二匹の獣
森喰みと対峙するコノメ。両前足を怪我し、まともに立てなくなった森喰みを前にして、初めてコノメは弓を構えた。
「ブモォオオオオオオオオオ!!!!!!!」
その姿を見て、森喰みは吼えた。咆哮は圧となって響き、木々がビリビリと震える。明確な敵意の色を持ち、森喰みはコノメに真っ直ぐに視線を向けた。
「来るなら来てみろ! 脚を失ったお前におれが追えるなら──?」
その時、咆哮に応じるようにして地面から植物が生えた。そして、それは森喰みの上半身を支えるようにして持ち上げると、そのまま森喰みは木々を砕きながら前進を始めたのだった。
「ブモォオオオオオオオオオ!!!!!!!」
「わぁああああ! 嘘だろ!!?」
森喰みが吼え、木々を押し潰しながら強引にコノメに迫る。コノメは構えた弓から一矢を放つと弓を下ろし、後ろを振り向いて駆け出した。矢は森喰みの毛に軽く弾かれ地面に落ち、爆発的に伸長したのち弾け飛ぶ。背中にビシビシと伝わる害意に恐怖を覚えながら、縺れそうになる脚に必死で活を入れて走る。
逃げ惑う最中、森喰みによって滅茶苦茶に成長させられた木が爆ぜ、破片が飛び散る。それがコノメの頬をかすめ、目の前の木にぶつかって弾け飛んだ。木には弾丸で抉られたような傷が残り、それを見てコノメは冷や汗を垂らす。
「あの木片がぶつかるだけでおれは死ぬ……、くそおっ!」
姿勢を低くして加速するコノメ。後ろでバキバキと木々が砕ける音が響き、その度に彼は死を意識する。
「どうしよう、どうすれば!!」
コノメは叫びながらひた走る。それはほんの数分の出来事だったが、彼には気の遠くなるような長い時間に感じられた。心臓は爆ぜそうな程に高鳴り、肺は焼ききれそうなほどに痛んだ。しかし、それでもコノメは走り続けた。
そんな逃走劇の最中、ふいに森喰みがバランスを崩し、地面に崩れ落ちる。巨体が崩れ落ちる轟音と震動が響き、コノメは思わず振り返った。
「──っ!」
それは、彼にとっては衝撃的な光景だった。爆発的な成長により森喰みを支えていた筈の植物が、何故か幹を細らせ根本から断ち折れている。本来であればそのまま激しく伸長を続け、森喰み自身が折るか、それにすら耐えて弾けるまで成長を進めたはずだった。
「これは、まさか! ──師匠!!」
コノメは再び弓を構えた。そして、崩れ落ちた森喰みに向かって矢を放つ。森喰みは口をがばりと開き、一息に矢を飲み込んだ。しかしコノメは次の矢をつがえ、再び森喰みに狙いを定める。
「くそっ、くそォ! 師匠の魔法が伸長途中に折れるなんてあり得ない! 魔力が弱まってるんだ!」
コノメは怯えを振り切って果敢に次の矢を放つ。その矢は森喰みの額に当たり、砕けた。コノメの腕力では森喰みの皮膚を貫く事が出来ない。その光景に、コノメは「クッ!」と喉を鳴らした。
森喰みは、捕食した獲物の魔力を用いて魔法を起こす。木々を伸長させるネルガンシュシュブの魔法が弱まったという事は、ネルガンシュシュブの消化が激しく進んでいる事を示していた。魔力を失い敵が弱体化する前にとどめを刺さなければならない。この世で最も弱いコノメにとって、それはあまりにも過酷な戦いだった。
「!!」
次の矢を放とうと矢をつがえた瞬間、コノメはイヤな予感を覚えて固まった。すると、地面がプクーと膨らみ大きな白い塊が露出する。それを目にするや否や、コノメはすぐさま矢を捨てて木の後ろに飛び込んだ。次の瞬間、大きな破裂音と共に白い塊は爆ぜ、そこにめり込んでいた小石や枝がショットガンのように周囲を吹き飛ばした。
「うっ……ぐぁあ!!」
跳ねた小石は、木の影に飛び込んだ瞬間のコノメの左足にぶつかり風穴を開ける。コノメは木のナタで服の一部を切り裂き左足に巻き、樹の影から森喰みの姿を探る。
「……さっきのはイモか! イモを急成長させて、めり込んだ小石を弾いてきたのか!」
森喰みの位置を確認しながら状況を探る。森喰みは相変わらず倒れたまま、頭だけを動かしてコノメを睨みつけている。コノメは位置が知られていることを悟ると右足に力を込めて立ち上がり、森喰みを睨みつけながらヒョコヒョコと後退を始めた。
お互い足を失い、距離を取るのも難しい状況。しかしそれでも詰められれば確実に負けるコノメは、少しでも距離をおくべく必死で足に力を込めた。
「──!」
その時、コノメは気付いた。芋が爆ぜて吹き飛んだ地面に竹状の植物の根が露出している事に。
コノメは矢をつがえ放つ。矢は真っ直ぐに飛び、狙い通りに鼻の先に浅く突き刺さり、跳ねた。僅かに出血した鼻先に痛みを覚え、怒りを顕にする森喰み。
「痛いだろ? 怒れよ!」
更に矢をつがえ、今度は傷口に向かって放つ。その一撃は毛に弾かれたものの、傷口を引きつらせて森喰みは痛みに呻いた。効かないと分かっていながら次々と矢を放つコノメ。彼には一つの狙いがあった。
森喰みは怒りに震え、後ろ足に力を込めて大きく跳ねた。巨体が躍動し、ぶわりと舞う。
コノメは今度は逃げなかった。冷静に矢をつがえ、森喰みに向けて構える。それを見て、森喰みは恐らく痛みを嫌ったのだろう。コノメに向かって激しく吼えた。
「ブモォオオオオオオオオオ!!!!!!」
そして、咆哮に応じて地面から竹が生え、コノメの視界の一切を覆う。もうまもなく、森喰みは竹のしなりで上半身を支え、そしてそのまま断ち折って突っ込んでくるだろう。
──しかし、これこそがコノメの狙いだった。
コノメは冷静に弓を構える。狙いはほんの一瞬。竹のバリケードの背後に姿を見せる、その瞬間だった。
「──知っているか? 竹っていうのは節から新芽を生やすんだ。もしもこっちの竹も同じ習性なら──、森喰み。そこに竹は生えないんだよ」
コノメは右手を放し、矢を放った。落ち着いた所作から放たれた矢は綺麗な一本の線を描き、そしてそれは予め決められていたかのように、竹の間の本の僅かな隙間を塗って、森喰みの右目に突き刺さったのだった。
「ブッ、ブブフゥッッ!! ヴモッ、モッ! ブモォオオオオオオオオオ!!!!!!」
森喰みから断末魔とも言える悲鳴が走った。周囲の植物はグニャリと形を変え、滅茶苦茶に伸長して辺りを乱す。それはまさしく、森喰みにとってあり得ない事が起こった、そんな驚きと恐怖が生み出した光景だった。
ひとしきり暴れたあと、森喰みは立ち上がった。傷んだ両足から血が吹き出るのも構わず、四本の足で立ち上がると、周囲を激しく威嚇する。周囲の植物は滅茶苦茶な伸長を果たし、まるで地獄のような様相を佇んでいる。それはまるで終末の光景だった。
再び向かい合うコノメと森喰み。その時、一本の樹が倒れて大きな音を立てる。その瞬間、森喰みは驚くようなスピードで樹に飛びついて齧り付き、引き千切った。樹は一瞬で粉々になり、そしてチリとなって消えていった。
その光景に、コノメは再び戦慄する。
(──こいつ、音と魔力で! 目は見えなくなってもまだ見えてる!)
コノメは動揺しながら、次の手段を探る。自分の手札は残るは二本のロープに、トラバサミと矢と木のナタがそれぞれ一つずつ。致命傷を与えるにはどうすればいい──? コノメは必死に思考を回した。
その時、ふと足元に鋭く尖った竹が目についた。先程、森喰みが伸長させた竹が爆ぜ、鋭く裂けて尖っている。
コノメは竹を拾うと、リュックから二本のロープと最後のトラバサミを取り出した。そして、一本のロープでトラバサミを結び、トラバサミにもう一本のロープを通すと、遠投の要領で高所の樹に向かってトラバサミを投げつけ、引っ掛ける。パチンと言う乾いた音を立てて、トラバサミは樹に張り付いた。
その音を聞き、森喰みは少しずつ距離を詰めてくる。コノメは残ったロープの一方を自分の体と竹片に結び、反対側を木片を挟んで片結びにして団子を作る。そしてそれをビュンビュンと回しながら、森喰みが迫るのを待った。
そして、森喰みが飛びかかる事のできるギリギリの距離。そのタイミングで、コノメはロープを森喰みに向かって投げ飛ばした。
「──目が見えなくても、魔力はわかるんだろ?」
森喰みは不意に飛んできたロープとその先に結ばれた木片の魔力を嗅ぎ分け、噛みついた。そして樹を引き千切ったように、思いっ切りロープを引いた。
──その瞬間、ロープは樹に張り付いたトラバサミを滑り、まるで滑車のようにコノメの身体を上空へと巻き上げたのだった。
「──グッ! あがっ!! ぐぁあ!!」
強い力で上空へ巻き上げられたコノメは樹の枝に次々と衝突し悲鳴を上げる。しかし、その最中にナタを取り出しロープを断ち切ると、コノメの身体はふわりと空中に投げ出された。
朦朧とした意識の中、コノメは下を向く。眼下には森喰みが映る。今、コノメは森喰みの真上を飛んでいる。
コノメは、ロープに結んだ竹片を取り出し、森喰みに向けて構えた。
「──これ、しか……無かった。おれの力で勝てないなら、違う力を借りるしかなかった……! この竹なら、お前の身体に刺さるんだろ? だってそれは、既に師匠が見せてくれたから──」
コノメは全体重を傾けて、垂直に落下した。風を切る音がビュンビュンと響く。
──しかし、その瞬間、森喰みは吼えた。「ブモォオオオオオオオオオ!!!!」と言う咆哮と共に、森喰みの背中から生えた植物が鋭く伸びて、コノメに向かって迫る。
コノメは死を覚悟した。負けたと思った。仮に植物がおれを突き殺せなかったとしても、もう彼には対抗する手段がなかった。
覚悟を決め、目を瞑ったその時、──奇跡が起きた。
彼に向かって伸びてきていた植物が軌道を変え、不意に四方に散った。頬を撫でる風に違和感を覚え目を開けたコノメは、その光景を見て、思わず叫んだ。
「──師匠っ!!!」
それは、奇跡では無かった。我が弟子を思い、胃袋の中で死を待っていたネルガンシュシュブの、最後の手助け。
そしてコノメは確かにそれを耳にした。
──がんばれ。
そんな、ネルガンシュシュブの最後の声を。
「あああぁぁあああああああ!!!!!!!」
コノメは叫んだ。全身に力が漲るのを感じ、両手にハッキリと力を込めて、全力で竹片を突き刺した。手に肉を裂く感触が伝わり、血が吹き出す。そして──。
「ブァッ! ァアッ!! ブゥモオオゥアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
──森の中に、断末魔の悲鳴が響いたのだった。
〜コノメメモ〜
【森喰み】
通称:森喰み
種名:ベイオーグオオグンキョウ
科目:キョウ科
本来は、キョウ科グンキョウ属に属するグンキョウの内、ベイオーグ地方[1]に生息する大型のグンキョウ。通常群れで生息し、土を掘って木の根を分け合い食べる慎ましい生き物だが、"はぐれ"と呼ばれる群れから追い出された個体が貪食によって稀に超大型化する。巨体を維持する為に膨大な魔力を必要とし、草原から森へと居を移しては森から魔力を吸い尽くして更地に変える。鼻には3つの鼻孔があり、中央に位置する鼻孔は魔力核に直接繋がっており、そこから魔力を吸い上げる。同時に左右の鼻孔とも繋がっており、そこで吸い上げた臭い成分中の魔力の残り香を感知する。通常、魔力を豊富に含む木の根を探す為の器官だが、森喰みに関しては魔力を豊富に含む動物の感知にも利用している。
キョウ属は家畜にも用いられる動物の為、味は非常に美味。しかし、森喰みに関しては少し大味気味。肉には魔力を豊富に含むので、煮込みよりも焼きか刺身がベター[2]。
[1]西方に広がる草原地帯を含む国家及び地名。
[2]茹でると水分中に魔力が流出する為。ただし、魔力を補給できない人には関係ない。




