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スカートに憧れる彼らはどうなるのか……?
「おおぉ」
姿見と向かい合った岩倉がスカートの裾をなびかせながら、嬉しそうにくるくると回っている。
紆余曲折を経て、どうにか仕上がったセーラー服の試着のために俺は再び女子寮に忍び込んでいた。
文化祭を明日に控えて校内も寮内も最終準備に賑わっている。
それが災いして、女子寮に入るのに予想以上の労力を使った。あちこちで生徒がうろついていて人目を忍ぶのが一苦労だ。
会合場所(渡辺の部屋が一番入り易いと言う理由で、会合はいつもそこで行われている)に辿り着いた途端にどっと疲労感が襲った。
ドア横の定位置に腰を下ろすと既に始まっていた試着会を眺める。
鎧のような学ラン姿を見慣れているせいで、彼女たちのスカート姿は随分と眩しく見えた。
「やっぱりぃ、セーラー服最高だよぉ」
「キシシシ」と、岩倉はまるでリスのように口元に手を当ててにやついている。
「人生初のスカートがセーラー服だなんて、幸せすぎだよぉ」
「トモは、ちぃと落ち着いたらどうじゃろか? うちはどうも、足がスカスカしていけん」
落ち着きのない岩倉の隣で渡辺がソワソワとスカートの裾を気にしていた。
まるであの時の池田と同じだ。
「これは、もうちぃと長いんじゃダメなんじゃろか?」
「ダメだよぉ、カナ。セーラー服のスカートは膝上十センチって決まってるんだからねっ!」
「そうじゃったか?」
首を傾げる渡辺とやけに真剣な面もちの岩倉の会話に、正木が割って入った。
「トモミさん。それは間違った知識ですよ。正式な丈は、膝下です。スカートの丈というのは、流行と共に変化していて……」
「スカートの歴史は、どうでも良いのぉ。要は、可愛いか可愛くないかなんだよ!」
「それは、十分話し合ったじゃん。まあ、ほとんどトモミの独断だけど」
履き慣れた様子の池田が口を挟む。
「なにそれぇ? 最終判断は沢口君がしたじゃんかぁ」
「岩倉のゴリ押しでな」
俺に向かって指をさしている岩倉に言った。
途端に彼女は地団駄を踏み出す。
「えぇ? 沢口君まで、ひどぉい! 賛同してくれたじゃん! インパクトが強い方が良いなって! 沢口君はわたしと同類なんだよぉ!」
「確かに。どうせやるやらインパクトのある方が良いとは言ったが、可愛いとは言ってないぞ」
「そうですよ。沢口君はトモミさんとは違います。ちゃんとメッセージ性を考えているんですよ」
正木の言葉に岩倉は怪しむように俺を覗き込んできた。
「本当かなぁ」
「どうでも良いけど。今更変更したいとか言っても遅いからね!」
今まで黙々と最終調整をしていた足立が声を上げた。
宮本の衿を整えながら彼女は続ける。
「散々わがままな注文を聞いてきたけど、これ以上は無理だからね。こんなに納得して服を作ったのは、わたしの短い人生の中で初めてのことだよ。本当にみんなには感謝してる」
文句を付けられるのかと思って身構えていたせいで、不意打ちの感謝の言葉に全員が言葉を失った。
「これで、胸を張って日本を出ていけるよ」
「……サツキさんは留学するのが夢ですものね」
淋しそうに正木が呟く。
「ここで出来ることはやり尽くした! って感じだね。最高傑作の末路を思うと胸が痛いけど、いい思い出になったから全然平気」
「出発は来月だっけ?」
「うん。文化祭でどうなるかわからないけど、一応ね」
「向こうに行っても、頑張ってねぇ」
「こんな無謀なことに付き合ってくれて俺たちも感謝してる。……ありがとな。絶対に口は割らないからな」
「それは頼もしいね」微かに目を潤ませて足立が笑った。
「沢口君。絶対に有名なデザイナーになって帰ってくるから、それまでに法律をどうにかしておいてよ」
「ああ」
俺は口元を堅く結んで、うなずいた。
「健闘を祈ってる」
客寄せの声があちこちから聞こえてくる。
廊下に立った生徒たちは黒い学ランを脱いで、色とりどりのTシャツやエプロンを着ていた。
焼きそばやらカレーやらのいろいろな匂いが校内を漂って、さして空いているわけでもない腹が今にも鳴りそうだ。
一般公開される文化祭の二日目。
生徒の家族や卒業生、他校生と校内は人で溢れ返っている。
普段の学校生活では狭いと感じたことのない廊下に人が詰まって、ゆっくりとした大きな流れを作っていた。
その波に上手く乗りながら部室棟へと向かう。
人混みの少なくなった渡り廊下を足早に渡った。
展示用に解放されていない部室棟は人もまばらだ。さぼりを決め込むか休憩場所を求めてくる生徒しかいない。
政治研究部の部室の前で立ち止まると、俺は中の様子を窺った。
ひそひそと囁くような声が、かすかに漏れてきている。
中にいる人物は俺の気配に気が付いたのか、ぴたりと話すのを止めた。
部室のドアを開けて中に入るとやけにひっそりとしている。
だが、人の気配は確かにする。
立て付けの悪いSK班のドアを音を立てて開けた。
「はっ」
誰かが息を飲んだ。
「なんだ、沢口君か」
俺の姿を見て、池田が声を上げた。
見ると、五人の少女たちは、怯えるように肩を寄せ合っている。
「何してるんだよ」
言うと、ホッとしたように、胸を撫で下ろした。
「脅かさないで下さい。部長が来たのかと思いました」
「カナが、ガセネタ掴まされたのかと思ったよぉ」
「そげなことないじゃ。しっかり確かめてきたんじゃから」
「佐野なら部長会の当番やってたぞ」
「ほら。言ったじゃろー」
渡辺がフンと鼻を鳴らす。
「荷物検査が終わってから、部長が変に大人しいから勘ぐっちゃうんだよねぇ」
「そうですね。相変わらず監視されている感じはありますが」
不安そうに正木がうつむいた。
「それより、全員で集まってどうしたんだ。まだ集合時間じゃないだろ?」
「いやぁ。落ち着かなくてぇ。じっとしていられなかったんだよねぇ」
と、岩倉が笑う。
「明日からどうなるのかわからないんだから、最後の学校生活だと思って楽しんでおけよ」
「そう言う沢口君はどうしたんですか?」
呆れる俺に、正木がお見通しだと言うように水を差す。
(それを言われると……)
「参ったなぁ」と、頭を掻く。
「……俺も、落ち着かなくて……」
「ぷっ」
それを聞いて彼女たちは吹き出した。
「ばかじゃねー」
「人のこと、言えないじゃん」
カラカラと鈴の音のような彼女たちの笑い声を聞いていると、不思議と落ち着く。
(こんな風に笑っていられるのも、残り少ないのかもしれない)
そう思うと、妙にセンチメンタルな気分になってくる。
思い返せば、幼い頃に偶然骨董品と呼べるような白黒のフィルム映画を見たことが、全ての始まりだったような気がする。
今にして思えば、そのフィルムは青少年保護育成法の下で有害指定を受けているはずだ。修正の入っていないものはほとんど残っていないだろう。
あの時の体験が俺に大きな衝撃を与えた。
成人に達していない女子たちが揃いの制服を着て、戯れていただけの単調な映画だった。
だが俺は、彼女たちが身につけるヒラヒラとした布を見たことがなかった。
後に、それが『スカート』であると知ったのである。
そこからだ。当たり前のように存在していた、青少年保護育成法に疑問を持ち出したのは。
確かにそれは俺たちを守っているのかもしれないが、それと同時に自由を奪っているのではないかと。
あの映画のように単調な日々を過ごしながら、ずっと自分の中で何かが燻っているのを知っていた。
松上学園に入学して彼女たちに出会わなければ、それは今でも燻り続けていただろう。
ここに、同じ疑問を持った者が集まったのは運命と呼べるのかもしれない。
でもそれで一体何が出来ると言うんだ?
俺たちがここで問題を起こしただけでは何も変わらないだろう。
せいぜい地方紙の一画を占領するくらいだ。
それでも何かをしたかった。
そんな思いが渦巻いた結果、俺たちの出した答えが『すかあと同盟』だ。
法に触れるようなことをすれば、将来に良い影響が無いことはわかっている。
けれど、俺たちにはそれをものともしないようなバックボーンがあった。それが名門松上学園に通う証だ。
そもそもそれがなければ、こんな危険なことをしようとは思わなかったかもしれない。
「時間です」
宮本が静かに立ち上がった。
笑い声の充満する狭い部屋が、しんと静まり返る。
「行くか」
俺の言葉を待っていたかのように彼女たちはすっくと立ち上がる。
首から下を暗幕のような黒いマントで覆った。
上はセーラー服を着ているが、下はスカートの下にスラックスを穿いたままだ。
「大丈夫かなぁ」
珍しく弱気な岩倉が心配そうに呟く。
「大丈夫だ。文化祭は一年の中で最も特殊な行事だ。校則を破らない限りは何でもありだろ」
現に、体をマントで覆っている俺たちはそれほど目立つ存在ではなかった。
色とりどりのTシャツを来た生徒が周りにいれば、尚更だ。
黒い一団のことなど誰も気にしない。
「校則どころの話じゃないけどね」
岩倉の後で池田が呑気に笑っている。
人波をするすると縫って講堂に向かった。
「沢口」
突然、人混みを掻き分けて声が聞こえた。
その声に正木が怯えたように身をすくめている。
安心させるように背中を叩く。
「先に行っていてくれ」
そう言って彼女たちを人混みの中に押し出すと、声の主を振り返った。
「よう、佐野。すごい数の人だな」
佐野は表情を硬くして遠ざかっていく黒い一団を一瞥するとすぐに俺を睨み付ける。
「君は、自分が何をしようとしてるのかわかってるのか?」
その言葉にとぼけるように眉を上げる。
「俺が何をすると言うんだ? ただの政治研究部の発表だろ? 何を警戒してる。お前、最近おかしいぞ?」
「僕がおかしいだって? おかしいのは君の方だ。何を考えてる? 君が勝手に暴走するのは構わないが、彼女を巻き込むようなことはしないでくれ」
「彼女? ああ、正木のことか。あいつも言っていたぞ」
正木の名前が出たことで、佐野は一瞬表情を揺らがした。
「僕がなんだと?」
「最近おかしいってさ。じっと見ていて怖いとも言っていたぞ。お前はもう少しまともなコミュニケーション能力を持った方が良い。じゃないと誤解されるぞ」
「誤解? 僕がどう誤解されると言うんだ?」
「そうだなあ。あえて言うなら変質者とかストーカー」
俺の言葉に、佐野が一瞬にして頭に血を昇らせる。
「僕が変質者だと? 誰に対してものを言っている! 僕が誰か知らないのか?」
「知ってるとも。三年二組出席番号十六番。政治研究部部長、佐野マコトだろ?」
「そうじゃない! 僕は……」
「それとも警察庁長官の息子? でも、ここではそれはなんの効果も持たない。親の職業に関係なく接するのが松上学園の校風じゃなかったか?」
大きく肩をすくめて首を傾げる。
「今は、そんなことを言っている場合じゃない!」
声を荒げる佐野と打って変わって、俺は醒めた目で彼を見据えた。
「そうか。それなら俺は日本国首相の息子だ。お前に俺を止める権利はない」
その言葉に彼は一瞬怯んだが、すぐに勝ち誇ったような顔になった。
「ただの公僕だろうが」
「そうだな。だがそれはお前も変わらないだろ」
それだけ言い残して佐野に背を向けた。
彼は俺の背中に向かって何か言っていたが、生憎俺はそれを聞く耳を持っていなかった。
「大丈夫だった?」
講堂のステージ裏に駆け込むと、岩倉が俺を見上げて言った。
スピーカーがすぐ横にあるせいで、がんがんと頭痛のように鼓膜が震える。
「ああ、たぶん大丈夫だ。口を滑らして少し焚き付けるようなことを言ったが、佐野が予想以上に器の小さい男じゃなければ問題ない」
「それって、あんまり良くないのでは無いですか?」
「かもな」
仕方ないというように肩をすくめてみせる。
「政治研究部ですか? もうすぐ入れ替えなので準備して下さい」
文化祭運営委員が声をかけてきた。
「わかりました」と答えると池田が意気揚々と聞いた。
「確認事項は? とにかく走る?」
その言葉に、思わず吹き出した。
「走らなくていい。すぐに運営委員が止めるはずだ。そしたら抵抗はするな」
そう言って俺は手を差し出した。
「なに?」
不思議そうに池田がそれを見る。
「握手をしよう」
「止めて下さい。最後みたいじゃないですか」
正木が顔を歪めた。
「文化祭が終われば俺たちは引退だろ? 落ち着いて打ち上げは出来そうにないから、今のうちに」
「そうじゃないけん。こうじゃ!」
渡辺が俺の手の上に、それを重ねた。
それを見て、池田が笑った。
「こういうの、好きだなー」
一つずつ手が重なっていく。
「青春だねぇ」
「全くです」
「これで、終わりじゃないですよね?」
正木の言葉に俺は答える。
「もちろんだ」
全員が微かにうなずいた。
俺たちはマントを脱ぎ去って、ステージ上に躍り出た。
水を打ったような静けさの後に、耳をつんざくような歓声が講堂を包み込む。
生徒たちは文化祭の熱に浮かされて、その場にいる全員おかしくなっている。
「サイコー!」
その中で池田の叫ぶ声が聞こえた。
歓声の中に教諭たちの怒声がわずかに聞こえる。この様子ではそう簡単には収拾はつかないだろう。
きっとどこかで足立は笑っているに違いない。
奇声を上げる生徒たちを押しのけて警官の制服が見えた。
どうやら佐野は予想以上に器の小さい男だったらしい。
ステージ上に上がった彼らを見て歓声が叫喚に変わる。
どこかで見た警官が言った。
「見つけたぞ、変質者め」
そのまま腕を強く捻り上げられた。
痛みを堪えながら周りを見ると、SK班のメンバーたちは清々しい顔で大人しく警官に捕まっている。
そして、松上学園の文化祭は警察の介入によって大混乱のうちに幕を閉じた。
学校と行政は関係者の家柄を鑑みて、事件を表沙汰にするつもりはなかったらしい。だが幸か不幸か、一連の騒動は放送部によってネット中継されていた。
事件の中心になったSK班の処遇は以外にも軽く、二週間の停学。首謀者である俺は一ヶ月間の自宅謹慎に加えて一年間の保護観察処分になった。
佐野の必死の関係否定によって政治研究部は廃部にされることはなく、SK班のみが解体されることになった。
行政の目をかいくぐってネットの海に拡散された騒動の動画は、緩やかに世論から賛同を受けつつあった。
各地で同様の事件が多発し、それによって青少年保護育成法のあり方は再び議論されることになる。
それは俺が過去の問題を克服して、政治家になる頃の話。まだまだ先のことだ。
そこで、正木たちと交わした約束の続きを実行しよう。
停学と保護観察処分は、俺の内申書に大打撃を加えた。
放任主義を貫く父は、息子の前歴をもみ消しなど一切しようとはしなかった。
そのせいで国内の有名大学の門は尽く閉ざされる。
だが、そんなことを気にしていたらキリがない。高校卒業後、単身で海外に渡り某有名大学に入学する。
そう言うわけで、この事件はいつまでもいい思い出でいることだろう。
さしあたって、俺が一番堪えたことは宮本の言葉だった。
警察に連行される間際、彼女は俺に向かって言った。
「結局、沢口君が一番スカートが似合いますよね」
その言葉に満足しそうになる自分を必死に否定するのが大変だった。
補足しておくが、俺はスカートが似合う男になりたいわけじゃない。スカートをはくのが好きなだけなんだ。
結局沢口は変態だったのか?
最後の台詞をガラッと変えての投稿です。
詳細は活動報告にて。