10月10日 午後6時~
気付けばもう秋である。僕にはもう二度と、今年の夏は来ない。そしてやってくる秋も、去年の秋とは別の秋。時間が戻れば、また田中に会えるのだろうか。田中は僕に会ってくれるだろうか。
今日、田中の名前が名簿から消えた。と言っても、田中の姿自体はもう消えて久しい。名簿の名前など、田中が消えたということの裏付け程度のことだ。まぁ、それがわかるのは僕と神埼だけなのだけど。
「浅井君。」
いつも通り教室で神崎が来るのを待っていると、まさかの女子高生が現れた。と言っても初対面でもないし、むしろ深い仲のほうなのだけど、田中のこととなると僕は口が重くなってしまう人物、中村である。
「今日、和平の名前なくなってたよね。浅井君、何か知らない?」
中村は僕に詰め寄ってくる。僕はずっと、中村に田中の行動を話していない。
田中和平。この名前が呼ばれることはもう、ないだろう。少なくとも、僕たちの高校生活から田中は退場した。再登場するのは、何年後かもしれないし、何十年後、もしかしたら一生登場しないかもしれない。
「ごめん、分からない…」
中村の目が僕の目を貫く。僕が何か知っているという確信でもあるのか、その目は揺るがない。
「本当に?浅井君にも何も言ってないの?」
何度も念を押してくる。僕の嘘はあっと言う間に見破られる運命にあるらしい。
「あぁ、何も言わずに消えちゃったよ。」
しかし、僕は田中の言葉に従う。―その時は宏美にごめんって…それだけ伝えといてくれよ―僕が余計なことを言う必要はない。田中はきっと、自分で中村に話をするだろう。それがいつのなるかはわからないが、僕は待つつもりだ。
「そう…じゃあね…」
中村の目は急に力を失う。とぼとぼと去っていく背中は、背筋もしっかり伸びているのに妙に小さく見えた。
「あぁ、けど、田中が言ってたことがある。」
「…何?」
中村は振り向いてこちらを見る。もう僕に興味はないのだろう。早く言えと急かすようでもある。
「…ありがとう…だってさ。」
ごめん、田中。お前の言葉には従わない。
ふっと中村が笑う。
「私も和平も…馬鹿だなぁ本当に…」
何かがはじけたように、中村は泣いた。声をあげ、顔をくしゃくしゃにして、泣いた。その場にしゃがみ込んで、泣き続けた。
しばらく経って、中村は立ちあがる。
「はぁ、すっきりした。ごめん浅井君、私帰るね。」
そう言ってあっさり教室を出ていく中村。もう何の心残りもない、吹っ切れた清々しいまでの後ろ姿だった。
再び教室に一人になる。今日はグラウンドを使う部活動は休みらしく、遠くから車が通り過ぎる音が聞こえるだけで教室は静かなものだ。この時期にもなると、さすがに日が短くなってくる。外はうす暗くなり、山の端に太陽が飲み込まれていく。
「…遅いなぁ神埼…」
神崎を送り迎えするようになってからずっと、僕はいつも教室で神崎が来るのを待っている。特に約束をしたわけでもないが、自然とそうなっていた。いつもはそう遅くない時間に神崎がやってくるのだが、今日は妙に遅い。探しに行こうかとも思うのだが、どこにいるのか見当もつかず、結局教室でぼけーっと待っている。
「よっこいしょ…あ、よっこいしょって言っちゃったよ…」
さすがに待ちくたびれた僕は、神崎を探しに行くことにした。学校内では携帯の電源を入れていない神埼は、本当にどこにいるのか分からない。
その時、なぜか僕の携帯が鳴動し始めた。
あれ、マナーモードにしてなかったっけ?けど、授業中にならなくて良かった。軽く没収だったぞこれは…。
「…あぁ…」
思わず声が出てしまったが、授業中に僕の携帯が鳴る確率はほぼないことに気付いた。
僕にはそんな友達いないじゃん…メルマガも登録してないし。
「…はい。」
「あ、浅井君?まるで海底2万里くらいまで潜航した状態でノーチラス号が故障したくらい絶望的な声出してるけど、まぁそんなことは置いといて、今どこにいるの?」
置いとかれた…神崎にまで置いといかれた…僕は何を頼って生きていけばいいんだ…。
携帯を耳にあてたまま、立ち尽くす僕。誰か友達になってください…。
「ネモ船長もまさか学校の教室で引き合いにだされるとは思ってなかっただろうな…」
「あぁやっぱり教室にいるんだ。ごめん、私用事があって今警察署にいるんだよね。こっち来てもらえる?」
「警察?…まさか…神埼…」
「そう私、殺っちゃった。テヘッ。」
「テヘッじゃねぇよ!予想だにしないところでボケに乗ってんじゃねぇよ!」
「うう…浅井君が喜ぶと思ったからやったのに…」
「…ごめんなさい。」
完璧に神崎に遊ばれている僕。なんてこった。まぁ別に嫌な気はしないのだけど。
あれ?もしかして僕M?弄るより弄られる側?
「じゃあ早く来てね。今ならモザイクありでしか放送できないような服で待ってるよ。」
「なに?!今すぐ行くから待ってろ!!」
僕は教室を飛び出す。待ってろ神埼、どんなヤバい服装なのか見てやる!!
「あぁ…なるほど…」
到着した僕を迎える神埼の服装は至って普通だった。制服の上半身がTシャツになっているだけである。なんでも神埼のクラスは早くも文化祭(僕らの高校では11月に文化祭がある)の準備をしているらしく、作業のために着替えたらしい。ただそのTシャツには某テーマパークの黒ネズミがでかでかと描かれている。確かに放送できねぇ…。
「…浅井君、何を想像してたの?」
明らかに残念そうな顔をしている僕を不審そうに見る神埼。前かがみになって僕の顔をみあげている。しかし、僕は気付いた。神埼の胸元が微妙に見えることに。やはり出るところは出ているな神埼。もう満足です。
「いや、そんなことより神埼はどうしてこんなところにいるんだ?」
僕は無理やり話を逸らす。
神埼のサービスカットに期待していたなんて言えない!言えないよ!
「…?まぁいいけど。前さ、自転車盗まれたって話したの覚えてる?あれが見つかったって連絡があって取りにきたんだけど。けどその自転車、見つかった段階で早い話ただの鉄屑だったんだよね。もう処分するしかない状態。本当は自分で処分しなきゃいけないらしいんだけど、係の人がいい人でさ、処分頼んじゃった。」
さらっという神埼。
確か、8月の補習が始まった頃だったか。神埼の自転車は盗難にあった。鍵を壊されて持ち去られていたと神埼は話していたと思う。そう言えば僕が送り迎えをするようになったのはそれがきっかけだったか。
でもあの自転車は、神崎にとって大切なものであったはず。盗まれた時はとてもショックを受けていたのに…。
「いいのか?あれ神埼大切にしてたじゃないか。」
「あ、そうか、浅井君わかるんだねそれも。」
神埼は僕が鋭いことにも慣れてきたようで、あまり驚かなくなっている。神埼は少し寂しそうな顔をして、僕に説明する。
「あの自転車、お父さんが買ってくれたやつなんだよね。私が中学校で成績一位になった時に。私には基本的にお金が渡されるだけで必要なものは全部自分で買ってたから、お父さんに買ってもらったのは自転車だけ。全然身長と合ってなくて笑っちゃった。でも、嬉しかったなぁ。」
神埼はさらっと凄いことを言う。お金を渡されるだけって…中学生の娘に?
「何と言うか、自転車って私が神埼家である証なの。これ以外じゃお金でしか繋がってないから。けど、もう必要ないかな。」
神埼は決意した顔で続ける。
「私は神埼家に合わせるのをやめる。お父さんもお母さんも幸せを追い求めてあんなふうになったんだと思うけど、幸せの形って色々あるじゃない?だから私はお父さんとお母さんとは違う形で幸せになる。そしたらさ、私の存在も少しは認めてもらえると思うから。」
僕は黙って神埼を見ていた。この女の子が背負っているものは、僕の悩みなどちっぽけに見えるほど大きく、そして重いものに思えた。
「だから浅井君。」
神埼は僕の目をじっと見る。今日は一段と澄んだ目に見える。
「私を幸せにしてね。」
ふっと僕は笑った。そんなこと言うのはプロポーズの時くらいだろ。
「あぁ、幸せにするよ。」
よろしくね、と言って神埼も笑った。警察署の前とは、なんとも様にならない。
「よし、帰ろう!」
神埼は勢い良く宣言する。夜空には月がくっきりと見えている。その周りに薄く雲が漂い、月明かりに照らし出されていた。
「明日は晴れるかな?」
僕は呟き、ふと思った。田中はどうしているのだろう。あれから一ヵ月ほど経つが、ちゃんと屋根のあるところで寝ているのだろうか。今となっては知る手段もない。僕がテレポートでも出来れば会いに行くのだが。
「田中君なら大丈夫だよ。」
神崎が突然答えた。どうやら神崎まで妙に鋭くなってきたらしい。僕が不思議そうにしているのが分かったのか、そんな顔してたよ、と神崎が説明してくれた。
「そうだな、田中なら大丈夫だな。」
僕もそんな気がしてきた。そう、田中なのだ。ちょっとやそっとでくたばる男ではない。
「ところで浅井君、私たち今まで運よく雨に遭ってないけど、合羽とか準備してるの?」
神崎に言われて、そういえば、と答える僕。
確かに僕たちは雨の中を走ったことがなく、合羽の準備はできていなかった。そろそろ雨が降ってもおかしくない。近いうちに準備しなければならないだろう。
「近いうちに準備しないとね。…だけど、多分明日は晴れるよ。」
僕は何の根拠もなく言った。本当に勘だった。
「そうだね、明日は晴れるかも。」
神崎も同意してくれた。神崎が言うのだから、きっと明日は本当に晴れだ。
「さぁ、帰ろう!」
僕は神埼を乗せ、夜道へと走り出した。
街灯が、スポットライトのようでもあった。
次回はエピローグになります。




