない存在だということに気付いたけど、信じたくないんだろう。
「精霊の言葉に妻が出てくるということは、精霊に好かれていてもおかしくないでしょう。これ以上の被害を受ける前に退室されることを勧めます」
精霊の愛し子だと言うことは明言は避け、彼女を下がらせた。
彼女の去った後の床には泥水ひとつ落ちておらず、彼女だけを汚したらしい。器用な精霊だ。
未だぽかんとしているフェローの顔を覗き込み、声をかける。
「フェロー、大丈夫?」
彼女は僕に気付いて、にこりと笑顔をうかべた。
ドレスが汚れた事には悲しんでいたが、どうやら僕や精霊が怒ったから彼女自身は平気なようだ。
彼女の心が守られたのなら良かった。
とはいえ、ドルーガ公爵令嬢を許すつもりは無い。
「ちゃんとあの家には抗議しておくからね。それに多分精霊にも嫌われただろうから、彼女は然るべき罰を受けるよ」
フェローのドレスを汚したこと、彼女への暴言はしっかり公爵に抗議させてもらう。僕からの抗議をドルーガ公爵は見過ごせないだろうし、これだけ目撃者がいたら言い逃れもできない。
それに同じ公爵といえど、僕の方が格が上だ。格が上からの抗議には、謝罪するしか道はない。
この先公爵令嬢は、グランダート公爵夫人をいじめようとしたとして、彼女自身の価値が下がり、良縁は望めないだろう。
それに加えて、フェローが精霊の愛し子ときた。フェローがどんな精霊の愛し子かは分からないけど、少なくとも花と水の精霊からは好かれている。
きっと今後はドルーガ公爵令嬢の付近に花は咲かないだろうし、水の質も悪くなるだろう。
精霊の愛し子に危害を加えるというのはそういう事だ。
「それとフェロー、ドレスはどうする?着替える?」
フェローに聞くと、彼女は自分のドレスを見た。
足元から花が咲き乱れ、上に行くにつれて少なくっている。
ワインで汚れた部分だけでなく、ドレスとしても綺麗なデザインになるように花が咲いているのがわかる。
フェローはこのドレスをとても喜んでいたから、着替えさせないように花を咲かせたんだろう。汚れが見えなくてそのまま着ていられるように。
フェローが気に入っていたから。
「きっとフェローが悲しんだのを知って咲かせてくれたんだね。そのままでも素敵だから、フェローの好きにしていいと思うよ」
そう言うと、フェローはこのまま着ていることを選んだみたいだ。
うん、花のドレスも似合ってるし、綺麗だ。
僕は笑顔の戻ったフェローを見て、ほっとした。
そこから帰るまでの間は、軽く地獄だった。
フェローが精霊の愛し子かもしれないと思ったたくさんの貴族が、彼女と顔を繋げようと押しかけてきた。
言葉を話せないことを知っているのに、彼女に色んな質問を投げかけたり色んな誘いを掛けたりしていて、彼女は困ったように愛想笑いをしていた。
さっきまで遠目で彼女の事を馬鹿にしていたくせに、手のひら返しが華麗な事だ。
呆れてしまうほどだ。
しかもその中には、僕と離婚して自分のところに来たらどうかなんて誘っている馬鹿もいて、微かに感じたことのある嫉妬が大きく顔を出した。
ふざけるな。フェローは僕の妻だ。誰かに渡すわけが無い。
彼女が精霊に好かれていようがいまいが、彼女は生涯ずっと僕の妻だ。
彼女を離すまいとしっかり肩を抱くと、彼女は僕に愛のこもった笑みを向けてくれて、僕の心の内に渦巻いていた嫉妬がふわっと溶けていった。
そうだ、僕と彼女は愛し合ってる。
だから誰も引き離すことなどできない。
引き離すことなんてさせない。
馬車でフェローに精霊の愛し子なのか聞いたところ、彼女はよく分からないようだった。
自覚が無かったのかもしれない。まぁ自覚があったらきっと教えてくれてただろう。
パーティでは濁したが、フェローはきっと精霊の愛し子だ。そう思えば今までのこと全てに辻褄が合うし、彼女へ危害を加えた公爵令嬢にあそこまでするのは愛し子以外にありえない。
さっきは花と水の精霊が反応したが、恐らくグランダート公爵領の地の精霊も、彼女を気に入っているだろう。でなければ僕に彼女を託したりはしないはずだ。
そう考えると、兄の罪への償いで彼女を僕に託してくれたことが謎だが。愛し子を嫁にしろなんて罰どころか褒美だ。
そこは謎のままだが、地の精霊も彼女を認知していることは確かなのだ。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「レンドール、ちょっといいか」
自分の側近のレンドールを執務室に呼ぶ。彼は僕の側近で、仕事をする上で大事な補佐をしてくれる。
フェローと別れたあと彼と共に執務室に入り、自分の席に座る。
「…フェローが、精霊の愛し子だった」
「…なんと。本当ですか?」
「彼女に自覚はなかったけど、間違いないだろうね」
パーティでの出来事を掻い摘んで伝えると、彼は確かに、と頷く。
「奥様が…。なるほど確かに、辻褄が合いますね」
「でしょ?明言は避けたけど、あれだけの人の前で起きたことだから、口止めも否定も出来ないだろうね」
明日から彼女へのお誘いの手紙が沢山届くだろう。男だけでなく、友人枠として女性からも。
彼女のことを、精霊の言葉のおかげで公爵夫人になれた場違いな平民、と嘲笑っていた女性達から、仲良くなろうという手紙が。
「屋敷の警備を強化します。屋敷の者にこのことは…?」
「伝えるよ。伝えなくてもいずれ聞くことになるだろうから」
この屋敷の人は皆、フェローの味方だ。だから彼女を守ってくれる。
そこは信用している。信用に足らない人物などはここにはいない。
「僕がいない間は絶対に誰も屋敷にいれないように。」
「はい、心得ております」
「それから、フェロー宛の物は僕が選別する。そう伝えておいて」
「はっ」
危惧すべきなのは、僕が不在の時に屋敷を尋ねてくる人だ。きっと沢山尋ねてくる。フェローだけを狙って。
フェローに危害を加えることは精霊の制裁を受けるからしないだろう。だから彼女自ら寄ってきてもらえるようにあの手この手で彼女を誘惑するつもりだろう。
無理やり屋敷に押しかけてくるのもそのひとつだろう。
フェローには絶対に対応しないように言っておかないと。
まぁ彼女は僕の気持ちを分かって、言いつけを守ってくれるだろうけど。
「フェロー、入るよ」
いつものように夜、彼女の部屋を訪れる。
彼女の部屋のドアを開けて寝室に向かい彼女に微笑むと、彼女は手をひらひらさせて僕に向けて微笑んでくれる。
それを見て僕は幸せを感じ、そっと同じベッドに乗り上げて、彼女の隣に入り込む。
そっと彼女の肩を抱いて自分の方に引き寄せた。
「ねぇフェロー。他の人に誘われても、僕から離れないでくれる?」
この先、どんな誘惑が来ても、僕から離れないで欲しい。
フェローの願いはなるべく叶えるから、どうか僕から離れようとしないで欲しい。
精霊は関係なしに、僕はもう君がいないと眠れない。君がいない日々は送れない。
きっと今、精霊から別れるよう言われても頷けない。領地に被害が出るとしても、そのことを屋敷の人や領民に伝え、頭を下げて回るだろう。
領地に迷惑をかけてごめんと。それでも彼女を手放せないんだと。
僕の不安な気持ちが伝わったのか、彼女は自信ありげに頷いた。
彼女の確かな答えに僕はほっとして、知らぬ間に固くしてた顔の筋肉が緩む。
「良かった。きっとフェローにはこれから、色んなお誘いが来ると思う。僕と別れてこっちに来いって言う人もいると思う」
そう言っただけで彼女は嫌そうに勢いよく首を振っていて、そこまで嫌がってくれることに僕は嬉しくなった。
フェローも、僕と離れるのを嫌がっている。
僕がフェローを離さなくて、彼女も離れるのを嫌がっているなら、誰も離すことは出来ないだろう。
「ありがとう。僕も君と別れるのは嫌だな。だから何としても君を守るよ」
そう伝えると、彼女は少し申し訳なさそうな顔をした。
彼女が精霊の愛し子と分かったことで、僕に迷惑をかけているんじゃないかと心配しているんだろう。
そんなことは無い。
「僕のことは心配しないで。君を守れるのは夫である僕だけだから。光栄な事だよ。それに僕もフェローを離したくないから、頑張らないとね」
僕が頑張るのは僕のためだ。フェローを離したくない僕のため。
フェローが精霊の愛し子だったことは喜ばしいことだ。それに群がってくる虫の方が悪い。
そしてそれを追い払えるのは、夫である僕だけ。
僕だけが彼女を守れるのだから、それは喜ぶべきことだ。
「ありがとう」
彼女は僕の言葉にお礼を口にしてくれた。
彼女は僕の前でしか話さない。言葉を出さない。
それもまた、僕だけの特権だと思っている。
「フェローにこういうことをしていいのは僕だけだからね」
フェローにキスをした。
これも、僕だけの特権だ。
フェローの夫である、僕だけの。
他の誰も、こんなことを彼女にするのは許さない。
僕の言葉にフェローは、返事をするように僕の口にキスをした。
そしてにやりと笑うその顔は、まるで私もだよね?と言っているようだ。
「ふふ、そうだね。お互い様だ。僕には君だけだし、君にも僕だけだ」
そうだね。僕にこんなことをしていいのも、君だけだ。
君以外が僕にキスすることも、僕とこうして寝ることも、僕から愛を受けることもない。
それらは全て、僕の妻である君の特権だ。
フェローをぎゅっと抱きしめて、その小さな体を僕の腕の中に閉じ込めた。
立っていると身長差で彼女を抱きしめたりキスしたりしにくいが、ベッドの上ではそんなことは無い。
同じ目線の高さで目を合わせることができ、彼女を僕が全身で包み込むことが出来る。
それがとても幸せで、この幸せのために僕はこれからもっと頑張るんだ。
「愛してるよ、フェロー」
「愛してる、リアム」
愛してると言えば愛してると返してくれる。
そんな彼女がたまらなく愛おしい。
絶対に、離しはしない。




