第32話 プロローグ
神代の天地創造絵巻が壁一面に荘厳な彫刻として刻まれた地下室。
わずかばかりの灯りに照らされたその薄暗い部屋の床には、魔獣の血液で描かれた巨大な魔法陣が膨大な魔力をたたえて不気味に輝き始めた。
この部屋に詰めていた近衛兵たちがその外側に整然と隊列を組むと、魔法陣の中心に一人の男が忽然と姿を現した。
その男、大きな帽子に丈の長いローブをまとった、いかにも魔導師然とした出で立ちであったが、全身は血にまみれ、男の出現と同時に血生臭い匂いが地下室に漂い始めた。
だが近衛兵たちはそれを気にするそぶりも見せず、指揮官の近衛隊長がその男を恭しく出迎えた。
「お疲れさまでしたヴェイン伯爵。直接こちらに転移されたということは、今回もやはり・・・」
ヴェイン伯爵と呼ばれたその男は、軽くうなずくと近衛隊長に命じた。
「オーク騎士団は壊滅した。すぐに皇帝陛下に報告したいことがあるゆえ、謁見の許可を至急取ってくれ」
「はっ!」
近衛兵の一人が急ぎ部屋を駆け出していくと、近衛隊長がヴェイン伯爵の血にまみれたローブを受け取り、別の近衛兵に侍女を呼ぶように告げた。
「陛下との謁見の前に、お着替えを済まされた方がよろしいかと。客間にご案内いたします」
「そうだな。さすがにオークどもの血にまみれたこの姿では、陛下に対して不敬であるからな」
そう言いながらヴェイン伯爵は近衛隊長とともに、薄暗い地下室から出て行った。
◇
重厚にして壮大。芸術的造形も兼ね備えたこの城はかつて人類有史以来最古の王国として世界に君臨したティアローズ王国の王城であった。
だが今その玉座に座るのは、30代半ばの野心家、神聖グランディア帝国初代皇帝アレクシスだった。
アレクシスはティアローズ王国を征服するとここを帝都と定め、グランディア王国の国号も帝国に変えて自らを皇帝と称したのだ。
そんなアレクシスを前に膝を折るのは、つい先ほどこの城に転移して来たヴェイン伯爵だった。
「アレクシス皇帝陛下に置かれましては、その崇高なるお言葉が世界に光を満たし、帝国臣民に安らぎと希望を・・・」
「無駄な口上など不要。戦果のみを端的に報告せよ」
「はっ! では・・・今回の作戦では、オーク騎士団500騎を率いて魔界へ侵攻する計画でしたが、その半数を転移させた段階で、敵の攻撃の前に騎士団は全滅いたしました。陛下の兵を無駄に損ねる結果となり誠に申し訳ございません」
「ふむ・・・今回こそはと思っていたが、魔族どもはやはり手ごわいか」
「はい・・・ですが、戦果こそ上げられませんでしたが今回の遠征は非常に多くの発見がありました。魔族どもは我々と同じように街を作って住んでいるようで文明らしきものも確認できました」
「街だとっ! ・・・魔界は魑魅魍魎の世界だと思っていたが、魔族どもは街を作って文明まで持っていると言うのか」
「それを見た時さすがに我が目を疑いましたが、間違いございません。そして魔族にも平民に相当する者がいて、その大多数は戦闘力を持たずオークどもの一撃で息絶えるような脆弱さでした」
「ほう・・・それで」
「しかも不思議なことに、やつら魔族の兵士たちは、自らの命を捨て去ってまで、何の役にも立たない平民どもをまるで王侯貴族のように守るのです」
「ふん・・・平民など放っておいても勝手に増えていく雑草。それを王侯貴族のように扱うとはやはり魔族どもは魔力しか取り柄のない愚者であるな」
「愚かなればこそ、この魔族の習性を利用して平民どもを集中的に狙うかあるいは人質に取ることで、奴らの強大な兵力を無力化できるやもしれません」
「・・・ふむ面白い。徹底的にやるがよい」
「はっ! それともう一つ大きな成果がありました。今回はティアローズ王国の古代魔法により、魔界マナ濃度の濃い地点、つまり強大な魔力を持つ魔族のいる場所に直接転移することができたのですが・・・」
「そなたのこれまでの報告など、奥深い山の中で魔族と一戦交えた話はまだマシな方で、大海のど真ん中に転移してオークどもが全員溺れ死んだ話など、とても聞けたものではなかったからな」
「それだけティアローズ王国の征服に成功した価値は大きかったのですが、実は魔族の兵士どもの中に見覚えのある人物がおりました」
「見覚えのある人物だと? そなたは魔族に知り合いでもいるのか」
「・・・自害したはずのアリスレーゼ第1王女」
「まさかアリスレーゼ王女だとっ! いや彼女は確かに死んだはず。貴様の見間違いであろう」
「かの王女は世界に二人といない絶世の美女であり、このヴェインが見間違うはずがございません」
「アリスレーゼ王女が魔界で生きていた・・・だが、彼女が自害したことは既に処刑したティアローズ王国宰相を始め王国幹部たちが口を揃えて言っておった。尋問魔法で確かめたので間違いない」
「もしかすると彼らは王女が死んだと思い込んでいただけで、特別な魔法で魔界に逃げ延びた可能性が」
「特別な魔法?」
「陛下、この世の中には我々の知らない魔法はいくらでも存在します。いわんやここはティアローズ王国の王城だった場所。王家が隠し持っていた古代魔法で、アリスレーゼ王女を魔界へ逃したのかもしれません」
「・・・古代魔法か。余がこの国を攻め滅ぼした理由の一つは、アリスレーゼ王女を手に入れてこの世界を支配するため。だがもう一つの理由は、失われた神々を魔族の手から取り戻すため」
「かつて我らが世界に君臨した3柱の絶対神。彼らを奪い去ったのは紛れもない魔族であり、神々は今でも魔界に捕らえられている。その神々を取り戻すため、ティアローズ王国の古代魔法が必要でした」
「だがアリスレーゼ王女が生きているのなら話が変わってくる。このままでは神々の復活の前に余の世界支配が揺るぎかねん」
「ティアローズ王家の残党どもですね」
「ああ。王女が生きて帰還する前に奴らを潰してしまわねばな。ゲール、残党どもの状況を教えよ!」
アレクシスの座る玉座の左には、帝国宰相のゲール公爵が控えていた。
まだ30手前の彼は、アレクシスの右腕としてグランディア軍を率い、このティアローズ王国を攻め滅ぼした総司令官でもあった。
その彼がヴェイン伯爵の謁見に初めて口を挟んだ。
「恐れながら皇帝陛下、残党どもは第1王子のマクシミリアンの元、盟友ランツァー王国の支援のもと反抗体勢を整えつつあります。第2王子のロベルトや、アリスレーゼ王女の婚約者であったフリオニール王子も健在です」
「フリオニールなど魔力しか能のないクズ。そんな男にアリスレーゼは絶対に渡さん。ゲール、残党どもへの攻撃を至急開始せよ。そのためならランツァー王国との開戦も厭わん」
「御意に」
「それからヴェイン」
「はっ!」
「そなたは兵を率いて魔界へ再侵攻し、アリスレーゼ王女を奪い返してこい!」
「御意っ!」
新章開幕
次回もお楽しみに




