第5話 恋焦がれるほどの想い
初めてラブレターを貰ったのは中学二年生の時だった。
放課後、靴箱を開けると一通の手紙が入っていた。真っ白な封筒の中には花柄のかわいらしい便箋が入っており、男子生徒の葉子への思いが綴ってあった。
それは一年生の時のクラスメイト。サッカー部だったその子は、夏休みの間の練習で焼けた真っ黒な肌に、真っ白な歯を浮かべてニカっと笑うのが印象的な少年であった。
手紙の内容を読むうちに、“友達からでいいから”という一文を見て葉子は噴き出してしまった。それはつまり、友達から始めてゆくゆくはお付き合いしましょうってことではないのだろうか? だったら素直に付き合ってくださいと書けばいいのにと思ったら、なんだか下らなくなってしまった。
まだ男子と付き合うとかそういうのを意識したこともなかった葉子は、結局なんの返事もしないまま卒業してしまうのであった。
初めて男性と付き合ったのは高校三年生の時、文化祭の時に盛り上がった勢いで告白してきた男子に、その時はなんとなくOKを出したのだが、結局それも長くは続かなかった。
叔父に負担はかけたくないと葉子は、予備校などには通わず学校の図書館と自宅で受験勉強をした。学校を終えてから毎日5時間、彼氏と遊ぶ暇などなかった。彼もそんな葉子と付き合っているのかどうかもよくわからず、そのまま自然消滅という流れであった。
『そうやって何に対しても醒めた態度で、決して本心で語ろうとしない。他人と積極的に関わるのを避けて、面倒事から逃げようとする』
樹の言葉が頭の中で何度も再生される。そしてその通りだと何度も自答する。
そんなことは言われなくてもわかっていた。恋愛に限らずなんでもそうであった。葉子には人並みの欲というものがなかったのかもしれない。特に占有欲や執着心、なにかを手に入れたいという気持ちが薄いような。勿論流行の洋服や雑貨、同い年の子が夢中になるような物などを欲しいと思う事はある。でも絶対に必要な物でなければ、別になくても困るものではないと、すぐに熱が冷めてしまう癖があった。
それはきっと手に入れられなかった時や失ってしまった時の、虚無感や喪失感を感じたくないと無意識に避けていたのかもしれない。
ましてや恋焦がれるほどの燃え上がる思いを抱くことなど決してなかったのだ。
東京駅に着く頃には新幹線の車内にはほとんど乗客もいなかった。ホームへ降り立つと葉子は辺りを見回す。どこの出口へ向かうのが一番良いのか考えるのだがまるでわからなかった。
仕方がないのでスマホの電源を入れ直すやいなや着信があった。いや、西条からのメールだった。内容を確認すると宿のURLが貼ってあった。夜中に徒歩でも行けるようにと、日本橋のすぐ近くのホテルを取ってくれていた。
葉子は一先ずそこへチェックインしてから目的の場所へ向かうことにする。
日本橋までのルートをスマホで検索すると、どうやら大手町と言う所まで徒歩で移動して、そこから東西線と言う地下鉄で一駅というルートが一番安いので、葉子は案内看板を見ながら大手町を目指すことにした。
そう言えばこの東京駅も、柴田絹江が生まれた時代と同じくらいの頃に完成した駅であると思いだす。空襲で焼失したにも関わらず100年近くも日本の鉄道の中心地点としてあり続けたこの駅は、数年前に復元工事を終えて創建当初の形態を保っている。
柴田絹江が明治・大正の時代から現代へやってきたのが本当であれば、この東京駅を見た時にどのように思ったのだろうか? 当時のままの姿を残すこの駅舎を見て懐かしさを感じたのか、それとも元の時代に帰りたいと願ったのだろうか……。
大手町までおよそ徒歩8分と書いてあったが30分もかかってしまった。普通に歩いても駅一駅分であるから遠い、ましてや地下鉄東西線は異常に深い場所にあるので、勝手のわからない葉子は迷いに迷ったあげくようやく辿り着いたのだ。
「なんなのよここは、地下ダンジョンかなんかなの?」
そんなことをぶつくさと呟きながら改札を通りホームへ行くとすぐに電車は来た。方向は間違っていないかと恐る恐るその電車に乗ろうとして葉子は唖然とする。
この電車にはどうやって乗ればいいのだ? 丁度帰宅ラッシュの時間帯、東西線の乗車率の半端なさは知っている人ならわかるだろう。乗客の圧力でドアのガラス窓が割れたりするとんでもない路線なのだが、そんなことを葉子が知る由もない。なんとか隙間に収まると葉子は溜息を吐き、日本橋への一駅の間に何度も、新幹線の中で食べたお弁当を吐き出してしまうのではないかと思うのであった。
わずか三分ほどの乗車時間で地獄を味わった葉子は地上に出ると、排気ガス混じりの空気でさえも美味しく感じた。
現在の場所をスマホの地図アプリで確認すると葉子は気がつく。日本橋の橋梁はすぐそこではないか。足は自然とそちらへ向かっており、暫くするとすぐにわかった。
正直なんの感慨もなかった。ここが日本の全ての道に通ずる始点だと言われても、とてもそんな歴史を感じる情緒や風情のある場所ではなかった。
橋梁の直上には高速道路が通り、空は狭く圧迫感がある。道行く車のエンジン音とアスファルトを駆るタイヤの音が煩かった。
こんな場所に、本当に井上庄之助なる人物は現れるのだろうか? 葉子は不安になるのだが、その時間までまだあと4時間近くもある。場所はわかったことだし、一度ホテルに行って少し休んでから、指定の時間の三十分程前にまた来ることにした。
チェックインを済まし部屋に入って一息つくと、葉子は西条に連絡を取る。発信ボタンを押してコール三回ですぐに西条は電話に出た。まるで恋人からの電話を待ち焦がれていたかのよう、葉子は軽く引くのであった。
『もしもし、時田さん? 無事に東京には着きましたか?』
「ええ、少し東京駅で迷いましたけど、今はホテルの部屋に居ます」
『やや、そうでしたかそうでしたか。いやぁ、まさか本当に引き受けてくれるなんて思っていなかったので、なにかあったらと心配で心配で』
なにを言っているのか、明らかに引き受けるようにと誘導していたのに、まったくもって調子のいい男であると葉子は思う。まあそんなことを今更言ってもしょうがないので、ホテルの手配等のお礼を言うと、この後の大まかな予定などを報告して電話を切った。
シングルベッドに身体を放り投げると、仰向けに大の字になって天井をじっと見つめ、葉子は“柴田絹江”の人物像に思いを馳せた。
明治38年。絹江は愛知県名古屋市の材木商の長女として生を受ける。その翌年には日露戦争凱旋記念博覧会が愛知県博物館で開催されており、日本は戦争景気に沸いている時代であった。裕福な家庭のお嬢様として何不自由なく育った絹江は、東京の女学校を卒業すると大正12年、女学生の時に陸軍士官学校との交流会で知り合った男性と、十八の時に婚約した。お見合いであった。
しかし、婚約からわずか一か月で婚約者が朝鮮でのお役目を果たす為、婚礼はそれを終えてからの一年後となるのだが、婚約者は不慮の事故により帰らぬ人となった。
果たして絹江はその時、なにを思い、どう感じたのだろうか? 悲しかったのだろうか? 辛かったのだろうか? 葉子にはとてもその感情を想像することはできなかった。
葉子はこれまで恋愛という恋愛をしてきたことはなかった。高三の時に付き合った男子生徒とは恋愛なんて呼べるようなものじゃなかったし。樹との付き合いも、ただその場の雰囲気に流されて、漠然と一緒に居ただけ。いや、付き合い始めてから一緒に居た時間なんてどれくらいあっただろうか? ただお互いが、お互いの所有物であることを確認しあっただけで、それ以上のことはなにもなかったと言っても差し支えないレベルのお付き合いだ。勿論、もう子供ではないので何度か身体を重ね合ったこともある。ただそれは愛を確かめ合う為のものではなく、ただ快楽を求めあうだけのものであったと、自分でも自覚している。
そんなわけで彼が趣味に没頭するのもわかる気がした。彼は自分と居る時間よりも、趣味であるバイクに裂く時間の方が、よっぽど自分自身の欲求を満たせたのであろう。それでも彼はきっとまだ自分のことが好きなのだろうと、葉子はそう思った。
あれで最後にするつもりだったのかもしれない。別に好きな子ができたと言って別れ話を切り出し、葉子の反応を見て結論をだそうと、そんなつもりであんなことをしたのだろう。
結果、葉子は樹の期待する様な答えを出せなかった。普通の女性であれば、怒るなり、悲しむなり、呆れるなり、なにかしらの反応を感情を見せたに違いない。しかし葉子は、そんな時でさえもただ漠然と、まるで他人事の様にそれを流し、“友達ってことでいよう”と、返事をしたのだ。
中学生の時に受け取った“友達から始めよう”と書いてあったラブレターを思い出して葉子は酷くおかしくなった。
そんな葉子だから、絹江の気持ちを理解することはできなかった。大恋愛の末というわけでもなく、女学生時代に一度会ったことのある男性とお見合いでの婚約、その男性とも結婚が決まってからたった一ヶ月で離ればなれとなり、そしてそのまま永遠のお別れとなったのだ。
本当に二人の間には愛情など存在したのだろうか? それは単なる情であってそこには愛などなかったのではないかと思った。そんな絹江が婚約者の死を知って悲しみに暮れて一週間も姿をくらますなどと、本当にそんなことがあり得るのか? 時代が違うと言えばそうなのかもしれない。もう一〇〇年も前の事だ。当時の男女とは考え方が違うのかもしれない。
しかし約二年間、未来の日本で過ごしたと言う絹江は、そこで縁のあった男性宛に手紙を残した。それはきっと絹江にとって、本当に大切な、いやきっと本当に愛する人に違いない人物に宛てたものだと葉子はそう考えた。もう二度と会うことは出来ないと、元の時代に戻り戦争の時代を生き抜いたとしても、生きて再び会うことは決してないだろうと知りながら、絹江はその思い人に手紙を残したのだ。
それほどまでに人は誰かの事を想い、恋焦がれることができるのだろうかと、葉子は少し絹江のことを羨ましく思うのと同時に、自分にもそんなロマンチストな一面があったのだなと少し照れ臭くなるのであった。