一節 狼との遭遇
異世界の真実を知りたがるジョーとサクラ。強大な力を欲するトーマス。さらなる知識を探求するブレット。
様々な思惑から、世界樹を目指す一行。確かに、求める物はそこにあるだろう。
しかし、その重みに耐えられるほどの信念が、彼らにはあるのだろうか――
………………
ポイン・トビアの街は、大きい。
大した産業も無く、特産品の類も無いというのに、不相応に思えるほどに広い。
なぜそれ程までに発展しているのかと言うと、ここは世界樹に一番近い街だからである。
世界樹の真の価値を知る者は、賢者以外にいない。
しかし、世界樹というこの世にただ一つのものに惹かれる者たちは少なくなかったのだ。
つまりここは、観光需要によって栄えた街なのである。
「近くまで来ると、ほんと大きいわね」
「そうだね、ホワイト重工の本社ビルよりも大きいんじゃないかな」
「それはそうよ。なんていっても、『天』まで伸びてるのよ」
ジョーとサクラは、山肌に建つオープンテラスのカフェでコーヒーを飲みながら、遠くに見える世界樹を眺めていた。
「……にしても、ブレットがあれについて全く知らないとは思わなかったわ」
「まあ、あれだけ自信満々に言っておきながら、実は何も知らないなんて普通思わないよね」
彼らは情報収集という名目で、トーマスから予算という名の小遣いをせびり、今こうして休憩という体で逢引している。
というのも、街に到着した途端にブレットは唐突に告げたのだ。
「世界樹の使い方についてはよく知らないから、街で情報を集めてきてほしい」と――
ジョー達は呆れ返っていた。
「トーマスさんは「世界樹近辺の警備がどうなっているか知りたいから丁度良かった」――なんて言ってたけど……多分嘘だよ、アレ」
「そうね。信じられないほどバカばっかよ……」
普段ならば街で情報収集などせず、現地でピーターあたりに偵察させるのがトーマスのやり方であろうとジョーは考えていた。
……少なくとも、そのぐらいの杜撰さがあると決めつけていた。
「あはは……」
「でも、そのおかげでこうしてデートできてるんだから、あのバカ二人にも感謝しないといけないわね」
「え? これデートだったの?」
ジョーとしても遊んでいるつもりではあったが、『デート』などとは考えてなかった。
そして改めて考えると、状況を客観的に見て明らかにそうであると理解できた。
「そうよ。何だと思ってたのよ」
「さ、散歩かな……」
コーヒーを啜りながら、呆れたような顔のサクラから目を反らすジョー。
「アンタね……こっちは告白したのよ? いい加減答えなさいよ」
「それはごめん。でも、それは出来ない」
「どうしてよ」
戦いの中でサクラの本心を知ってしまったジョーは、その想いに応えあぐねていた。
なぜならば、サクラは『以前の』ジョーが好きだと言ったからだ。それは、殺人の業を背負い、夢を失った男のことではない。
サクラの目を見つめ、ジョーは真摯にあろうとしながら答える。
「僕は、君が好きだと言ってくれた人間じゃなくなったんだ。答えるわけにはいかないよ」
「そう。でも帝都から脱出するとき、人は殺さないようにしてたって聞いたわ。いつか戻れるわよ、返事はその時まで待ってあげる」
「ありがとう。元の世界に戻れたら、その時はきっと……」
「それでいいわ。でも必ず、あんたの口から聞かせてもらうわよ」
「うん、必ず答えるよ」
ジョーは決意をさらに強固に固めてゆく。
自らを慕うサクラのためにも、一刻も早いアークガイアという世界からの脱却を誓う。
それが、変わりゆく自身を元に戻す、ただ一つの方法だと信じて。
――絶対に適わぬ願いだとも知らずに。
「そろそろ行こうか」
「そうね、真面目に聞き込みでもして、さっさと地球に戻りましょ」
ジョーとサクラは、椅子から立ちあがる。
この店は食い逃げが発生しやすい条件であるのにも関わらず、何故か後払いであった。
それを思い出したのか、サクラがトーマスから受け取った布袋を取り出そうとするが、先にジョーが金貨を取り出して見せびらかしていた。
「実は僕、お金持ってるんだ」
「へえ、奢ってくれるのかしら?」
「デートらしいからね」
会計を済ませるべく、ジョーが店内の店主の元へと歩き出す。
いい格好を見せようとサクラの方を向いていたからか、中から出てきた人物に気付かず接触してしまう。
「いたっ……す、すみません」
反射的にぶつかってしまった相手に謝罪をするジョー。
しかし、長い金髪をオールバックに流したその騎士は、特に気にした様子もなく答えた。
「何、この程度気にすることは無い。……ん?」
そして何かに気が付いたかように、騎士は目を細めた。
――――――
トーマスは街の広場へとやって来た。ここでは彼の仲間たちが、商売をしている。
彼らは戦士だが、同時に人を欺くことに長けた役者であり、資金繰りのエキスパートたる商人だ。
商材は勿論、『献上品』であった高級な品々である。
ネミエ皇帝の喉元である城にいた時とは違い、トーマス率いる『商隊』の面々はどこからどう見ても商人であった。
馬車に張られた幌に皇家の紋章は無く、礼服や鎧などを着ている者はいない。護身用にしか見えない安物の剣を携えているのが、精々である。
「首尾はどうだ」
トーマスは、恐らく一番商売に乗り気であろうアデラに声をかける。
「ぼちぼちだよ」
「そうか、こっちも似たようなものだ」
「へえ、収穫があったのかい?」
「ああ、思っていたよりも厄介な状態かもな」
街で集めた情報をトーマスは披露する。
「ここ最近は、アーミーが世界樹近辺の警備をしているそうなんだ」
「ええ……大した価値もないのに?」
「そんな話じゃない。二百ものMWを前線に配備しておいて、まだ余裕があることに驚いている」
口ではそう言っているトーマスだが、特に驚いた様子は無い。
それもそのはず、彼は世界樹という前人未踏の地に思いを馳せており、如何に強力な『力』を手に入れられるかで、頭がいっぱいだからである。
どれだけのMWが来ようとも、すべて蹴散らせるほどの暴力を、手に入れることが出来ると信じているからだ。
だからこそ、目の前の脅威がほんの僅かに膨らもうとも、受け流せるほどの余裕すらある。
しかしアデラは、そんなトーマスの期待には共感できないようで、暗い顔をしていた。
「アタシはもう諦めたほうがいいと思うけどねえ」
「馬鹿を言うな」
「……馬鹿はアンタの方だよ。こうして商売でもしてれば生きていけるんだから、あんな国なんてどうなってもいいじゃないか……!」
トーマスもアデラの考えには同意であった。彼らには愛国心など欠片もなく、それ以外の事情で戦っているのだから。
トーマスは皇女という恩人への忠義からであり、アデラは生活のためにベンと共にトーマスの誘いに乗った。
だから、商売という生きるための知恵を身に着けたアデラとベンには、もう戦う理由などあまりなかった。
トーマスは、そのように考えている。
「――すまんな。恩義がある」
「だから馬鹿だって言ってるんだよ」
「もう少しだけ、俺の馬鹿に付き合ってくれると助かる」
「そのつもりだよ、馬鹿」
まだ見限らずに残ってくれている彼女に、トーマスは感謝してもしたりなかった。
「……ところで、賢者殿とジョー達はまだか?」
「まだ来てないよ。どっかでトラブルでも起こしてんのかねぇ?」
「まあ、大丈夫だろう。賢者殿もジョーも、事を穏便に済ませようとする人間だ。……きっとな」
普段の印象から、ジョーは基本的に大人しい人間であるとトーマスは思っていた。
しかし思い返してみれば、僅かながらトラブルを引き起こしていることもあり……トーマスは少し不安になった。
「サクラは?」
「知らん、ジョーが何とかするだろ。それに手は打ってある」
勿論トーマスとて、敵の勢力圏内で戦闘能力のない人間を、何の考えもなく無防備に歩かせるわけはなかった。
「誰か戻ってきたら教えてくれ。情報のすり合わせをする」
それだけ言い残して、トーマスは馬車へと引っ込んでいった。
――――――
軽装の鎧を着た騎士にぶつかってしまったジョーは、すぐさま謝りその場を去ろうとする。
ジョーは何か感づかれる前に逃げたかったのだ。一息ついてはいても、敵の領域内にいることは決して忘れていない。
――しかし、その思いは叶わなかった。
「……ん? サクラ! そこにいるのはサクラかっ!」
「え……? ガス!?」
騎士は少し離れたところで待っていたサクラに気が付いてしまった。
その騎士――サクラ曰くガスという名前の男は、彼女の元へと歩み寄り、肩を掴む。
「なぜこのようなところに! ……まさか!」
ガスの紅く鋭い瞳がジョーを睨む。
その視線に、ジョーは猛獣に捉えられたかのような恐怖――本能的な危機を知らせる信号が、発信される。
「えっと……ガス、紹介するわね。この情けないのはジ――」
「ト、トーマスッ! トーマスです! 僕の名前はトーマスです!」
サクラが自身を紹介しそうになったため、慌てて他人の名前を借りるジョー。
彼の目の前の男がガス・アルバーンであると仮定すると、既に名前を名乗ってしまっている。
幸い顔は割れていないので、偽名を使い誤魔化そうとしていた。
「え? ……あ、そうそう、この人はトーマス。アタシを助けてここまで連れてきてくれたの。アハハ……」
サクラはジョーの意を汲んだようで、その場しのぎのバックストーリーまで考えてくれたようである。
「ほう、つまり貴様があの下郎どもの目をかいくぐり、サクラを助け出してくれたのだな?」
「え、ええ、そうなんです」
うまく切り抜けられそうだと、胸をなでおろすジョー。
「そうか、ならば感謝せねばなるまいな。このガス・アルバーンなりの礼儀をもって、その意を示させてもらおう」
ジョーへと歩み寄るガスは、腰に下げた剣に手を伸ばす。
「――死ね、ブレイバー!」




