第六話、一日の終わり。
第六話
森口と別れ、母上との約束があるので三谷家へ向かう。到着した頃には日は暮れかけていた。秋の日は短い。
「おかえりなさいませ、鎮様」
耕三の一瞬見せた驚きに満ちた表情を見なかったことにして、俺は平静を保った。
「母上はどうしている」
「とても楽しみにお待ちしておられますよ」
母上の部屋に着き、一目合った瞬間母上は顔をほころばせる。
「あらぁ~! 随分可愛らしくなったわねえ! やっぱり女の子は着飾り立てなきゃねえ!」
歓声を上げながら、俺の周囲を歩き回り様々な角度から俺を観察して回る。
「いいじゃない、いいじゃない。流石ハンナちゃん! いい服のセンスね!」
「ありがとうございます」
「おい、選んだのはお前じゃないだろう」
「それじゃあ鎮が自分で選んだの? あなたに女の子の服を選ぶセンスがあったとは思わなかったわ」
母上に見えないよう舌を出して見せるハンナを尻目に、俺は森口について話す。
「ああ、森口君。後でお礼を言わなくちゃね」
「母上。言わなくていいです」
「それより、買ってきた服まだあるんでしょう。着て見せて? それとね、私も何着か用意してみたの。それも私の前で着てちょうだいね」
何だか幼少の頃に戻ったようだ。あの頃は母上に言われるがままに色んな服を着せられていた。姉上もそうだったし、弟の駆<カケル>の写真も大量に残っていた覚えがある。もしや、今の俺も撮るつもりなのかと思いいたると案の定、母上の手にはカメラがあった。
「まさか、今の俺を写真に残すつもりですか」
「いいじゃない、どうせ旭子ちゃんが元に戻してくれるんでしょう? ちょっとの間だと思って、ね?」
「冗談じゃない! こんな見た目の記録が残されるなど!」
「ええ……でも、もう私も歳だしこれ以上子供は産めないし。久しぶりに我が子の写真を撮れると思ったのに……」
今やほぼ同じ背丈となった母上が涙目になりながら、チラチラとこちらを窺ってくる。うっとおしいが、これを無下にできるほど俺は身内に情のない人間ではなかった。俺はその写真を母上以外に見ない、母上だけの秘密とすることに念を押して、承認したのだった。
母上が選んだ和服を手始めとして、ワンピースに似たような服、よくわからない服と形状が理解に苦しむ服と無駄に露出の多い服と時代劇に出るような古めかしい服などを着て見せていたが、時間が来たようだ。三十着全て着て見せる前に終わったのには安堵を覚える。
「母上、もう時間です。帰ります」
「そう……もうそんな時間なのね。ご飯は食べて行かないの?」
「ロッジに腹を空かせた龍を残しています。暴れられたら大事になります」
「ふふふ、そうね。腹ペコのソラちゃんが待ってるなら仕方ないわ」
母上から今の俺に体格に合った道着を貰えたのは、ありがたい。これで当面戦闘時に動きが制約されるようなことはなくなった。何着か色合いや装飾が気になるが、そこには目をつむろう。
「鎮」
別れ際、車に乗り込もうとしていた俺を母上が呼び止める。
「何か困ったらすぐに私にいいなさい。分かりましたね?」
「はい、ありがとうございます母上」
すっかり暗くなってしまった。耕三は朝食、昼食を用意してくれていたようだがきっと食べつくされていることだろう。ハンナの運転する車の後部座席で、はかま姿の俺はこれからについて考える。
明日は晴と俺の担当区を見回りに向かう予定だったが、どう説明するか。晴自身に罪はないが、もし真実を話せば何か気負ってしまうかもしれない。どうしてこうなってしまったかは嘘を吐くほかない。近頃は俺の担当区及び周辺地域で魔之物の活動が活発化している。晴は並の退魔師より既に優れた力を持っているが、それでも一人で見回りに行かせるのは不安が残る。
魔之物には出現しやすい地域としにくい地域があるが、出現しやすい地域には固定して出現しやすい地域と移動する出現多発地帯の二種類がある。この移動する出現多発地帯のことを魔之物のホットスポットとして国は警戒している。
俺の担当区は移動するホットスポットの範囲内に入ってしまい、さらにはそれが固定化してしまったと北条らは推測している。こういった地域は並の退魔師では対処できない。たまたま三谷の領地だった地域のため、国はたいした対策を施していないが……移動するホットスポットの固定化は稀な現象だ。特に人口がそうない地域においては初めての事例のはずだ。
約十五年前から魔之物は徐々に増大し、今ではここいらの地域は森口のような日本でも上位に位置する退魔師でも命を落としかねない魔之物が少し目を離したすきにいつの間にか生まれているのだ。
あるいは人類死者同盟のように、国は既に尻尾を掴んでいるのかもしれない。一介の地方退魔師一家の三谷家には情報が出ないだけならばいいのだが。
「鎮。食材を買うので荷物持ちに付いてきてください」
「ああ、分かった」
考え込んでいるうちに近場のスーパーに到着していた。俺がカートを操り、ハンナが手早く食材を放り込んでいく。俺たちに視線が集まっているが、そう珍しいことではない。ハンナは日本人でない上に綺麗な顔立ちをしているから、いつものことだ。それに今日は俺の格好も今時珍しい袴姿だ。なおさら注目されるのも無理はない。
レジで会計をしていると顔なじみで中年の店員がハンナに話しかけてくる。
「今日は凄い美人のお連れさんがいるわね」
「ふふふ。鎮っていうんです」
「ええ~、あの鎮さんと同じ名前なの~?」
「そうなんです。すっごい偶然でしょう? これからも時々一緒に来るからよろしくお願いしますね」
「あらぁ、贔屓にしてちょうだいねえ」
「よろしく頼む」
「うふふ、口調まで鎮さんとそっくり!」
会計を終えて荷物を積み込むと後部座席がつぶれてしまい、俺は助手席に座る。
「別人扱いしちゃいましたけど、いいですよね?」
「ああ、まさか男が女になるなんて信じる奴はいるまい」
ようやくロッジに戻るが、一日目を離した隙に研究室が全くの別物に改装されていた。一室が無理やり引っこ抜かれた状態だった研究室が外壁や出入り口などを設けられ、立派な平屋建ての建造物に変貌している。
「いつの間に……誰がこんなことを?」
ハンドルを握ったまま唖然としているハンナに俺は答える。
「こんな真似ができるのは北条しかいない」
俺はロッジに入る。やはり、リビングで高級スーツに身を包み優雅にコーヒーカップを傾けている北条の姿があった。
「よう、遅かったな」
「あれをやったのはお前だろう」
「まあね? 俺だってお前がいつまでもその恰好じゃ困るんだよ。旭子ちゃんとも話したよ。いい子じゃないか」
「旭子か。この体についての見解は聞いたか? 旭子の考えは正しいと思うか?」
北条はやれやれと気障ったらしく首を振る。
「戦闘バカの三谷には分からないだろうけど、研究分野が違うと話なんて噛みあうもんじゃないよ。旭子ちゃんの専門分野は俺にはちんぷんかんぷん。でも、ある程度は察せるから俺の見解を言おうか? お前の体を元に戻せたら、ノーベル賞ものだね」
「そこまで難しいのか」
「そりゃ、人を怪物化する薬で男を恒久的に女にした効果だけでも頭おかしいのに、それをまた元に戻すなんて奇跡もんだよ。旭子ちゃんは見込みありげに話していた……あの口振りじゃ本当に出来そうなのがやばいね。俺の知識でなく、旭子ちゃんの人柄で判断するなら間違いなくお前は元に戻れるだろうよ」
北条の人を見る目は腐っていない。その北条が俺と同じく旭子に見込み有りだというなら元に戻ることを俺は信じられる。
「あ、それとこれ」
北条が投げてよこした封筒を開くと、今の俺の免許証や保険証などが出てくる。
「これは?」
「お前に何かあると治安が乱れるからな。俺が脅しつけて用意してやった。感謝しろよ?」
「助かる」
「ふっ、おいおいそれだけかよ。相変わらず愛想がないなあ。せっかく美少女になったんだから、可愛く笑って見せてくれよ」
「冗談がきついな」
「ま、いいや。俺の本題はこれから。人類死者同盟を明後日に叩き潰す。三谷の力、貸してくれるよな?」
朗らかな笑顔を一転。鋭い目で俺を見る北条は有無を言わせないものがあった。だが、もとより俺は協力する気だ。頷いて見せる。
「助かるよ、全国五か所にある拠点を一回の攻勢で一挙に叩き潰そうとしているんだけどあと一人手練れが欲しかったところなんだよね」
「残りは?」
「知っているだろう、いつもの面子さ。久瀬、本田、朱堂だ」
誰もが北条に勝るとも劣らない実力の持ち主か。日本の退魔師界で最強名高い朱堂までいるとは、どうも本気で人類死者同盟を潰す気らしい。
「んじゃ、俺は超忙しい身なんでお暇させてもらうよ。ハンナさん、ご機嫌麗しゅう」
気障ったらしく手を軽く振って見せ、北条は目の前から消失した。